2015年の地震で甚大な被害を生じたカトマンズ盆地。3年以上の月日を経た現在でも、未だその爪痕は随所に確認されます。本PJの3年目である昨年度から、我々は、カトマンズ盆地に点在する歴史的な集落を訪れ、それらの保全制度の整備、復興計画の策定と実行を目的として、集落の構造を見出すための調査を行っています。
昨年度の調査では、カトマンズ盆地に広がる集落のうち23の集落を訪れ、それぞれの地図を作製し、寺院、広場、水場などのプロットを行うとともに、街路構成から集落の類型化を行いました。しかし、それら集落の構造の規定因、決定因を見出すことはできずにいます。
今回は、昨年度までの成果から集落の領域の決定に関わっていると考えられる、寺院、特に集落の外側に存在している寺院、そして同様に外側に存在している火葬場についての情報を収集することで、集落の領域の決定因を探り出すことが目的です。
1日目から4日目は、ネパール出身で、現在中国で建築を学んでいるRamさんと、2日目から5日目までは東京文化財研究所の石村さんと久保田さん、5日目にはネパールのNavinさんに付き添っていただき、通訳や助言をいただきながらの調査となりました。
訪れた集落
1日目:Thimi
2日目:Bode, Nade
3日目:Chapagaon, Bulu, Pyangaon
4日目:Bandegaon, Thaibo, Harisiddhi
5日目:Khokana
▲Chanpagaon近辺の、Bajra Brahi寺院
5日間で、10の集落を訪れ、集落の外部に存在する寺院、火葬場、その他のものの様子を確認し、集落のWard Officeの長である方や集落にお住いの方から、お話を聞き、それらに関する情報を得ていきました。
その中で、1日目にこれまでは詳細が把握できていなかった寺院について、情報を得ることができ、全貌を明らかにすることはできないものの、集落の成立の過程の一部について、仮説のようなものを立てうるのではないかと考えられるようになりました。
そのため、2日目以降は、1日目で得られた情報について、他の集落でも同じような情報を集めるという方向に、方針を変え、調査を進めていきました。
今回は、私にとっては初めてのネパール・カトマンズの訪問。集落は、自らを誇示するよなところはなく、自然から立ち上ってきたかのような素朴さを備えていた。そして、その中に住む人々は、土足で集落を勝手に見て回る異邦人にもおおらかだ。手を合わせて「ナマステー」と挨拶すれば、笑顔で返してくれる。カメラを構えれば、はにかみながら、良い表情を浮かべる。自然、我々の表情もほころぶ。
▲Thimiの集落の学校の中で、カメラに笑顔を向ける子供たち
居住域をこえ、耕作域に入ると、想像の中にしか広がらないと思っていた風景が、目の前に広がる。青々とした田畑と、向こうの丘の上の別の集落。素朴な居住域とそれを囲む、息をのむような耕作域。レンガなどで作られた家々は、壊そうと思えば簡単に壊れてしまう。耕作域には構造物がないのだから、なおさら簡単に失われてしまう。実際に、道路の計画がある耕作域もある。
▲Khokanaの集落の外側。
長年の積み重ねで生み出された集落。破壊は簡単になされうる。しかし、失ってはいけないものが、そこにはある。それが失われた時、人々の笑顔もまた失われてしまうのではないだろうか。
温かい表情をこれからも彼らが浮かべられるように、今年度の成果に向けて努力していきます。