1998.12.9 ONE〜SANさん(会社員)
はじめまして。
以前から東京駅周辺の古いビルたちのことは知っていましたが、あの周辺の環境・開発についてこのように活発な意見交換がなされているとは知りませんでして、感心している次第です。
さて丸ビルにつづき工業倶楽部が取り壊されるとは、哀しいです。
こうした遺産的価値のある建物の保存は確かに大切にしてほしいと私も切に思いますが、たとえばすぐ近くにある明治生命館ですが、あれほどのものでさえ、やっと今年(平成10年秋)に国から重要文化財の指定を受けられたのです。
古い建築物ほど、その修復と保存は普通以上のお金がかかります。たとえ国が重文に指定しようとも、そこに補助金を出してくれるのかといえば、わずかしかでないと聞いています。(正確には2分の1国が補助。その他敷地の地下税を2分の1に減税等の優遇がうけられる。ただし登録文化財の指定を受けること。)だからといってメンテナンスはあくまで所有者なのです。
これではいかに本人が残したいと思っても難しいのではないでしょうか。
また誰かが言っていたのですが、あと100年も経てば、新宿副都心の高層ビルさえも同じ様な感慨をもってみんなに見てもらえるかも。と…
まあ、現地保存できないなら、せめてどこかに移築して残してほしいですよね。
1998.9.3 安永省二郎さん(麗澤瑞浪中高校教員)
はなはだ情緒的で無責任な一国民としての感想ですが。
私は岐阜県の私立校の教員です。
8月初めの千葉県への出張の際に、夜行バスで東京駅に降り立ち、皇居一周の早朝散歩を楽しみました。150分がとても豊かな時間に思えました。これからも、四季を問わず、時間を問わず歩き回りたいと思いました。
今日このページを見て、多くの人によってこの景観が守られ、さらに創造されつつあることを知り、ホッとしたような気分です。
このページのますますのご発展をお祈りします。
1998.8.11 kazunori doiさんの質問への回答(管理者)
ご回答が大変遅くなりまして恐縮です。
さて、新丸ビルと丸ビルの類似性の件ですが、結論から先にもうしますと「模倣」と云うよりも、行幸道路に対して左右のデザイン的な対称性を意識してデザインの連続を保ってつくられたものという感じでしょうか。
(結果的に丸ビルの印象に極めて近い建築が出来上がっているわけですが)
もともとの丸ビルは主階(最上階と一階部分をのぞいた2〜7階)は薄い黄色のタイル、一階と最上階は装飾を伴った人造石の仕上げでしたが、震災後一時モルタル仕上げになり、その後昭和10年代以降解体までは御存知の、全体に白(クリーム)を主とした平滑なタイル仕上げ、と変化しています。
*正確には更に昭和58年頃外装を改修していますが、その時はそれ以前の外装の意匠を保存して改修しています。
新丸ビルは戦前(昭和12年頃)に設計されましたが、戦時体制下の物資統制で工事が中断され(基礎部分のみ残され防火漕に利用されていました)、戦後(昭和27年)になって完成しました。つまり設計は戦前期のもので、前記の丸ビルの外装改修の歴史の延長線上に位置づけていいものです。
両者とも三菱地所部の設計陣(特に丸ビルは桜井小太郎という名建築家がリーダー)によるもので、特に丸ビルは東京駅前の整然とした風景の要となっていました。
この東京駅前の整然とした風景は、この二つのビルの対の他に、東京中央郵便局・旧国鉄本社の対とあわせて四つのビルによって形成されているわけですが、31mの揃った高さ、白い(或いは淡い色の)タイルによる仕上げのモダニズム建築が広場を取り囲み、お濠端の格調ある31m軒高の建築の連続とひと味違う、他に類を見ない印象的な景となっています。
また、これらの建物が震災復興の時期から戦後までの数十年あまりの間にわたって、徐々に形成されてきたという、景観形成に払われた努力の歴史は、現代のわれわれもご指摘の通り「周りを見て建てる建築」の例として評価する必要があるように思います。
丸ビルが解体された昨年まで、長い間、東京駅に降り立って最初に見えた風景であり、それが歴史的なものとしてたくさんの人に親しまれてきたという事実は大変重要です。この景観をなし崩し的に解体させず、市民・行政・地権者・専門家が知恵を集め、次代に受け継ぐ努力が必要だと思います。
担当記
すみません。質問したいのです。
新丸の内ビルディングは丸ビルそっくりですが、あれは模倣作品という
事なのでしょうか。あれも良い建物と思います。
でも、戦後にあれの真似をするなんて、珍しくて、凄いと思いますが、
それだけ丸ビルが標準的な名作だったのでしょうか。
あれが、周りを見て建てる建築の良い例なのではないでしょうか。
トークインpart2の日は、別の会合のため出席できませんので、私見を申し述べます。
まず小生の基本的スタンスは、丸の内のスカイラインを軽々に改変することに危惧の念を抱く、という点を明らかにした上で・・・・・・、ただ闇雲な反対や、ノスタルジックな感情に基づく反対論では効果が薄いと思います。
必要なことは、当該地区現況の歴史的・文化的価値を検証することと共に、当該地区の容積制御の観点から見た再開発の妥当性(もしくは否定的側面)を検証すべきだと思います。
つまり『丸の内地区として、千代田区として、23区として、東京都として、首都圏として、当該地区での適正な容積とは』という問いに対する合理的な回答が存在することをもって再開発計画へのゴーサインの必要条件とすることを、関係各位に働きかけていただきたいと思います。
1998.5.27 山川さん(会社員)
工業倶楽部が取壊しという話ですか??
