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都心の景観を考える

日比谷濠から丸の内を望む


 戦後、都市計画の課題は、量の確保から質の向上へと変化してきました。それとともに、景観に対する市民の考え方や世論も変化し、やがて景観は社会的に認知されるようになりました。美しい景観は街の誇りであるとさえ考えられるようになりました。

 丸の内の景観は、日本を代表する風格ある景観として市民に親しまれてきました。昭和初期の美観地区の指定、1966年東京海上ビル建て替え計画が巻き起こした「美観論争」など、社会的関心事としても取り上げられました。

 しかし一方で、東京という日本の首都としての景観はどうあるべきか、明確なビジョンが示されぬままに都心は更新され続けました。DNタワーや東京国際フォーラムの出現、そして、この秋には丸の内の顔とも言える丸ビルの解体。さらに今後は、国鉄清算事業団による旧国鉄本社ビル売却、大手町サンケイビルの再開発計画など、都心の更新はまだまだ続き、丸の内の景観は大きく変わる可能性があります。

 「大手町・丸の内・有楽町地区まちづくり懇談会」はこの地区に新築されるビルディングの高さ・そのスカイラインについて、統一性に配慮しつつ150m程度を許容し、拠点地区には200m程度も可能にする、との方針を提示しました。果たして、都心の景観はこれからどうなってゆくのでしょうか。今こそ我々は、都心の景観についてじっくりと考え、議論するべきではないでしょうか。

 なお、東京大学都市デザイン研究室は現在、研究の一環として、千代田区から「東京美観地区ガイドプラン」作成のための検討調査を受託しています。皆様からこのホームページに寄せられた御意見も、ガイドプラン作成に反映させていきたいと考えています。


[新着情報]

1998.7.18(土)開催!

緊急トークイン「どうする・どうなる 丸の内のスカイライン part2」

→ part1(1998.1.31)開催結果をみる


【目次】

大手町・丸の内・有楽町の現在と未来

お濠端・丸の内の景観の歴史

「美観地区」の指定(1929〜1948年)

超高層時代と霞ヶ関ビル(1960年代)

「美観論争」東京海上ビルの改築(1966〜1970年)

「マンハッタン計画」以後(1988年〜)

丸ビル解体(1997年)

丸ビル超高層改築計画公表される(1998.4.16)

1998年1月以降の動き(1998.1〜)

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歴史的建築の保存・活用

東京都による都心の位置づけ

千代田区の計画

文学作品にみる丸の内

【御意見はこちらに】

【掲示板】


何かございましたらkeikan@ud.t.u-tokyo.ac.jpまで

<運営:東京大学工学部都市工学科 都市デザイン研究室>


→ 丸ビル再見!(東北芸術工科大学 前川助手のホームページ)

→ 京都・鴨川歩道橋計画案を考える(都市環境デザイン会議関西ブロックのホームページ)