西村幸夫教授 退職記念関連行事リレーシンポジウム③及び最終講義のもよう(裏方より) 前編

みなさま こんばんは

今回は、2018年3月16日に丸一日を通して行われた西村幸夫教授退職関連行事リレーシンポジウム③および最終講義のもようをお伝えします。語り手は私、M2の松本が、前回のリレーシンポジウム①に引き続き務めることとなりました。どうぞ最後まで、おつきあい下さいませ。

DSC_8183.jpg前回、憚りながらこの場をお借りしまして、リレーシンポジウム①のもようについてお伝えしました時は、全体的に内容濃く、講義の詳細を極めた記事といたしましたので、今回は一転趣向を変えてみようかと思います。終日この行事に費やした、その前段階としての準備たるやたいへんなもので、当日も大勢の人びとにお越し下さり、それはそれで非常に喜ばしいことだったのですが、その大人数をさばき、行事そのものの進行役を果たした裏方一同のご健闘あっての大成功でありましょう。私も一裏方の人間として当日は、微力ながらお力添えさせていただきました。ですので、今回は、裏方としてみた行事のもようといたしまして、ここに一筆したためようかと思います。ゆえにシンポジウムの詳細につきましては、さほどこだわらないつもりでおります。また別の機会にどなたかが事の詳細をお伝えするやもしれません。

なお、記事は前編後編の二段構成にするつもりでおります。これは講義そのものが合わせて4時間にも及ぶ長編であったことから、ひとつでは収まり切らないと判断したためであります。前後編合わせてお読みくだされば望外の喜びであります。

では早速、「西村幸夫教授 退職記念関連行事リレーシンポジウム③及び最終講義のもよう(裏方より) 前編」、シンポジウム③のもようを中心的にお伝えしていこうと思います...

当日はじめじめした雨の降る、生憎の天気でありました。じっとりと肌にまといつくような湿気にうんざりしながら、傘を斜めにぺたぺたと雨の中を歩いた記憶があります。会場となります伊藤国際ホールに着きました時には、既に会場設営の準備が始まっておりまして、大きな机が右から左へ動いたり、段ボールから大量の冊子が取り出されてぼんぼんと積み上げられたり、大きなパネルを一列に並べたり、人びとは忙しく立ち回り、指示する声はあちらこちらとかわし合って、目まぐるしくすべてが動いておりました。

この時刻にはシンポジウム②が別会場にて開催中でありました…

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上階から下りてくる階段からの導線と、エレベーターから出てまっすぐ進んでくる線の、そのふたつが交差する地点にシンポジウム③の受付が置かれ、そのうしろがメイン会場への入り口、受付の右と左に一つずつ重厚な造りのドアがあります。受付の斜め正面右手には季刊まちづくりのバックナンバー展示場、その裏手が控室。「お昼食べた?買ってきた?」到着そうそう時間のある今のうちにと、パンの包み紙を開ける音、キャップをひねって喉を鳴らす音、僅かに薄い仕切で会場と隔てられただけのせまい控室の中はたちまち食べ物のにおいで充満しました…

会場の説明を続けましょう。受付の左手奥には机が並び、その上に西村先生の全著作をはじめ、各プロジェクトのパネル、冊子など、西村先生と研究室に関わる資料の展示スペースとなっています。それらの横には会場内の様子を映したスクリーンと簡易椅子が何脚か。会場内が満杯になればここを使うよりほかに無しと準備されたもの。受付から右手の、階段とスロープを下りた先が一段低くなった多目的ホールで、シンポジウム等々が終わったその時を待つ食器類やグラスの類が、今は静かに青いクロス布を被っております。

