こんにちは、M1中井です。
去る5月19日(火)~21日(木)の3日間、恒例の三国祭が行われました。
今回は昨年に引き続き、中島伸助教とM2柄澤、髙橋、森川の3名に加え、今年から研究生の高、M1越野、砂塚、中井、森下の4名、計5名が本プロジェクトに加わり、総勢9名で調査に訪れました。
▲三國神社前にて元新区の6番山車「曽我五郎時致」
今回は三国祭の本番でもある2日目の本祭の様子を、山車の曳き手の体験などを交えて紹介いたします。
三国祭の本祭は、高さ6.5mにもなる山車(ヤマ)6基を数年に一度の持ち回りで担当となった区が三國神社に奉納するというもので、三国の人々が一丸となって祭を成功させようと1年前から準備をしており、当日も大変活気あふれていました。
今年も本プロジェクトメンバーから2名、M1砂塚と中井が、持ち回りであった元新区の山車を曳かせてもらえることになり、そのほか6名+中島伸助教がヒアリングやアンケート、山車周辺の人々の動きの調査等を行いました。
▲元新区用の法被を着て山車を曳くM1中井(写真中央)、砂塚(写真右)
山車を曳きながら三国の人とふれ合い、また町を改めて見て感じたことをいくつか挙げていきます。
今回は曳き手ボランティアとして参加しましたが、他にも市の職員の方や地元の信用金庫の方をはじめ、区内の様々な企業、団体の方が曳き手として参加していました。それだけではなく、山車や荷車の曳き手に女性や子供が多く参加しており、曳き手に幅広い世代が関わっているという点が印象的でした。
▲雲乃井の前を通過する山車。曳き手に女性の姿も多く見受けられる
今回、私たちは地元の方でもなかなか触れることができない山車の舵棒(かじぼう)を握らせてもらうことができました。舵棒の役目は山車を曳くのではなく、指示を出すリーダーからの「おも!(面舵)」「とり!(取舵)」の掛け声に合わせて、山車を持ち上げつつ回して進行方向を調整するものです。舵棒担当は体力を使うだけでなく全員の息をあわせる必要があり、慣れるまでに多少時間がかかりました。しかし、その日初めて一緒に舵を取ることになった三国の方々に舵棒の動かし方や三国の町案内や祭りのお話までとても丁寧にお話していただき、非常に楽しく曳き、学ぶことができました。
午前9時から午後9時まで休憩を何度も挟みながら三国の町を隅々まで曳いて回りましたが、途中非常に狭い街路での切り替えしや180度回転、神社前での2回転、三国駅前での3回転等、大胆な動きが多く家や標識、電線などに当たらないかと緊張する場面も多くありました。一部の家屋では毎年ぶつかるので予め建物を祭の為に切り取ったというエピソードも聞かせてもらい、祭にかける三国の人々の思いを強く感じました。また、いずれの場所にも夜遅くまで住民や観光客の方がいて、駐車場や家の二階、屋上など安全な場所から拍手や掛け声で盛り上げていただき、少しの間ですが自分自身も三国の住民になれたような気がました。
あっという間に時間が過ぎ、暑かった日差しがすっかり消えた午後9時ごろ、山車がもとの山車蔵に到着しました。法被を脱いで山車蔵の扉を閉めた瞬間、急に熱が冷めたのかとても寂しい気分になりました。三国の方々と一緒に祭に参加して、山車の舵棒を握れたことは、祭りというものにほとんど参加したことがない都会出身の私には強く印象に残った体験で、まるで夢のような時間でした。
三国の方々、特に元新区の方や一緒に曳き手として参加した皆様、ありがとうございました。