正確な話がわかったら教えてください
【質問への回答に代えて(報道から)】(管理者注記)
●日本工業倶楽部ビル高層化(98.6.30)
三菱地所と社団法人日本工業倶楽部(平岩外四理事長・会員約1600人)は6月30日、東京・丸の内の「日本工業倶楽部会館」と隣接する永楽ビルヂング(三菱地所)を含めた0.8ヘクタールの再開発し共同ビル化することを決めた。2001年着工、2004年の完成を目指す。日本工業倶楽部会館と三菱地所所有の永楽ビル二棟を一体的に再開発し、高層ビル一棟を建設する。日本工業倶楽部は借地権を三菱地所に売却して建設費用を捻出、再開発ビルを区分所有する。
三菱地所は総額5000億円を投じ、今後十年をかけて「丸の内再整備事業」を進める計画だが、今回の再開発は四月に発表した丸ビル建て替え計画、旧国鉄本社跡地に続く第三弾。都心の大規模新築ビルの賃貸市況が改善しているため、設備投資をできるだけ前倒しする。三菱地所の推進する「丸の内再整備事業」は、丸の内の老朽化するオフィスビル5.6棟の建て替えをすすめる計画。
日本工業倶楽部ビルは1920年に完成した歴史的建造物。戦前から財界人のサロンとしての財界活動の拠点的機能を果たし、戦後も発足当時の経団連の事務所がおかれたほか、現在でも日経連と経済同友会の事務所がある日本の産業界のシンボル的存在になっている。近年は老朽化や耐震性の問題が取りざたされていた。三菱地所は同会館の歴史を重視し、新ビルの外観に現会館のイメージを残すことなどを検討している。
[1997年7月1日の報道を総合]
1998.5.1 野上 哲さん(毎日新聞社)
この前、出張で東京に戻った時にブラブラと堀端を歩いてみました。
確かに、あの辺は都心の中でも空が広いという印象があります。ビルが覆いかぶさってくるという圧迫感がない、気持ちのよい場所です。
僕自身は、例えば新宿などのようにずっしりと質という量的に迫ってくる所を歩くのも、何だか時代の精神そのものを象徴しているようで好きなのですが、濠端辺りにある整った美しさも残すべきです。というのは、整然と猥雑、表と裏、権威と大衆といった二面性があるからこそ、東京は面白いと思うからです。
1998.4.29 (ハンドル)nnn さん(?)
どのような計画にしろ、ビルの外壁の緑化、太陽光発電装置、小型風力発電装置、雨水貯蔵タンク等を設置し、ヒートアイランド化を防ぎ、自然エネルギーの利用を促進し、資源の有効活用を行い、真に人間・環境・地球に優しい街づくりを行い、これからの都市形成における基本を掲げるべきである。
1998.4.19 (ハンドル)なんですか さん(学生)
>小さい写真で細かいところは判りませんが
今日来たら記事や写真の頁できていて、よくみえました。デザインはんぱでいまいちですね。
1998.4.18 (ハンドル)東京優駿 さん(フリーター)
新宿みたい・・・
1998.4.18 (ハンドル)伊藤 さん(小学校教員)
新聞を見て、なんかないかなとyahooからたどってきました。勉強になりました。
1998.4.17 (ハンドル)東京駅前を日々通る者 さん(会社員)
会社が馬場先ですから行き帰りに東京駅前を通ります。丸ビル跡に何が建つのかすこし気にしていましたが、会社で今日の新聞をみて何とも言えない気分になりました。
東京駅前は確かにどこか閑散としていて余り親しみやすい空間でありませんが、空の広いのと整然とした古い建物が、ほかにない特別な場所なのだな、と思わせる雰囲気をつくっている駅前でしたから、丸ビルの跡に超高層の記事を見て、結局「ここも地方の大きな駅前と変わらなくなってしまうのか」と思うと何とも言えない寂しさがありました。 昔東京海上や郵船を壊しているとき、横を通ってもったいないと思ったことや、赤い今の海上ビルでもめていた頃の話などを思い出しました。学生さんの意見に書いてありましたが、周囲の建物、雰囲気とうまく調和する計画に修正できないでしょうか?