DSC_8147.JPG来客は唐突に現れました。気がつきますと目の前に初老の女性とそのお連れ様が、どうも御夫婦のようでしたが何かもの言いたげにたたずんでおりました。つい今しがた上階から下ってくる右手の階段よりお越しいただいたようでした。私はぽかんと見つめるばかりでしたので両隣がてきぱきとフォローしてくださいまして助かりました。品の良いお二人でありました。その一組をはじめとして、続々とお客様が到着いたしました。そこからはひたすら、愛想好くご挨拶して、お名前を伺って、そのお名前を名簿リストから探し出して、最終講義への出欠の有無をおたずねし、最後に会場のドア両脇に待機する資料配布係へと誘導する、その一連の流れの繰り返しでした。ほんとうに幅広くさまざまな年齢の人びとがいらっしゃいました。小さいお子様はさすがにおみかけしませんでしたが…一度など、人の近づいてくる気配にぱっと顔を上げた途端、細面の、すらりとした方が立っていらして、そのすずしげなまなざしを正面からじっと受けて、思わずどきりとした経験があります。ご遠方からお越しの方でした…

DSC_8151.JPG正面にある、季刊まちづくり展示スペースも、目線を向けた先の斜め前だけによく見えたのですが、足を止めて見入る人が沢山いらっしゃいました。ここはのちのち大混雑となりましょう。

来客があらかた入場され、受付も閑散としてきましたので、私どもスタッフも中に入り聴講することになりました。既に開場のあいさつはおわり、和歌山大学の永瀬節治准教授による趣旨説明も済んで、登壇者紹介の段階になっていました。

DSC_8189.JPGシンポジウム③の正式なタイトルは「歴史を生かしたまちづくりの到達点とこれから」になります。登壇者は6名。飛騨古川の話題を提供していただきました株式会社美ら地球顧問の加藤時夫氏、千代田区役所勤務で神田のまちの歴史について語っていただきました小藤田正夫氏、西村幸夫町並み塾実行委員会事務局としての立場から巧みな話術で会場を沸かせた埒正浩氏、ここで毛色が変わって、研究室のOGで「町並み制度成立史研究会」の中心人物であり、現在は文化庁にお勤めの下間久美子氏、話題提供はこの四人で、ほかにコーディネーターとして弁護士の岡崎篤行氏、コメンテーターとして新潟大の日置雅晴氏がもう一方の側を占めて、壇上にはこの6人が揃います。

シンポジウムのテーマ設定は、「歴史的環境保全の展開と現在」であり、冒頭にご説明戴いた永瀬氏によれば、その内容は大きく以下の四つに分けられます。1.保全関連施策・制度の拡充、2.文化財とまちづくりの接近・総合、3.歴史的な空間ストックに対する価値認識の広がり、4.地域の持続再生の立脚点としての歴史文化。キーワードは、まちづくりの担い手、制度、マネジメント、理念の継承。これらの内容を踏まえた登壇者の講義とディスカッションが準備されている、という訳です。

前半が、会場から向かって右手にいらっしゃる登壇者四名からの話題提供。各々が自らの人生観を交えつつ、「まちづくり」のこれまでとこれからについて、語る調子はそれぞれに、いずれも熱意をもって臨まれました。

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後半が壇上6名に+会場内からも多数の飛び入り参加を賜ってのディスカッションらしからぬディスカッション、その雰囲気はまさに同窓会的なぬるま湯状態、久しぶりに顔を合わせたかつての学友同士の挨拶も兼ねた意見交換会となっておりました。

主に議論されたのは「お金」について。たとえ熱意とやる気と体力知力があっても、お金なくしてはどうにもならないのが世知辛い現代社会というものです。加藤氏が飛騨古川を例に、国と地元行政の取り組み姿勢、熱意の差ということを指摘したうえで、現状ではこれ以上の保全は難しい、金銭面と知識面においてもっと国に支援してもらいたいと意見しました。特に金銭面での負担を苦にされているようでした。これにたいして国(文化庁)の立場から下間氏が、登録文化財として認定されるだけでたいしたこと、補助金に依存するのではなく、いろんなところからお金を集まるルートがあるのだからそれを活用すべしと、金銭に関しては慎重な態度を見せました。また、別の角度から小藤田氏が、住民が地域のために支払う税金(固定資産税)を住民自身が使える仕組みすれば理想的だと発言しました。地域貢献が金銭的な基準で計られ、それが路線価の上昇に表現されるような結果を生むのであれば、その取り組みの果実である利益の増加は何よりも住民に還元されるべきであると。それをなにゆえ行政が取り上げてしまうのかについて語りました。

