今年も研究室で忘年会が行われました。
会場はいつもの鳳明館で行われ、先生方と現役メンバーに加えて、多くのOB・OGの方で総勢70名弱の方がお見えになり、大盛り上がりでした。忘年会は朝まで続き、都市や進路等真面目な話から、懐かしい昔の出来事まで、いろいろなお話を聞くことができました。
忘年会では、「まちに関わる写真」と「スピーチ」が毎年恒例で行われています。
学生やOB・OGの方も含め、出席したすべての方が、今年一年を振り返ってお話をされました。本当に様々な人が、多様な形でまちに関わって生きている、ということを強く実感することができました。
▲西村先生秘蔵のスライドショー「各地のマクドナルドの看板とその変遷」
さて、今回の記事では、そんな毎年恒例企画で先生方が一体どんなお話をされたのか、その内容をご紹介したいと思います。
黒瀬先生:
デトロイトの次に治安の悪いバッファローという町。今は治安が悪い。これは昔の石炭の積み出し港の跡。コンクリートのところとか見てもらえれば分かる通り、これで再生したのかというレベル。でも、周りの人は釣りをしに来て、やっとこういう場所が戻ってきた、と彼らは喜んでいる。今まで特に鉱山都市の再生だと、どうしても綺麗なものを作るんだという意識がどっかにあった。こうやって周りの人が使えるようになるだけで、産業の跡地がまちに戻っていったというので、これで再生といえるのだな、とこの風景を見てすごく感じた。この時に強く感じたのは、都市計画というのは、都市計画のためにあるのではなく、今その場所で困っていることを、ある空間の中でどう解くのかということに役割を見出さないといけないということ。津波の防潮堤の話などをやっていても感じるが、何かをやるときに空間をどうしていくのかというのを決めてほしいという要求が必ずあって、そういうのを受け止められる都市計画をやらなければいけないというのを研究しながら思った。
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クリス先生:
子供が今四歳になって日本語のすごくいい先生になったんですけど、日本の政府は今国際化を進めていて、外国の学生もいるので、英語でこれから進めます。So I went in March, to the Pacific Rim Community Design Network in Taipei conference. And the conference was really eye opened for me, first hungry? some of speaking about starting community design "machidukuri", the same staff started at 1950s, and there was ramdy hasatr, jefly holl it was quite amazing to meet this people from the history books and also to see that we are not reinventing the real, we are doing the same staff of community design which trying modelize people with trying to get refunding, we trying to understand what is the local history and how we get community involved them so far. And we are doing it for 50 or 60 years already done, so I found it very interesting to see and happy to also understand to meet to work together international. so many good idea and so many bright and smart people are there and we have so much ground although machidukuri... and there are genius concept ....and all them struggle but in the end all of , going to some so I'd like to encourage student to go out more consciously and engage internationality and I wish never be more international player. Next going there because Nishimura sensei is also one of the forest of the network so we should go back to the roots and go international again. Thank you.
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この1年研究室の方にはあまり来れず、
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From May 1st, I became a Project Professor of the Territorial Design Studies Unit. At the party in last year, I felt that I was so… week and that I was so useless. I said so here.
Last year I couldn’t escape from the shock of the great earthquake, 3.11. I decided to…, how to say, I’m sorry I have to say in Japanese.
