都市工学生が観るWithコロナ・Afterコロナ社会【完全版】

マガジン編集部のM2西野です。

先月号ではWithコロナ・Afterコロナ社会について都市工学生を対象にアンケート調査を行いましたが、自由記述を多く頂き誌面では扱いきれなかったため、今回それらを紹介しようと思います。

改めてご回答いただいた皆さんありがとうございました!

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Withコロナ社会で感じた変化

<近隣散策、魅力発見について>

近所の知らない道を知ることができた/歩数が3分の1程度に減少した

地元のよさげなお店とかを発見した

買い物に行く際に寄り道することが増えた

ほぼ毎日、自宅付近を散歩するようになりました。散策して楽しい町としては、改めて鎌倉は恵まれていると思います。一方買い物では、COOP(週に1度食品を家まで届けてくれるサービス)やAmazonへの依存度が高まりました。今まで以上に運送業従事者に感謝するようになっています。

かなり空間的余裕があるニュータウンに住んでおり、普段は都市的な刺激が少なく物足りなさを感じていたが、現在は自然の豊かさや豊富な歩行者ネットワークなど、Social distanceを保ちながら快適に生活できている。

あまり行ったことがなかった近所の飲食店をテイクアウト利用などで開拓しており、地元の再発見ができた

普段は行っていなかったが、近所の公園によく行くようになった。マンションの子供達がいつも以上に多く1階の入り口近くで遊んでいる。公共交通を使えないため、徒歩圏内にコンビニやスーパーや広い公園などがあってよかったと思った。

平常時なら面倒くさがって外出せずに済ませるような用事でも、外に出る大義名分にして出かけるようになりました。外出に対する意識のハードルが下がったように思います。

<social distancingについて>

自宅周辺のローカルレベルで過ごす時間が増えたし、人との距離をとる意識が増えたから、人を気にするようになったため、日々出会える人(コンビニ内の客)に関心を抱くようになった。近所の人の顔、行動まで記憶出来るようになった。しゃべったことがないが何となく親近感を抱くようになった。

スーパーの列が長くなった(ソーシャルディスタンス)

<人通りについて>

世田谷区の中でも、下北沢の商店街は人がかなり減っているように感じます。ただ、周辺の笹塚や三軒茶屋、豪徳寺などの商店街の人出は普段とあまり変わらないように感じます。

もともと人通りの少ない住宅地だったので、最近になってもまちの人通りに変化は感じない。買い物も家族に任せてしまっているので、スーパーの混雑なども実感することはない。それよりは、住宅が、家族の大半が日中も在宅して仕事や研究などを行うには狭いと感じる。家族それぞれに個室が割り当てられていることに加え、2階建てだったり、居室と廊下の間にワンクッション(長さ1mくらいの通路など)を挟んでいたり…、同居者の気配を感じずにいる、という選択肢のある住宅だと、このような状況でも居心地が良いとも思う。

イートインの飲食店の閉店や営業時間減少によってコンビニとスーパーが混むようになりました

(文京区じゃないけど)谷中木密地域、中でもプライベート性が高そうな、いかにもなエリアは、普段外部の人間を見ることは少ない気がするけど、自粛期間中の休日の昼間には散歩中らしい外部のご家族やカップルが割と多く見られた

住宅街に関しては、人が増えているように感じた。公園では、子供が遊んでいるもの・大人が本を読んだりしているもの・使われていない奥地にあるものが別れていた。

ジョギングしてる人が多くなった

観光地であるため商業の数に対する人の量が圧倒的に少ないことが感じられる。

公園にある運動場が閉鎖されたため、そのほかのエリアでの人が増えた気がします。

 <その他>

偶然の出会いが一切なくなった

家ってすばらしい

外に出ないため、その街に暮らしている実感があまり感じられないのは平常時と比べて変化した部分なのではないかと思います。ここのまちに住んでいる意義、ここでないといけない意義は、外出を控えている現在、あまり感じられなくなったと思います。(悲しいことだけれど)

