近代台湾における都市生活施設の形成史

三文字昌也
博士論文 | 2024年度提出

梗概

 本論文は、都市内の複数主体同士の相互関係による広義の政治過程が都市空間の形成に影響していたという視座に立ち、日本統治時代から戦後期にかけての台湾の都市の市街地に形成されていた「都市生活施設」を題材として、「公衆浴場」「露店」「遊廓」という三つの施設を研究対象に設定し、第一にそれらの形成過程を明らかにし、第二にその背景にあった都市内政治過程の様相を明らかにし、以上を通じて、当該期の都市生活施設とその周辺の都市空間の形成と現代台湾に至る持続的な営みの特質を論じることを目的とする(序章)。

 

 本論文は序章を含めた全7章から成り、第章及び第章で研究の前提となる事項を整理し、つづく第章から第章で、具体的な対象である「公衆浴場」「露店」「遊廓」についてそれぞれの形成の過程を明らかにし、それに影響を与えた都市内政治過程を記述する。その後、章で結論を述べる。

 

 「近代台湾における都市計画と都市形成」では、本研究の対象となる台湾における都市の基礎情報を整理し、近代に実施された都市計画を概観した。主として日本統治時代の都市計画(市区改正事業)の推移を確認し、本研究で扱う台北、嘉義、台南、打狗(高雄)の4都市の市街地の拡張過程、台北と台南の内地人人口分布を確認した。

 

 「近代台湾における都市生活施設の概要」では、近代都市における「都市施設」を概観したうえで、先に定義した「都市生活施設」を整理した。さらに、本研究で扱う都市生活施設の3つの施設(公衆浴場、露店、遊廓)について、そのいずれもが近代台湾においてそれら都市生活施設が「営業警察」の管理下に置かれていたこと、しかしその政策目的はそれぞれ「防火」「交通整理」「衛生と風紀取締」などと異なっていたことを確認した。また、日本統治時代から戦後初期にかけての警察と地方当局の制度を確認した。

 

 第「公衆浴場の形成・発展と都市内政治過程」では、近代台湾の都市の公衆浴場を扱い、日本統治時代の公衆浴場の統計の分析を行った上で、まず日本統治時代を通してどの程度の公衆浴場が存在したのか定量的に明らかにした。その上で、台北と嘉義という2都市における公衆浴場の形成と発展を新聞記事、商工名簿等の史料を元に記述し、当時の地図を用いてその空間立地の再現を試みた。台北においては、日本統治時代の開始とともに内地人による湯屋が台北に導入され、その最初期は、おおよそ内地人900人に対して1軒、という規模で台北各市街に湯屋が形成されていった。内地での規則制定に影響を受け、1899年に湯屋取締規則が台北でも施行され、湯屋が警察によって取締られた後、警察当局は湯屋を積極的に管理しようとしており、実際に衛生・防火などを目的とした取締や検査が行われていた実態が台北でも確認できた。市区改正計画の実施に伴う市街地の拡張で、1930年代になると市街地の郊外部に湯屋が形成されていたことが明らかになった。

 戦後台湾においては、日本統治時代の湯屋を引き継いだと考えらえる「台式浴室」が営業しており、外省人には慣れない文化として驚かれつつ、人口増と対応してその営業数は増加した。一方、大陸からの人口流入(外省人)を通じて新しいスタイルの公衆浴場として上海式浴室が導入され、台式浴室とは別種の業態として共存することになった。両者は公的にも、別の入浴料金の統制化に置かれるなど区別された。上海式浴室は、「単身の外省人男性」(軍人等含む)の生活を支える施設という側面があり、台式浴室も含めた公衆湯上は、台湾都市において当初「異質な存在」だった外省人の生活の拠点・受け皿にもなっていった

 この第章では、このように、内地人あるいは外省人といった都市住民の属性に対応して移植された都市生活施設の様相が明らかにされ、それらが連関・あるいは組織化しながら変化していく政治過程を分析した。第章では、民衆の需要変化に迅速に対応する公衆浴場の形成、日本統治時代における内地人から本島人への経営者移転、自主的な同業組合の成立と内部抗争および行政当局への働きかけ、行政当局内における公衆浴場の管理目的の変遷、という4つの特徴を抽出した。

 

 第「露店の形成・発展と都市内政治過程」では、近代台湾の都市内にあった露店を扱い、露店の集積がどのように形成・発展していたかを明らかにした。まず日本統治時代以降の都市における露店に対する制度を整理し、それらの管理制度の導入の背景となった原因や動機を明らかにした。続いて、台北と台南の2都市を対象に、日本統治時代の露店の集積の形成と発展を記述し、それらの都市内立地を再現した。

 台北においては、城内において1898年から内地人商店が夜店の出店を請願し実施していたことが分かった。城内の各通り、公園や西門市場といった場所に露店が出店しており、特に納涼時期や年の市の賑やかな様子は台北の名物にまでなっていた。大稻埕でも本島人露店が各地に出店していたが、1930年に整理と移転が呼ばれ、その後組合の結成や新規夜市の開設、更なる移転などが相次いだ。

 台南では、古くから街路上に本島人の露店が出ていたことが分かるとともに、市区改正等でできた道路や空地にも、内地人・本島人の露店が出店していたことが明らかになった。その後、市内各地の露店は西市場の近辺に集約され、一部は「盛り場」開発に伴いバラックに収容されていく過程が分かった。

 こうした露店の現象の分析を通じて、出店者側の組織化、行政当局内での対立など様々な都市内政治過程の諸相が明らかになった。その上で、露店の形成に関する6つの特徴を、新しい都市空間(インフラ)の露店使用と行政当局の思惑の変化、行政当局内での露店に関する政策目的の対立、内地人・本島人露店商人の関係性と分化、行政当局に対抗するための民衆の組織化、行政当局による民衆側の組織への干渉、露店商と固定店舗との間の対抗関係とそれに対する行政当局の視線、と整理した

 

 第「遊廓の形成・発展と都市内政治過程」では、近代台湾の都市の遊廓指定地の変遷に着目し、まず、日本統治時代における遊廓指定地をめぐる制度の概要を示す。続いて、台北・嘉義・台南・高雄の4都市における日本統治時代の遊廓指定地の立地変遷を明らかにし、その遊廓指定地の指定の背景にあった政治過程を整理した。

 日本統治時代の初期からそれぞれの都市で遊廓指定地が指定されていたが、その成立の過程には、貸座敷事業主からの請願があった事例や、整備会社など事業会社の暗躍、地元有力者や住民とのやりとりなど、多様な政治過程があったことが明らかになった。また、市区改正事業に伴う遊廓立地の検討の経緯が確認でき、行政当局内での各部署の間での調整が行われていた様子が明らかになった。これらの分析により、貸座敷営業主から行政当局への遊廓指定地の請願とその受け入れ、地権者や整地会社による開発利益をめぐる駆け引き、遊廓の利害を被る地元住民や地元有力者、地元団体らとの調整、市区改正と遊廓指定地に関する行政当局内の各部署における調整といった4つの特徴を記述した。

 

 以上を踏まえて、結章では結論として、各都市生活施設の形成と発展の経緯を比較検討し、現象としての空間形成の中で、施設の集積性と空間的固定・流動性、その後の継承の有無に相違点があったことを指摘した。また、その形成に影響を与えた都市内政治過程の相違点と共通点を整理し、各都市生活施設の形成の特徴を明らかにした。


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