このままじゃいけないということを思い続けていたんですけれども、どうしていいか分からない月日が2年半続いたということを去年この場で言って、どうしようかと思っていたところから、本当に多くの方々、西村先生はじめこの場にいらっしゃる皆様の、本当に暖かい寛容の中で新しい研究室を立ち上げることができました。それが今年の5月の1日で、そこから7か月半の間、今年は胸を張って出来ることはやったと思っています。それが、去年の今からここまできたんだけれども、ここから本当にやらなくちゃいけないことは、きちんとした復興デザインであり地域デザイン、ということの研究をちゃんとやろうという風に思っています。それが、本当に多くの方にご迷惑をお掛けしたし、また多くの方に期待をして頂いていたことに、唯一お返しできる方法だと思っているし、本当に色んな思いがあって今ひとつの研究室をつくれているメンバーのみんなと生み出していかないと、また来年の今頃ですね、しょうもない発表をすることになるかなと思っているので、この1年間また頑張ろうという風に思っています。
2年半悩み続けていたというか、何を悩めばいいのかすら分からなかった状態の中で、あの、ひとつ自分の生き方みたいなところからもう1回考えなおさなくちゃいけないなと思って、そう思いながら今やっているんですけれども。その時に振り返って、私の原点だったのは何だったのかなと思った時に、高3の時に自分の進路を考えようと思って、当時非常に、ずっと気になっていたのは、環境だったんですね。環境公害みたいなものを、どういう風にして社会がきちんと対応するべきなのか、そういう技術が都市工学科にあると思ったので、私は都市工学に行こうと決めたんですけれども。色々ちょっとあって、都市計画コースの方になぜか入っていてですね(笑)。そういうことになっていたんで、ふっと思い出した時に・・・、これは水俣の写真です、今年の夏に自分の中で再生しようと思った時に、やっぱり水俣行かなきゃなと思って、行ってきたんですね。これは水俣の博物館というか、museumがあって、広場のコンペみたいなものがあったのを昔知っていたんですけれども、本当に複雑な思いで見たんですよね。ここから眺めている水俣の集落というものの美しさみたいなもの、或いは、そこで自然としてまわっている漁村集落だったところを有機水銀があったので埋めて、埋立地にして、広場だったり博物館をつくっているところの手前から、本当にこの広場が鎮魂になっているのかどうかとか、こういうことがデザインなのかどうかとか、改めて考える機会になりました。
この時に本当に思ったのは、水俣だとか東日本大震災だとか福島は、本当に、終わっていなくて、本当に辛い思いを水俣で今もしている人がいるということをやっぱり忘れてはいけないんですけれども、私達は忘れがちになってしまう。だけどフィジカルプランナーというのは非常に長い、先を見ながらやらなくちゃいけないことだと思いますので、過去にあったことを過去のことだと思わないで、それが今どういう風につながっているのかというふうに考えなければ、やっぱり未来をつくりだすことはできないんじゃないかなということを改めて思った1枚です。
また今年も頑張りたいと思います。よろしくお願いします。
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(それからずっとここでやっているのだけども、そのうちこういう和風旅館が、ここは一生懸命やっていたので、外に対してインターネットで紹介するということで、海外のお客さんがたくさん来るようになって、いまここは外国のお客さんがたくさん泊まっていて、それなりに経営がうまくいっているのですね。本当によかったなあと。)
先ほどありましたけど、僕はミュレサンノブルグ(?)で登録文化財、という経緯がありました。で、今日僕はあんまりしゃべらないでおこうと思ったのだけど、先ほど黒瀬さんの話にもあったけど、都市とどういう風に自分自身の生き方として向かい合うかが、われわれ本当に大事なんだろうと思います。われわれがやっているのはある種、自分の生き方をどういう風に都市と接点を持たせていくかということだと思うんだよね。フィジカルプランニングなんだけど、でもそれには留まらなくて、おそらくそれは自分の生き方の問題だと思うんですよ。僕自身に関してはいろいろやってきたけど、今思うのは、それぞれの都市をそれぞれ別々のものとしてアプリシエイトしていくかと、それの技術を磨いていってその先に計画があるんだと、それはどこでも言えることで、それをやろうと恐らくしていたんだろうなと、今思うとそう思います。