幸い大地主の三菱地所さんですし、高層ビルの位置を丸ビル以外のところに移すとか工夫ができないでしょうか?
1998.4.17 (ハンドル)なんですか さん(学生)
前々から丸ビルの跡地の囲いをしげしげ見て、マンションなんかだと出ている新築案の絵の描かれたの看板がでていないので「何でだろ」と思っていましたが、17日の新聞を見て納得?しました。
小さい写真で細かいところは判りませんが、とにかくものすごく高い建物であること、もとの丸ビルくらいの高さの低層部分がすこしついていること・・・このサイトでみましたが、結局10年前ボロクソにたたかれてダメになった「マンハッタン計画」をやろうとしているのではないでしょうか?そんな印象を持ちました。
もう決まったことかと思いましたが、計画とのことですから、もう少し周囲の環境や建物とうまく調和するようなビルを建てて欲しいものです。
1998.3.26 (ハンドル)ご まさん(公務員)
新しいものを作っていくことは必要ですが、古いものとうまく共存させていかなければ意味がないと思います。
その意味で東京駅などは素敵だと思います。
ただ、公共建築物と違って、一企業の所有物であるだけに、丸ビルは規制をかけるのが難しいのでしょうね。
周囲の建物とうまく調和するようなビルを建てて欲しいものです。
1998.2.6 筏 純一さん(都市環境研究所/アーバンデザイン研究体所属)
この間の意見等を拝見する限りにおいては「歴史的建造物等」の保存といった視点からのみでは、土地所有者の開発意向に対して積極的な賛同を得ることは時期的にも困難になってきているように感じられる。もちろん、この間の法改正や事業者等の開発意欲に伴う十分なオルタナティブスを前提とした見識ある議論がなされた結果このような新しい東京駅周辺地区あるいはお堀端に至る空間構成が提案されているのだろう。従って、スカイライン云々の検討は今後も詳細なスタディを重ねるべきだが、むしろ当該地区がかつてバブル前後に議論された「アーバンビレッジ(なかでも東京都心部における島々とも比喩される副都心群=渋谷、新宿、池袋、上野、東京・銀差等々)」のなかでどのような都市景観的特徴を有し、さらに今後どのように方向づけされかつ個性化が期待されるのかといったことを明確にすることがなにより重要であると考える。
私自身この間の関係行政機関・当局あるいは民間事業者等での様々な検討経緯を存じないため、軽々しく私見を交えることには慎重にならざるをえないが、ことが進行した場合、多少とも気になる点に関して、不遜ながら「意見のその1」として以下のことを指摘したい。
それは、新しく形成される街区群(スーパープロック?)における「光と影の演出と効果」といったことである。
当然のことだが、都市空間における光と影の存在は、我々にとってまず昼間時に意識される。これを空間的価値として享受可能な場は外部空間のなかではいわゆる「公共的空間」であろう。例えば歩道、公園・広場、あるいは公開空地等であり、自然光のなかでは街路樹や低木植栽・花木などがそれらに季節感さえ与える。すなわち、建て込んだビル群のなかでの十分な天空率、日照・日斜条件の確保が望まれる。
一方、黄昏時を含めて夜間時の主役となるのショウウィンドウを含めた建物や街路照明等々の人工的光である。これらは魅力的で美しい都市空間を演出する一方、影を空間の隅々にもたらすためややもすると犯罪の温床ともなりかねない面も有しており問題も少なくない。とくに、オフィス街の場合、夜間シャッターで閉ざされ無人地帯となることは今後できるだけ避ける手だてを講ずることも大切である。例えば、1階部分の24時間トイレ・避難所の設置・開放が考えられてもよい。
このように、光と影の演出と効果はきわめて表裏一体の関係にあり、このことは単なるデザイン上の処理といった表面的な問題として扱われるべきではないものと考える。
以上、誠に書きにくい文章上の枠組みとはいえ一応意見を伝えておきます。
◇
追伸
ところで低層階や展望階における「商業空間構成」はどのように考えるのでしょうか。八重洲地下街やJR駅構内店舗群との関係、あるいは銀差・有楽町との関係等々に配慮し、主要な動線の流れ方の可能性の検討をすることも重要です。
1998.2.5 宮脇 勝さん(北海道大学助手)
