2020復興デザインスタジオ 中間報告

 こんにちは、M1の河崎です。今年度からマガジン編集部に参加しております。よろしくお願いします。

 今年度も社会基盤・建築・都市工の建設系3専攻連携の復興デザインスタジオが開講されています。都市デザイン研究室からは私以外に、齊藤くん、鈴木くん、谷本さん、藤本くんが受講しており、TAとしてM2の砂川さん、宗野さんもサポートしてくださっています。

 以下4/27、5/25と2回のジュリーを受けての中間報告です。

IMG_1220.jpeg

▲東京湾の船上から見る東京(写真:社会基盤学専攻・萩原拓也先生)

--

◆2020復興デザインスタジオのテーマと趣旨

「東京計画2020-2050」

COVID-19によって高密度な東京の都市構造が揺らぐ中で、首都直下地震・液状化・高潮など様々な都市リスクを複合的に考えながら、2050年の東京の都市像を事前復興プランとして描く

  

◆設定されている課題の概要

・COVID-19の影響による都市変容に着目し、過去の災害復興事例を学んだ上で、「2050年における東京」を射程とし、その時代に生きる世代にも共有される都市ビジョンを検討する

・2020年から2050年という時間軸の中で、首都直下地震やその他様々な災害への事前復興の提案を行い、災害後の都市空間の復興デザイン提案を行う

・東京の江東区を対象敷地として設定し、地区スケール・広域スケールでの建築デザイン、都市・土木インフラのプランニング、社会システム、法制度などを複合的に検討し提案する

 

◆スタジオの進め方

 Sセメスターを3つの期間に分け、それぞれの期間においてオンライン上で以下の課題に取り組みます。

【課題①(4月)】

COVID-19の影響による社会・経済活動の変容、それに伴う東京を中心とした建築・都市・社会基盤空間の形態・機能・利用の変化について現状分析を行い、2050年に向けた都市空間の変化の様相と求められる都市・社会政策を検討する。

【課題②(5月)】

首都直下地震への事前復興・復興デザインへの知見とすることを想定し、過去の災害復興事例を対象として課題やその対応のための制度・空間計画についてレビューし、論文形式でまとめる。

【課題③(6-7月)】

課題①・②で共有されたマルチスケールの課題・シナリオを下敷きに、COVID-19および首都直下地震などの被災と復興を経た江東区の2050年におけるビジョン・東京における位置付けを検討する。また江東区の地区における事前復興に向けた具体的な社会インフラや都市のプランニングデザイン、建築設計の提案を行う。

  

◆課題①ジュリー(4/27)を終えて

 課題①ではCOVID-19による社会変化を捉え、首都直下地震や水害などのリスクを複合的に考えながら2050年までのビジョンを地区スケールから広域スケールに渡って考えました。

 私の班では都市に存在する残余空間に着目し分析を行いました。

 まず、私の班ではCOVID-19により学校の休校やテレワークなどライフスタイルが変化する中で、家族に負担が集中しこれまで見えなかった家族の問題が顕在化してきているのではないかと考えました。例えば、テレワークで家で働きながら、子供の面倒も見なくてはいけない状況であったり、家族全員がずっと家に一緒にいることによってストレスが生まれ、DVや離婚などの問題が発生したりしています。

また「3密」を避けるために屋外空間の価値が見直されてきていますが、一方でパブリックな性質が強い公園には人が溢れ出し、「密」の状態になってしまっているのも事実です。

 そこで私たちはより家庭に近いところにあるプライベート、セミ・プライベートな屋外空間を作ることが、そういった家族の課題を緩和できるのではないかと考えました。例えば、集合住宅の屋上空間や町に点在する空き地・駐車場は低未利用な残余空間ですが、それらの空間は「3密」を避けながら家族を適度な距離に保つ空間として使うことができるのではないでしょうか。また、そういった低未利用な残余空間は首都直下地震や水害を受け止める柔軟性に富んだ空間ともなり得るのではないでしょうか。

 これからの縮小社会においてそれらの残余空間を使っていくことが重要であると考えFlexible Spaceと名付け、木造密集地であり団地が多く存在する江東区・砂町エリアにおいてその分布を分析しました。

 

 私がこの課題①を通じて実感したことは2つあります。

 1つ目は現地調査の重要性です。この課題ではこの社会状況の中で現地調査ができず、どうしても分析が俯瞰的になってしまうという難しさがありました。一方でこういう状況の中でどのようにして現地の様子を確認するか、現地の生の声を拾うかというのが一層重要になってくると思いました。

