こんにちは。この間24歳になり、そして修士2年になった松坂大和です。
今回は、4月の16日から17日にかけて実施された、富士吉田PJの下吉田地区プレ調査についてお伝えします。
今年度の富士吉田PJの活動の大きな特徴は、昨年度までの対象地であった上吉田地域・大門横町地区でのよこまちポストを通じた活動は継続しつつも、下吉田地区に主要な対象地が移ったことです。
そのため今回のプレ調査は、まず下吉田地区がどのような地域なのかを理解することを目的に行われました。
まずは、富士吉田市役所の職員の方々から下吉田地区の現状についてのヒアリングを行いました。
下吉田地区には、新倉山浅間公園と、富士みちから見える富士山という日本を代表するフォトスポットがあります。
視察日はあいにくの曇天&桜も散った後で、富士山も桜も見れませんでした。。。
▲本来はこのような絶景が広がります(富士吉田市観光ガイドHPより)
▲富士みちから撮影した富士山(富士吉田市観光ガイドHPより)
これらを見るために近年急激に観光客が増えたことで、課題も生まれてきています。
一つ目が、新倉山周辺の渋滞問題です。元々観光地として整備された地域ではないため、自家用車で訪れた観光客が利用する道路は周辺住民が利用する道路となり、桜が見頃になる春先には、地元住民がなかなか家に帰れない・家から出れないほどの渋滞が起き、問題となっています。
二つ目は、富士みちでの危険な写真撮影です。話題になった写真は自動車も走る道路の中央から撮られたものですが、それを真似して道路の中央から写真を取ろうとする観光客が増え、交通事故の危険が高まっています。
今回私たちは、こうした課題を解決しつつ、観光と地域の関係を磨き上げることで、観光客の体験と地元住民の暮らしの両方をより良いものにしていき、やがては観光客が移住したくなるように、まちづくりをしていくことが求められています。
続いて、ふじよしだ定住促進センターの赤松さんと渡辺さん、下吉田地区にある飲み屋街「新世界乾杯通り」の小林さんにもヒアリングを行い、下吉田地区への若者の移住を増やすための取り組みや、飲み屋が集積する西裏地区での取り組みについてのお話を聞きました。
この日の宿は、コロナ禍の前は外国人観光客も多く泊まっていたというホステルですが、この日の宿泊客はPJメンバーだけのようで、やはり宿泊客は減っているとのことでした。
2日目は富士吉田市役所職員の渡辺さんの案内で、富士みちを挟んで両側に位置する西裏地区、東裏地区をそれぞれ歩いて回りました。
富士吉田市を代表する産業である機織り産業の集積が見られる東裏地区と、機織りで富を得た人々のための歓楽街として栄えた西裏地区の対比が印象的でした。また、瓦では寒い冬に割れてしまうということでトタンの家が多いことも新たな発見でした。
▲機織り産業が集積していたため、東裏地区の中でも「絹屋まち」と呼ばれている地区です
▲機織り産業で財を成した人々が作った西裏地区の歓楽街では、カンバン建築が多く残っています
この他、ちょうどオープンファクトリーをやっていた機織り工場を見学したり、市の図書館で下吉田地区の成り立ちに関する資料を収集し、今回の調査は終了となりました。今後は地区分析や地域の方々へのヒアリングを通じて、下吉田地区への理解を深めた上で、どんなアクションができるかを考えていきたいと思います。
また、上吉田地区でも引き続き、よこまちポストを活用しながら、国道拡幅に際して地域の方々のまちづくりへの意識を高めるような活動をしていきます。
もしご興味がある方がいたら、ぜひ下記アドレスまでご連絡ください!
matsuzaka-yamato-fh@g.ecc.u-tokyo.ac.jp