都市や建築を学んでいる者です。シンポジウムの状況がまだわからないため、その前の状態として意見をお送りします。
1月23日の曽根先生のメッセージ番号に沿って、感じたことをメモします。
1)と3)に関連して、1300%の論理について。
現在のような経済不況が激しい中で、容積緩和で土地のポテンシャルを上げる効果が期待されているものの、容積の中身に関連して本当に期待どおりの収益あるいはテナント等の長期的な維持に結びつけられるのかが心配になります。もしも1300%に見合う建物やプログラム(中身)が思うように続かなかった場合、乱立に終わり、土地のポテンシャルや地価だけが上がり、長期的な経済効果はどうなるのか。超高層は本当に林立の計算なのか、2本だけの計算なのか。丸の内という首都の中心部の出来事は、各地から注目されているわけで、失敗したらその精神的影響も広く大きいものでしょう。地区のプログラムの確かさがどう計れるのか。あるいは如何なる条件下でも変換し得る耐久力のある地区プログラムになるのか。この場合、業務商業文化複合プログラムなのか。文化と商業メインの地区にできるなら無理してでも中層にすべきでしょうに。いずれにせよ地区の指定に関連して、長期的な視野に基づく堅実な計算結果が強く求められる時代だと思います。
4)の19世紀的景観の価値について。
この掲示板の皆さんのメッセージを見ていて、この点については考え方がバラバラだと思います。様々論点があるとは思いますが、一般に市民や個人の建築家でも考え方、レベルもまちまちで、多数の意見がいつも正しいとは限らないのがわが国の現状かと感じています。原因のひとつに、都市計画を視野に入れた教育が一般に市民にも建築家にも浸透していないことが挙げられます。
しかし、「あるべき論」として、東京の顔の部分を広く議論し、議論を展開する必要があることは多くの方が感じていらっしゃることと思います。まず、「あるべき論」を広く議論した上で、「実施論」を見る姿勢が定石と思われ、例えば「あるべき論」の取り方として、
1.将来の丸の内は日本における19世紀的街区の記録としてあるべき
2.本来百尺と100m基準であるべきだが、現在の経済状況からみてどうしても特例として高くしなくては乗り越えられない時期のできごととして黙認する(つまり、百尺・100mに記憶があるべきで、現実には高くしたとしても、将来はあるべき高さにもどすべき地区と承認しておくという意味)
3.あるべきなのは実質景観効果だけであって、公共空間は大規模公園だけと考えた場合、高さ規制の効果が見られる皇居外郭側のスカイライン基準で、1300%容積規制に重ねて眺望型高さ規制をかける(つまり現状から見て公共視点場からの高さ規制効果が確保できれば他は乱立を許す。しかし公共空間がもっと沢山あると認識するともっと規制は厳しくなる)
4.街区形態コントロールすべき地区の設定(ボリュームプランが描けるのか。例えば、海外の場合のように一律の容積規制をある地区だけ一旦はずし、地区ごとのあるべき街区設計を行う。例えば、ベルリン再開発地区、パリZAC対象地区、ナポリ新業務地区など好事例は多数見出せるでしょう。)
5.絶対高くすべき地区の設定(その場合、地区指定面積がどう設定するのか)
以上5つの例の他にも「あるべき論」としての決着は今どこなのか。また、3や4の例の場合シュミレーションの手法と結果が重要になるでしょう。こうした論議のやり方自体が、これからまちづくりやアーバンデザインを考えていく際に国内の教育的効果に結びつくようにと切に願います。
それでは1月31日のシンポジウムの記録が紹介されるのを待っています。
1998.1.30(ハンドル)K.Hさん(会社員)
30日のNAさんのご意見、私も同感です。「剥製みたいな銀行協会」、言い得て
妙ですね。「張りぼて建築」という表を耳にしたこともありますが、こちらの方が
真に迫っています。空中権の指摘も同感。空中権の売買(あるいは移転)が積極的
にできたらまちづくりの方法ももっと多彩になるでしょう。法の整備を望みます。
ただ「ビルの高さが揃っていれば風格のある都市景観になるのか」「進歩がない」
という声は超高層を闇雲に促進したい地権者・開発論者がよく口にする言葉でもあり
