---8月3日木曜日、平日の夜、高島平に無数にある何の変哲もないビルの一室で、
高島平の歴史と未来について熱い議論がひっそりと繰り広げられました。---
こんにちは。M2の田中です。
先月、キックオフをしたアーバンデザインセンター高島平(UDCTak)のプロジェクトのひとつ、「高島平ヘリテージ」プロジェクトの第2回ミーティングが開催されました。
第1回を超える盛り上がりを見せた第2回ミーティングについて、お伝えします。
▲ 平日夜に行われた今回のミーティング。夜の高島平は、昼とはまた少し違う印象を与えます。
本プロジェクトは、東京大学都市デザイン研究室と高島平観光協会(仮)の共催で、高島平の住民の方にもプロジェクトメンバーとして入っていただき、高島平のヘリテージについて議論し、今後の高島平のあり方を考える礎としての高島平の歴史性について議論を行っています。
詳しくは、前回記事参照(http://ud.t.u-tokyo.ac.jp/ja/blog/2017/07/post_112.php)。
第2回ミーティングでは、第1回から引き続き参加していただいたメンバーに加え、新しく参加するメンバーも数名いました。
▲ M2中村による開会のあいさつと、新メンバーの自己紹介からミーティングは始まります。
第2回のテーマは、第1回ミーティングでの意見を踏まえ、①周辺との関係から見る高島平、②自主管理歩道としました。
①では、高島平の周辺(北の荒川、東の蓮根、南の崖線、西の三園)や境界部分を見ることで、高島平がどのような場所性を持っていたのか、そして、区画整理で何が失われ、何が継承されたのかを地図をベースで共有しました。②では、板橋区の要項として定められている、集合住宅を建設する際に接する道路からセットバックし歩道を提供する、自主管理歩道空間のプロットと実態を共有しました。
①では、都市デザイン研究室のプロジェクトメンバーが当日急遽貼り合わせて作成した、1967年の住宅地図(高島平が区画整理される前)が、参加者の心をつかみました。プロジェクターはそっちのけで、地図の周りに集まり、丁寧に読み解くことで、高島平の周辺の都市との文脈で語る上でのヒントをふんだんに得ることができました。
▲ 学生の力技に思わず笑みがこぼれる一同
▲ プロジェクターはそっちのけで、地図に群がる様子
今回は、参加者の方から、荒川水系における高島平の位置づけのお話もあり。高島平を語る新たな視点も加わりました。
▲ 現代の地図に、過去の道や水路をなぞりながら、高島平の過去と今のつながりをあぶり出す。
②の自主管理歩道については、区画整理が行われ十分な道路幅員が確保された高島平における、民有地の歩道提供の意味や、現在の空間の使われ方を共有し、今後の都市空間資源の可能性を議論しました。
▲ 道路から1-2mの歩道を供出すること(自主管理歩道の設置)が要項で定められている板橋区。実際には、駐車場の一部として使われており、歩道として使えない自主管理歩道があることも確認されました。(https://www.google.co.jp/maps)
ミーティングの最後には、9/28-10/1の4日間に開催されるUDCTakのプロムナード社会実験に合わせて実施する予定の、「高島平ヘリテージ」プロジェクトの企画について、案出しを行いました。
ミーティングで議論を行っている高島平の歴史を説明する地図の展示や、実際にまちに散在するヘリテージをスタンプラリーで回ったり、写真を収集してSNSで拡散したりする、街全体を展覧会場にする案などが出ました。残り2ヶ月ほどで、しっかりとかたちにして、もっと多くの人に高島平の歴史の共有や、まちへの興味関心を広げていけたらと思います。
ミーティング終了後は、駅前のイタリアンレストランでワインを飲みました。子どもの頃の高島平の思い出話から、それぞれの仕事や学業の話など、メンバー同士で交流を深めました。
昨年から高島平プロジェクトに参加している者として、今まさにプロジェクトが動いていることが実感でき、とても楽しくやれています。ただ、まだまだ始まったばかりで、本番は秋以降ということで、しっかり頭と手を動かしてプロジェクトに臨んでいきたいと思います。