内子、嵐の秋の調査

こんにちは、M1中戸です。
少し遅れてしまいましたが、今回は10/21~23の3日間で行った、内子の追加現地調査について報告いたします。
IMG_1581.PNG▲内子の神社で奉納される「獅子舞」

天候は嵐。台風21号が直撃する中、調査を敢行しました。景観や建物はだいぶ調べていたけれど、神社や寺、祭りや昔の風習・娯楽など、ソフト的なことだったり、重伝建で有名な内子エリアの南側の「天神・五十崎」という地区や、内子から西の大洲」というところなど、まだまだ調べていなかったことを今回は詳しくみて回ってきました。
IMG_1489.jpg▲大洲の歴史的な木造建築「末永家住宅」、通称百帖座敷。大広間がある


天気が天気だったのであまりよく撮れた写真がなく…簡潔にですが、今回の調査をまとめてみたいと思います。


一つは、祭りの調査。
秋は例祭の時期で、今回はちょうど立川という地区にある三島神社の例祭に合わせて内子を訪れました。上の写真はその例祭での1シーン。他にも「しゃぎり」という行列や神様に奉納する宮相撲も行われました。
本当は神輿や行列が山中を巡り、外に作られた土俵で相撲が取られるのですが、台風のせいで今回は境内で行われました。本来の迫力を見られなかったのは残念ですが、地元の小学生や若衆などが神社に集まり、盛り上がっている熱気を感じることはできました。
内子町では他にも五十崎という地区の宇都宮神社や、天神というところの岡森神社などで祭りが行われます。
IMG_1531.jpg▲天神の岡森神社



もう一つは、遺構(?)の調査。
重伝建の内子町が木蠟で名を馳せたことは有名ですが、その南の五十崎や天神もまた、かつては農業はもちろん紙漉きや竹細工、養蚕も栄えたし、あるいは牛の市場の開催地として賑わいを見せたことがあったのでした。戦後には鉱山が採掘され、鉱山労働者のための団地が出来、盛り場としての賑わいを見せました。

IMG_1520.jpg▲正面に見える山はかつて鉱山だった


鉱山が閉鎖した今では、まちを何の気なしに歩いただけではその面影を感じることはできないけれど、注意深く地図や建物を見ていくと、その繁栄が透けて見えるような気がしました。
例えば、天神にある「天神館」。内子の伝建の隣にある娯楽の中心地だった内子座は有名だし、今でも保存活動の甲斐あって多くの方々に利用されていますが、天神にもまた娯楽の中心である天神館があったのでした。

IMG_1525.jpg▲かつての娯楽の場、天神館の跡

何も知らなければただの空き家になった古い木造建築だけれど、その歴史を知ってから建物をよく見ると、確かに変わった構造をしていることがわかってきます。
このように、各地に残る繁栄の遺構を探し出すような、そんな調査でした。


そして最後に、古老の方々へのヒアリング調査。
天神や五十崎に眠る歴史を掘り起こすには、やはり当時を知る方々から話を伺うのが一番です。彼らの話無くしてはわからないことも多々あったし、外から見た(しかもまだ内子に関わってから半年程度の)僕たちとは違う、何十年もそこで生き続けている人にしかわからないことを沢山聞くことができたのは大きな意味があったと思います。

同時に、もしこのように話を伺う機会がなければ、あと数十年も経てば当時の記憶が完全になくなってしまうということに気づかされ、歴史を引き継いでいくことの大きさ・重さを実感した調査でもありました。




最後の最後に、今回泊まったゲストハウスについて。実は最初の春の調査の時にそのゲストハウスはオープン準備中で、ほんのちょっとだけ準備の手伝いをしたのですが、今回はそこに泊まってきました。重伝建の古民家を改装した宿で、歴史ある木造建築に瀟洒なバーを備えた小洒落たところです。オーナーもとても面白い人なのですが、その話はまた今度機会があれば。

IMG_1502.jpg▲泊まったゲストハウス「内子晴れ」の内装。綺麗にリノベーションされている


台風で帰りの飛行機がなかなか飛ばないというアクシデントもありましたが、充実した調査となりました。次に内子へ向かうのは12月の歴史的風致維持向上計画の策定委員会のとき。このPJの大きな山場の一つになります。学生メンバー4人とも資料の準備などを進めています。

またの報告をお楽しみに!