夏季修士・卒業論文審査

 こんにちは。M1の應武です。

 7月19日にB4園部、M2中戸の夏季修士・卒業論文審査が行われました。今回は二人の研究内容についてご報告します。

アートイベントを契機とした地域社会と都市空間の変化に関する研究
-東神田・日本橋馬喰町を中心とした「CET(セントラルイースト東京)エリア」を対象に-
B4 園部

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▲CETのパンフレット(asylより)

卒業研究で伝えたいこと
現在、クリエイターの活躍が目立つエリアがどのようにしてその土壌を獲得していったかということを、アートイベントの開催と都市の関係を一つの視点として模索しました。

CET_TRIP_2010_MAP.jpg▲CET AREA MAP

 

卒業論文を終えて
アートを十分に扱い切れなかったことや個人の動向の整理が煩雑になってしまったことが悔やまれますが、研究に協力していただいた方々とは交流を続けており、継続してこの地域に関わっていけたらと思います。

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ビルの形成に着目した東京繁華街の都市空間史研究  -旧花街・上野下谷を対象として-
M2 中戸

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▲ 現在の夜の上野

 今回の修論では、東京・上野の繁華街を形成するいくつもの中小ビルが、どのような経緯によって生まれたのかということを、都市形成史的な観点から分析しました。もともと東京のビル群(大企業のオフィスビルや複合商業施設ではなくて、無名の中小ビル)に興味があったこともあり、上野プロジェクトで関わりのあった上野下谷というエリアを対象にしています。
 繁華街の中でもこのエリアは江戸時代に始まる「花街」をルーツに持つ、歴史の古い盛り場です。花街の時代から今の中小ビルの林立する繁華街になっていく変容を捉え、その背景を明らかにすることが修論のテーマとなりました。
 本論では、現代に至るまでの「ビル化」を、木造建物が建て替わっていく「立体化」、そしてビルに入る店舗が変わっていく「テナント変化」の二つの観点から分析しています。「立体化」の分析では主に戦前の火保図や住宅地図を使って、いつの時代にこのエリアの建物がビルになっていったのかを調査しました。
 「テナント変化」の分析では、いつ頃から花街文化(=芸妓さんや料理屋が賑わいを見せていた風景)がなくなり、今のような現代的繁華街(=中小ビルのテナントにパブやスナック、バーがひしめき、夜にはネオンが光るまち)に変容を遂げていったのかを、地元の地主・商店会の方や地場不動産へのヒアリングなどから少しだけ明らかにすることができました。

 以上、二名の研究概要でした。夏はプロジェクトだけでなく修士研究にも打ち込みたいと思うこの頃です。