30代は町並みのことやったりとか別のことやってたけど、今から思うとそういう意味ではある種数字的な基準にどうしても還元されないようなところにこそ都市の個性があって、それを大事にすることが、われわれが一生かけてやらなくていはいけないのではないか。それはわれわれがきちんと都市と向かい合うことであって、どんな場面でどんな職業についてもやれるのではないかと思うんですよね。そういうことをやろうと。そういうことをやるために、基本的なツールをひとつづつ磨いていこうとしたんじゃないかなと今思います。でも、そのときは思わなかった。そのときは、目の前にある様々なプロジェクトや問題を超えることをやろうとしてたので。でもある意味長いことやっていくと、それ全体がひとつの姿をなしていくんだよね。そういう風なやり方をやるべきなんじゃないか。それは自分がずっと思い続けていくと、いけると思うんですよね。やっぱり、ずーっと同じことを念じることが大事だと。僕は自分自身そんなに能力があるとは思わないけど、ずーっと念じ続けていることは、それを忘れた人には勝つんだよね。そこがどこまでがんばれるか。
都市というのは一人の人がすぐに分かるものじゃない複雑な複合体なので、そこにいかにコントリビュートしていって、自分がいることが意味があるようになるかって、如何にそこにまじめに向き合っていこうとするかっていうことじゃないかなあって思うんですよね。ですから、あんまり性急に成果を求めなくていいけど、まじめに向き合っていくと、それはつまり都市とか生活とか、生活者とかそういった人たちに向き合っていくことになると。それは人によって違います。それぞれの一番重要だと思うことをやればいいのだけど、そのことを外さなければ私はいいと思うんだよね。そこで長くやっていけば、それなりに自分の思ってたのと違うある種の推測が出てくると思うんだよね。それをこの年になって感じます。それをやってなかったら全然いけないし、いろんな人とも巡り会ってなかったと思うので、そういう思いを持ち続けて都市に正面から向き合うんだと。
でそれに都市は応えてくれるんですよね。でなぜかって言うと、それはわれわれのそれぞれの可能性を超えてるんだよね。われわれが対象としているものは。見る角度によって様々に違うわけ。でも、そういうものをわれわれが対象にできて、そういうものにちゃんと正面から向かっていけるってことは幸せだと思うんですよね。それに値するだけのものだと思う。なので皆さんやっていることは皆さん自信もってほしい。今すぐ芽が出ないかもしれない。それぞれの局面って違うしね。状況も。さまざまな想定外なことも起きるし。でも、きちんと思いを持っていけば思いは達成できるんです。今日もちょうどイチョウの葉っぱが黄色くなっているわけだけども、先に見事にイチョウの葉っぱが黄色くなる木もあれば、そうじゃ無い木もあるんですよね。木が置かれた状況で違っているんだよね。でも、少なくとも日本の気候に合うかぎりはですね、イチョウの葉っぱは最後には見事に黄色くなるんだよね。今の状況がそれにふさわしくない人がいるかもしれないけれども、きちんと都市に向かい合っていけばそのうちに見事に紅葉するんです。だからわれわれが愛する都市というものにですね正面から向かっていくことを恐れないで、ずっと皆さんのキャリアとしてやっていっていただきたいと。そして私自身が後悔していないから、そういうものだと思います。ものすごく豊かなものをもたらしてくれる。で、自分がそれに共感できるような豊かさがあれば、その深さに応じてやっぱり実感するものなんですね。自分が浅ければ、浅いなりの理解しかできない。だからここの都市の理解というのは、自分の人間としてのトレーニングの賜物なんだと思います。
よく思うんだけど、地方に行って夜電車に乗ってると、町の明かりが見えますよね。明かりがついている。で明かりというのはひとつひとつの家庭なんだけど、ひとつひとつの家庭はまったくひとつひとつ違うんだよね。状況が違うわけですよ。だから、それぞれのドラマがあるんですね。でもそれはある景色の中で、気候の中で共有しているモノがある。全く違っていて全く多様なんだけれども、でもひとつの景色をなしているようなものとして都市があるんですよね。だからそれを理解するというのはやっぱり、われわれが本当に努力をして鍛錬をして、そういうものを分かるようにならないと、深みにいけないんじゃないかと思うんですよね。だから、それぞれやっていることは違うかもしれないけれども、それでいいんです。その現場の中でがんばってくれればいいのであって、でその現場で実感を持って、相手と接していることがですね、われわれのトレーニングになっているし、それがわれわれを人間として成長させてくれるんだと、そうしたものがわれわれの対象だということは、本当に幸せだと思います。なのでこれからも一緒に仲間としてがんばっていきたいと思います。また今年も、そして来年もよろしくお願いします。