両刃の剣でしょう。進歩とはいったい何か・・・その土地の歴史風土や性格(東大の
鈴木先生的にいえば「地霊」)をよく考えて建築をしなければならないと思います。
外国のモノ真似ではない町並みを模索する・・・明治以来の難しい課題です。
1998.1.30(ハンドル)NAさん(学生)
野村ビルや東京銀行協会のビルを見る度に僕はなんだか不思議な気分になります。
なんだか動物の皮を剥いで腰に巻き付けている昔見たターザンを思い起こしてし
まうのです。あんな風に皮だけ張り付いて残される古い建物も可哀想だなと。
遠くから見ると,何となく根本の腐った柱(あるいは墓石)のようにしか見えま
せんし。どうせお金をかけるのならもっと恰好よく保存して欲しい。
空中権の売買とかができれば,件の旧東京銀行協会などもそっくり保存できたの
では。そしたら,400mの高層ビルの横に明治の建物や公園などがあっても別
によいと思います。
ところでビルの高さが揃っていれば風格のある都市景観になるのでしょうか。第
一風格のあるとか調和のとれたかいうのは欧州の街を念頭に置いていると思うの
ですが,外国のモノ真似では,100年前から進歩がない。
別に風格などなくても,もっと個性的な(恰好いいという意味で)印象に残るイ
キイキした多様な街並の方が面白いと思います。しかしながら何の根拠もなく1
00m前後の四角い寸胴なビルが次々と建ち並んだ今の丸の内だって,都市景観
にまで日本人の横並び思考が現われていると考えれば面白いには面白いですが。
私は都市居住と建築形態について若干の研究と提言をしていますので、丸の内が複合
機能を持つ地区であれば、当然、容積緩和など荒唐無稽で反対します。しかし当地域
は業務集積地区です。したがって次のような議論があるべきで、その結果も知りたく
思います。
1)1000%を1300%にする政治的、経済的根拠はどこにあるのか。
(容積を緩和していくことは地価の高騰に連動する。)
2)再開発協議会の結論はフィジカルなスタデイを行った結果なのかどうか、机上の
論議だけなのかをまず質問したい。
3)容積が1000ー1300%になると、当然超高層の林立といった建築形態
が予想されるが、(事実丸ビルの再開発で実現しつつある)その場合街としての
外部空間はどのように変わるか。それをどう評価できるのか。
4)丸の内は国際的にも希なる19世紀的な街づくりの結実であるから群建築の遺産
的価値として保存すべきといった意見がどれだけあるか。
5)一般的にみられる歴史家、文学者等の保存の論理と不動産事業者の経済
論理との乖離をどのように調停できるのか。
あの辺は空が広くていいな、と思ってます。
ページのなかに超高層ビルがびっしり生えている(^_^;)計画の
絵がありましたが、単純な感想ですが、いやな感じがしました。
土地の持ち主だから何をたてても構わない、というのは
なにかおかしいように思います。
その土地その土地なりのよさを活かすほうがいいのではないでしょうか。
1997.12.16(ハンドルネーム)Mughichaさん(建築事務所・NY在)
三菱地所のマンハッタン計画はやはりバブルの威勢のいいときにできた
ものという感触があります。この計画の決定的な欠陥は、名前に取り上
げているにもかかわらずマンハッタンの街がどのように機能していたか
理解せず、超高層をならべるだけのデベロッパー発想のみを祭り上げて
いるところにあります。すなわち、マンハッタンが魅力的な街である理
由は超高層ビルが林立するからではなくて、業務ビル、住宅ビル、商業
施設の融合と、歩行者のスペースとしての広い歩道を持ち建物壁面でき
ちんと囲われた(空間的に締まりのある)ストリート空間にあります。
まず金融関係業務のみを集めるという発想は、今の大手町(三菱村)が
週末にゴーストタウンになる事から何も学んでいないという点で驚くべ
き事であり、また都市空間を設計する上で新宿西口のように人間の活動
もなくただ風の通り道になる意味のない足元空地や臨海副都心のように
平気で高架の「新交通システム」を通したりしてストリート空間を殺す
ような安易な都市設計ではゴーストタウンの拡大でしかないでしょう。
マンハッタンのビルはほとんど全てが一階に店舗・料飲施設が張り付い