 2つ目は時間軸の意識とプロセスデザインの重要性です。津波や地震というような災害と比べ、COVID-19という感染症は都市や社会に影響を与える期間が非常に長く、いつまでが災害の「渦中」でいつからが災害からの「復旧・復興」なのかが不明瞭です。巷では「ウィズコロナ」や「アフターコロナ」という二分で語られることもありますが、それは危険性を孕んでいると私は考えました。

 私はその「ウィズ」と「アフター」の間に細かいフェーズがいくつもあり、それぞれに合わせてシナリオを考えることが必要なのではないかと思い、そのためには時間軸の意識をはっきり持ち、プロセスをデザインしていくことが重要だと感じました。

 

◆課題②ジュリー(5/25)を終えて

 課題②では課題③への知見を得るためにも、興味分野に分かれた班に編成し直し、過去の災害復興事例を対象として文献のレビューを行いました。

 私の班では東日本大震災からの復旧・復興を対象に、「転用」というテーマでレビューを行いました。

 東日本大震災の復旧・復興段階では大量の応急仮設住宅・仮設商店街が供給され、また既存住宅ストックを仮設住宅として転用する「みなし仮設」制度が大々的に使われたことは記憶に新しいと思います。

 復旧・復興をより迅速に行うためには、いち早く避難所生活から脱却し、住宅を持ち、生業を再開することが重要だと考えられますが、現実としてそのようにうまくいくわけではありません。

 仮設住宅の建設をひとつとっても、用地取得、手続き、建設に必要な時間・費用・人手・・・など多くの障壁をクリアする必要があります。また、住宅のみに着目するわけにはいかず、統率を取る役場・子供の居場所であり避難所でもある学校・生活を支える商業など様々な機能を複合的に考える必要があります。

復旧プロセス大船渡市.png

▲大船渡市を例に仮設住宅団地・仮設商店・公共施設の分布を時間軸で追った

 そこで私たちの班では「みなし仮設」にヒントを得て、用途の転用や建物の転用が復旧・復興を迅速に行う上で一定の効果をもたらすのではないかと考えました。しかし、文献を当たってみると、まず転用の事例があまりないことや、みなし仮設やその他の転用に関しても課題が多く挙げられていました。

 そこでさらに私たちはそもそも転用を行う上での障壁となる制度的・経済的な理由があるのではないかと考え、それらを洗い出す作業を行いました。

 さて、首都直下地震などの都市型災害の復興を考えると、東日本大震災での知見をいかに生かすかということは正直まだ模索中です。都市構造、産業構造、土地の広さ、土地と人のつながり、地縁のコミュニティ・・・など東北と首都圏では性質が異なる部分が多いです。しかし、異なるものばかりではなく、何か必ず共通する部分もあるような気がしていて、それを課題②の成果から抽出していくことが今後デザインを考えていく上で非常に重要だと感じました。

 

 私がこの課題②を通じて感じたこと・興味深いと思ったことは2つあります。

 1つ目は、9年前の東日本大震災のことを知っているつもりになっている自分がいたということです。実際には私たちが扱った転用というテーマに限っても初めて知ることが多く、COVID-19や首都直下地震、その他の災害を考える上で過去をきっちりと理解しておくことの必要性・重要性に改めて気がつかされた貴重な機会となりました。

 2つ目は、今回の課題で他の班との間でも話題になっていた「計画」のあり方です。「復興デザイン学」でご講演をいただいた近藤民代先生からの話題提供や熊本地震を扱った班から出た指定外避難の話では「計画しすぎることの危険性」が扱われており、個人的に非常に興味深く感じました。それは復興時の行政主導のトップダウンでの計画が重要なことはもちろんですが、実は現場には「計画に則らない住民の自主的な復興の力」が働いていて、それが非常に大事になってくるのではないか、「計画」がそれを妨げてしまっているのではないかというお話でした。

 確かに計画側はある意味マスタープラン的なマクロな視点でしか復興を捉えることができない一方で、住民側はそこでの生活再建や土地への愛着などミクロな視点での復興しかできないという点で、その両方の整合性が取れた復興が重要なのは間違いないと思います。一方で、今回のスタジオのテーマ「東京計画2020-2050」にも「計画」とありますが、自分たち計画側はどこまで計画すればいいのか、どこから住民に任せればいいのかというのは非常に難しい問題だと感じました。今後考えていきたいテーマの一つです。

 

◆最後に

 これまで2つのジュリーを終え、これから1ヶ月半、これまで得られた知見をもとに具体的な空間・社会システムの提案を行っていきます。オンライン形式での演習という初めての試みに正直まだ不安が大きいですが、東京でCOVID-19の「今」を生きる者として思考を続けていきたいと思います。