公共交通を使う機会が激減し、車を使う機会が増えた

スーパーのピークタイムが変化している。自宅に庭があって良かった。それからバイト先のヤマト運輸では個人向けの荷物は増えていますが、企業向けはがっつり減っているので、トータルとしては微増ぐらいで済んでいますが、もっとがっつり住宅街のところは大変だと思います。(うちのエリアにはタワマンないからかも)

近所のパチンコ屋が閉まり、歩きタバコなども減って治安は良くなっていると思う。

自宅の周辺は通り抜けに使う地下街や商業施設が多くあり、それらが閉まると移動の際困ることがある

Afterコロナ社会の展望

<近隣/地方の見直しについて>

ローカルレベルのまち(近隣住区論でいえばNeighbourhood unit)に見直される時代が増えるのではないか。遠く移動するより、徒歩や自転車で移動が増えるのではないか。

自分の家の周りに目がいくようになってまちへの愛着がわきそう/逆に愛着のわくまちへの転居も考えられそう

近所の人たちとコミュニティが築けていけるいいチャンスだと思います。

今まで大事にしてこなかった近隣の空間を大事にするようになる。

これを機に三国みたいな素敵な地方市街地に、クリエイティブな若い人が住んでくれたらいいな。

定時に来て色々な場所に行くことを可能にしてくれる公共交通により感謝を感じると思う。一方、遠くに行かなくてもできること、行ける場所があることも学んだから、アフターコロナはより近所を身近に感じるかもしれない。

都市部は感染が拡大しやすく、テレワークによって通勤の重要性が下がることなどから、都心から離れて郊外、地方への移住が進むと思う。

<住宅のあり方の変化について>

一人暮らしは3畳一間でもいいかなと思っていたけど、絶対やめようと思った。

住宅単位からの都市デザインを意識して展開したいです。

リモートワークが定着した場合、住宅の需要として駅近などの評価が薄れ、郊外の一軒家で家で仕事などができる書斎などのある住宅の需要が高まると思います。

住宅の間取りは変わりそう、実際自分も寝室(生活空間)と書斎的な部屋を分けたい、zoomで人にみられてもいい書斎。

<交通/移動について>

人々の移動が減少し、ゆとりのある社会になれば良い

都心のオフィス需要の減少は、繁華街の商業施設、飲食店などにも脅威となります。また、これは公共交通の事業者にとっても大きな脅威です。

都市に関していうと、私の関心分野は交通ですが、交通需要は「アフター」が来たとしても以前よりは減少しているでしょう。都市においては鉄道の混雑が以前から課題であったわけで、望ましい面もあるかもしれませんが、公共交通の維持という観点では、これも以前から言われていた民営独立採算モデルからの転換が否応なく迫られることになります。しかしそれだけではなく、移動を増やすことが人間の活動を増やすこと、といったような感覚がなんとなくあったように思うのですが、その前提が崩れることになれば、交通をめぐる見方も変わっていくのかなあ、と考えたりするところです。

<リモートワーク/テレワークについて>

オンラインでの業務や購買活動が今後益々進展することは予想されますが、空間の価値が損なわれるのではないかということは懸念しております。

ふつうに暮らしたいが適度にオンライン化をすすめる

座学に関しては柏の葉の授業も受講可能になる上、自宅で食事ができるので座学はリモートで行い、サークル活動や研究室の活動など、人と人の接触により文化が醸成される機会には大学に行きたい

対面ではないと効果的に行えない活動は、徐々に元どおりに戻っていくだろうが、対面の必要性の低い、人間が面倒臭いと感じるような部分は、オンラインや機械化によって代替されていくかもしれない。

リモートを推進したい人・企業と、そうではない人・企業が現れ、経済活動がさらに多様化すると思われますが、それに伴う郊外や地方都市への人口流動などもありうるかと思うので、その動きに各行政の都市計画が迅速に対応できるかどうかで自治体間に大きな差が出てくるのではないかと思っています。