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最後に登壇者それぞれが「歴史を生かしたまちづくり」のこれからの展望を述べました。

まず加藤氏は、ネットワーク・地域の力・人を育てる、の3点を上げられました。この人は本当に人間の良心と地域の潜在力について、その可能性を深く信じておられるのだなあと思いました。

続いて小藤田氏は、地域を経営するという姿勢の必要性を強調されました。エリアマネジメントの担い手は「現代版家守」であり、その財源として固定資産税を使える仕組みを構築したい、そうすれば路線価上昇→賃料UPをもたらし、地域の安全と繁栄をもたらす回路が開かれるのではないかとおっしゃられました。

埒氏は、まちなみ塾について、これからはまちづくりが軌道に乗っているところではなく、その停滞期にあるようなところ、どうも上手くいっていないな、というところで開催したいと希望を述べられました。自分たちの活動が、少しでもそれらのまちの役に立つようなことがあれば望外の喜びであり、保全活動から始まってこれからはまちづくり活動の普及啓発が自分たちの使命だと結びました。

下間氏は、自分たちの世代が、海外でまちづくりの最前線の専門的な教育を受けて、いざ日本に帰国したら適当な就職先があまりにも少なかったという自らの経験を引きつつ、日本でももっとまちづくりの実践の場を、職業活動領域として確立させるべきであるとおっしゃられました。

岡崎氏は、歴史を生かしたまちづくりという姿勢そのものが、かつての少数派から現在の多数派にまで成長したさまを評価しました。時代は確実に変化している、アジアの豊かさが高まり、量より質を重視する人びとは他とは代え難い体験を求め、産業構造そのものにおいて観光産業への比重が増してくるであろうこれからは、まちづくりにとってひとつのきっかけになり得るであろうとおっしゃられました。

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以上はシンポジウム③の概要ですが、今回は、前置きでもお示ししましたように、詳細については踏み込むつもりはございません。ただ、特に印象的なスピーチだったと、私の独断で勝手に判断しましたお二方のみここで簡単に紹介したいと思います。

おひとり目は神田の話題を提供していただいた小藤田氏。江戸時代のまちを治める「家守」の仕組みを興味深く拝聴いたしました。家守とは、不在地主が多い江戸の町にあって、地主の代わりに店子の選定から家賃徴収、借家人も含めた生活全般の面倒を見ただけでなく、警備や消防の役まで中心的に担った存在です。この時代は固定資産税がありません。まちの公共事業を担ったのは地主であり、家守であり、その下で住み働く無数の職人・商人たちであります。自分が生活する場所のためにお金を集め、自分たちで使う。自らのまちに関する全責任を住民自身が負う。その心意気が、氏も紹介したように、平河天満宮の鳥居に刻まれた「町々安全、商職繁昌」という言葉によく表れていると思いました。私の着目したのは、まちづくりにはお金の話、さらにはマネジメントするという考え方が欠かせない、何よりも人をまわし、お金の流れを生むためには、そんなところでしょうか。

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おふたり目は西村幸夫まちなみ塾実行委員会事務局の埒氏。まちなみ塾誕生の経緯は、氏によれば平成15年の全国町並みゼミの懇親会にて、西村先生から、一過性のイベントとしてではなく、まちなみ保存について継続的に学べる場が必要なのではないか、そしてまちづくり第一世代の高齢化という現実を受けて、彼らがまだ健在である今のうちにそのノウハウや生きざまに触れてみることも大切ではないかという指摘を受けた、それがきっかけだったそうです。

まちなみ塾では、リーダーの生の声を聴くこと、そこからゆるぎない視座を再確認することをモットーに、毎回ボランティアの手によって、北陸の大地で開催されてきました。毎回異なるゲストをお招きし、ゲストの講演から西村先生との対談、まちづくり団体の活動報告、見学会を経て、〆は一人一分間スピーチ。活動の醍醐味は、何よりも懇親会でのお酒の力を借りた本音トークだと看破されるところはさすが、米どころに旨い酒、旨い肴ときましたら、自然に会話も弾みましょう。私自身、現在北陸のとある地方の郷土色も濃厚に、余すところなくうち出しました小料理屋で働いておりますから、地酒の豊富さ料理の美味しさ心得ているつもりです。この度、お料理を弥生のメニューに更新いたしまして、白海老の唐揚げや若竹煮、山菜の天ぷらなどが登場、お通しにはホタルイカがあらわれる日もございます。まもなくお酒も新酒が出されますから、模様替えしまして、また彩も変わりましょう。