ており、何もない壁や過大なセットバック(公開空地的な足元スペース
)は歓迎されていない事をなぜ学ばないのでしょうか。これだけ他国か
ら学ぶ事が得意な日本なのになぜ、と不思議でなりません。
とりあえず今の経済状況でこの計画がつぶれたのは日本・東京にとって
よい事だと思います。都市の進歩は必ずしも超高層ではありません。低
層の町作り、歩行者のための都市空間、経済活動を奨励するための街に
は住人も必要です。この部分の開発が皇居に対して不敬である式の議論
のみで判断されるのは危険であり問題の取り違えでもあります。東京の
中心であるこの街がどのような街であるべきなのか、日本で一番住みや
すい町を作るべきなのか、今までなかった都市形態を試行するべきなの
か、議論をするべきです。
私はニューヨークにあり、超高層ビルを数多く手がけている設計事務所
に勤務していますが、超高層が必ずいい解決法であるとは考えていませ
ん。事務所としての経験が多い分その問題点もよく理解しているつもり
です。
1997.12. 7 (ハンドルネーム)E.H.(東京都勤務)
私の思うこと。
専門的なことはわかりません。
が、東京駅のあたりが200M級になるのはこわいです。
(200M級の都庁を母体とする私がいうのもへんですが)
今でも思わず空を探し、上を見上げて歩く街ですが
空のない人のいない、どこで呼吸をしていいかわからない
そんなところになってしまいそうです。
そしてせいの高いビルディングが立ち並ぶと、私の大好きな今の東京駅が
似合わなくなり、近代化されてしまうとやだなと思います。
と書きながらなさけなくなりました。
成人であり一国民であるはずなのに
こんな意味もない考えしかもってないとは。
1997.11. 5 (ハンドルネーム)「都市化石」(大学生)
<丸の内・皇居前の景観について思う>
はじめまして。こんばんは。都市の建築のあり方、都市景観に関心のある者です。
昨日「大手町・丸の内・有楽町地区まちづくり懇談会」(三菱地所はじめ地元企業と都、千代田区の協議の場)の第4回懇談会の内容が発表されまして、さっそくとりよせて見てみました。周辺の人間にこの件についてのコメントを求めてみましたが、だいたい、以下のような感じです。
(全体について)
・総花的で具体的な像がわからない。
・何をいっているのかわからない。
・「皇居周辺の水と緑を眺望できるよう」というのは高層ビルから眺める、ということ?
・航空法ということは250mまでは無規制?
(150〜200mのスカイラインについて)
・何のことはない。昭和63年の地所の「マンハッタン計画」の焼き直しではないか。
(当時ぼろぼろにこき下ろされたのにまだ諦めていなかったのか!)
・オーバー・ゾーニングの都心にさらに人を集めるつもりなのか。
・インフラのパンク、交通混雑に不安(よりひどくなるのでは?)。
・皇居前など周囲の環境への影響は大丈夫か?(日照・風害など)
・「多様性の表象」とは何?(笑)
・「各拠点においては(中略)概ね200m程度」・・・拠点を強調する必要性は?
・「統一性に配慮し」「調和に配慮しながら」というがどうするつもりか
・大手町には今でも120〜130mくらいのものがあるが、丸の内・お濠端はまだ31mの軒線の名残が強く見られる。とりわけ東京駅前は中央郵便局・丸ビル(解体されてしまったが)・新丸ビル・工業倶楽部・旧国鉄本社・・・と31mの歴史的な、拡がりのある空間が保たれている。お濠端も重文指定の明治生命館を中心に百尺の水平の拡がりが保たれ、風格ある都市景観をつくっている。この事実・歴史的資産をどう考えるのか。
・たしかに丸の内など都心の「地盤沈下」「老化」は問題であろう。
・単純に多機能化・超高層化して問題が解決するとも思われない。
・都心としての歴史性・風格をどう継承し活用していくかを考えたい。
・景観問題も含め、当該地区の役割・性格を東京全体から考える必要があるだろう。
(その他)
・文字面の配慮や含みを残しているな。
・「表情線」とはなにか?低層部の軒線のこと?
・基壇部分を31mでそろえても印象は一変してしまい、解決にならないであろう。
・「軸」「表情線」など曖昧なことばが多い。
・・・とこんな感じで、「概ね」酷評。この指針大丈夫でなんでしょうか?