都市デザインの先駆けを辿る 小藤田勉強会

115日、神田プロジェクトチームは、千代田区役所の小藤田正夫様、元都市環境研究所(現・日本地域開発センター)の佐藤賢一様をお招きし、中神田五町会地区計画に関する勉強会を行いました。

小藤田さんは区役所の神田担当として、また佐藤さんは都市計画コンサルタントとして、地区計画の策定に尽力された方々です。そして、お話を聞くにつれ、地区計画の枠におさまらず「神田のまちをいかに良くしていくか」を、住民の皆さんと共に、真剣に考えていらっしゃったことがわかってきました。

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▲心血の注がれた地区計画調査報告書

地区計画は、現在神田プロジェクトが活動する「神田多町二丁目」を含む5町会において、1997年頃から構想され、2002年に制定されたものです。千代田区型といわれる「街並み誘導型地区計画」で、一定距離セットバックにより斜線制限が緩和され、高さ36mまで建てることができるようになり、結果36mに揃ったマンションが林立するようになりました。

また、2004年の地区計画変更では用途別容積率が導入され、ファミリー向けマンションを一定程度設けるインセンティブを設定するなど、理想的な「都心居住」を志向したものです。まさに神田PJの「都心居住を考える」という問題意識を、1997年の当事者たちも持っていました。

プロジェクトメンバーは、事前に当時議事録などを読んで勉強し、また多町のまちを歩き、地区計画で理想とした町が実現できているのか、探りました。

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▲多町を歩き、実際の空間を地区計画と照らし合わせて検証する

当日の勉強会は、千代田区役所の会議室で行われました。二人三脚で地区計画を構想された小藤田さんと佐藤さんが、掛け合いをするように思い出話を聞かせてくださいました。地区計画を始めることになった経緯、話し合いを進めていきながら考えてきたこと、など様々に伺いました。挙げればきりがないのですが、興味深かったエピソードを紹介します。

「総合設計制度がよく使われたように、壁面を下げて住民は日光を浴び、公開空地があるのが理想だと習ってきた。しかし、神田の住民は違って、みんなが入れない公開空地なんて嘘だ、日光や緑は神田には要らない、といった。一階は商店だから、むしろ商品に陽が当たらない北向きを好む。住宅地向けに習ってきた定石と全く違う価値観にカルチャーショックを受け、都心商業地での都市論を考え直した。」

「千代田区景観マニュアルの中に、神田をよくする要素をパタンランゲージ的に提唱しているが、その一つが生業文化、店先学校。昔は子供が、天ぷら屋の前で、天ぷらを揚げるのをじーっと見ていた。生業を見て、働いてお金を稼ぐということを学んだ。現代、おやじが何処かに働きに行って、お金を持ってくるだけじゃ、働くのがどういうことかわからない。」

「まちづくりは、地域への愛をもって、シンパシーするのが大事。まちづくりへの志で地元と仲良くなれるし、それがないと難しい。役人がみんなシンパシーを持っているわけじゃないし、それは地元に見破られる。」

勉強会の後は、実際に地区計画の制定された多町周辺を歩き、地区計画と並行して実施しようとした共同化事業の敷地などを紹介していただきつつ、地区計画の限界や実現した空間の評価などについてお話を伺いました。

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▲あまり歩いていなかった、多町二丁目の外についても教えていただきました

町歩きの後は、地区計画の議論も盛んに行われた、まちの中心ともいえる酒場にて、聞き足りないお話を伺いました。助成団体の委員の方々も合流し、都市デザインについて語り合う、熱い夜となりました。

こうして、我々は多町を19年前から構想してきた人々に学びました。現在我々は、マンションの増加した多町でのコミュニティ結束のきっかけ作りを主眼として活動していますが、コミュニティの問題は1997年にも同様に考えられていたので、現代における意義は何なのか、地区計画とどのように異なった方法論でアプローチすべきなのか、再考していかねばならないと感じました。