人のライフスタイルに合わせて都市が変化していく(テレワーク対応になる)のは自然だが、それ以上に、(もし必要と判断されるなら)テレワーク化を促進するような都市構造へ積極的にシフトしていって欲しい。もちろんテレワーク化に対応できない層が大きな損失を被るような急進的な変化は望まないけども。

移動しなくても実行することができることと、直接会った方が効率が良いことに分けられると思うので、うまくリモートと直接対面などを組み合わせて、移動によるストレス軽減や、自由に使える時間の増加などにつなげていけたら良いなと思っています。同時に、だからこそ、人が集わないと失われていくもの(商店街の活気、祭りなどの伝統行事、など)を大事にする、うまく伝承していくためにはどうしたらいいのか考えていきたいです。空間的工夫とソフト面での工夫が必要だとは思いますが、具体案はありません…。

結局大学や職場での作業・ミーティングの方が捗るという人が多そうなので、完全にオンラインへの移行はされなそう。だが、遠方とのミーティング、対面は4回に1回、他はオンライン、くらいの変化はありそう。授業は教室で受けてもいいし、同時中継をオンラインで眺めても良い、がいいな。

 ベンチャー、IT企業はリモートが増えそう

<大きな変化はないという意見>

そんなにかんたんに社会が変わらい、変えられないことも分かっているが、逆戻りもしてはならない。

過疎地域に人が戻ってくればいいなと思いつつ、自分が戻るかと言われたらそんなのともないので難しいですね。

結局元通りになりそう。リモート活動の可能性を示して、変わるのはごく一部の会社だけ。

実際のところそんなに変わらないと思う。日本人は喉元過ぎれば熱さを忘れるので。

職住近接とリモートワークのデマンドおよび可能性が高まったことにより、(大)都市への集積の必要性は相対的に下がったと感じる。一方で、グローバルネットワークに大都市が組み込まれることの効用が現時点では非常に高いために、都市規模に関して、短期および中期での大きな変化があるわけではないと考えている

自然の豊かさ、Social distanceの保ちやすさから郊外の見直しが進むかもしれないが、娯楽の少なさは残るため、都市への移動需要は無くならないのでは。

 <その他>

これまで容積ボーナス型の再開発はそのうち限界を迎えるぞ、と言われながらも、都心容積ボーナス型開発はどんどんされていたけれど、これを機に一気に需要なくなりそう。オフィスも全員分の机を収容する必要はなくなりそうなので。建設業界の国内での仕事なくなりそうだなと、けっこう本気で思う笑

一方、自宅が職場になると、居住地周辺における「居場所」需要の増加も考えられます。ただし、元々インドアな人の中にはそもそも外出をしないという人も増えるのではないでしょうか。結果、全体的に見れば人の往来自体が減少し、賑わいが損なわれ、都市が寂しくなってしまうのではないかと考えてしまいます。また個人レベルでは運動不足の懸念もあると思います。

都市における偶発的な出会いが減少するのではないか

治療薬(ないしワクチン)による抜本的な対策まで数年と言われていますが、数年程度であれば、接触を本質的に避けられない業種が存在しなくなることはないだろうと思っています。一方で、(戦争においてそうであるように)以前から与件としては可能となっていた変化を進行させることはありえて、それはここではリモートワークなのだろうと理解しています。もちろんなんでもかんでもリモートワークにすればいいわけではないので、そのあたりのバランスの調整にもしばらく時間はかかるのでしょう。

都心の地価が下がるだろうなと思います。娯楽以外の都市を構成するものたちのあり方が、ネット社会により近いものになっていくと思います。

社会や都市の構造が大きく変わるときだからこそ、あらゆる事に目を向けられる計画サイドの人間が目指すべき都市の全体像を明確に提示していく必要が高まっていると思います

スポーツや遊園地など諸々の娯楽が自粛前に比べて求心力を失い、倒産したり、ビジネスとしての規模が縮小するかもしれない。そして、アフターコロナ社会でも感染のリスクがついて回るのだとしたら、今まで賑わいを目的として作られてきた駅前や公園、公民館などの人同士が集まる空間が失われるのかもしれない。