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氏の講演で最も印象的でしたのは、何と言っても持ち時間の大半を費やしたまちなみ塾歴代ゲスト総紹介コーナーでしょう。1人も言い逃すまいと58人分全員を紹介されました。ただただ圧倒されながら眺めておりましたが、これだけ沢山の方々が、それこそ年齢もばらばら、たどってきた人生の路もそれぞれ、関わる場所すら交差することのない、こうした機会がなければ一堂に会することすら珍しいでしょうに、ある意味では夢の共演というような装いの紹介コーナーでした。

まちづくりには、分野横断的なところがあって、各専門家が自分たちの持ち寄った題材で議論できるところがあり、また一般の所謂素人でも、専門知識の有無や学歴に関係なく気軽に参加できるところが一つの強みであると思います。これほどまでに多様な人材が集まり、コミュニケーションが成立するのは、この場所に、この空間に、この町に、この都市に興味関心があるというただ1点のみを共有するからです。人は共通の何かを通して結ばれるものです。そのことを象徴するようなひとときでした。

ただ、シンポジウム③全体を振り返ってみて、私自身の感想をまとめますと、やはりマンネリ化だけはしてほしくないと思いました。歴史的景観の保全しようという姿勢が評価されて、それが多数派を占める時代になった、それだけではやはり先が見えないのです。少数派から多数派への移行には、都市の景観をめぐる思想的な転換点があったのですが、今後も同様な転換点、分水嶺がきっと来るはずです。その時にもまた、柔軟に対応できるのでしょうか。

また、景観を整えること、そのこと自体が価値を生むようになった、そこから景観資源が金銭的に評価されるようになる、そうなるとビジネスとしての側面も意識しなければなりません。景観がお金を生むのは本来ならば喜ばしいことでしょう。しかし、景観もまちづくりもあまりに多数で多分野の人間を巻き込むが故に、価値観の相違や対立点が明らかになり、逆に争いを生む原因となるかもしれません。殊にお金が絡むと人は貪欲になるものです。経済的な利益の増加をまちづくりの目標に組み込むのはある意味では当たり前のことで、人はある程度の物理的精神的な余裕を持たなければ日々の暮らしを快適におくることすら難しく、また何事にもお金が必要な現代社会では、自分たちの使うお金は自分たちで調達したいものです。だからといって地価や賃料の上昇、地域イメージの好感度などでその成果を計られても、それだけでよいのかという疑問は残ります。ここからでは計れない何かもまた、評価すべきではないでしょうか。

翻ってみれば、景観破壊の象徴として今回も指摘された高層マンションなども、利益の増加を見込んだビジネスの空間的な現れの一形態ではないか。現代社会では、とにかく稼ぐこと、資本を増やすことが最善とされますから、このしくみに則る限り、景観を評価しようが破壊しようがその目的はひとつであり、ただ目的達成のための手段が異なるに過ぎない、その意味では、景観保全も景観破壊も同じものです。まちづくりのマネジメントの目的は何なのか、今一度再考すべきでしょう。

多様な人びとが関与することが多様性への鍵だとしても、それが多様な空間と場所に還元されるとは必ずしも言えない、それが私の意見です。個人ではなく、ある程度のまとまりをもった人間集団が、互いに相反する目標を持ち、競い合いせめぎ合い騙しあい、時には協力し合ったり助け合ったりしながら、ともにひとつの場所、ひとつの空間を歩んできたその軌跡が、歴史的な景観であり歴史的なまちなみのあり方なのでしょう。それらすべてを、とまでは少々欲張りすぎかもしれませんが、包みこんでいけたらよいまちづくりになるのではないか、と個人的な考えに至りましたところで、この前半の記事を終わりにしたいと思います。後半は最終講義とその前後のもようをお伝えします。こうご期待ください。