緊急トーク・イン「どうするどうなる 丸の内のスカイライン」
パネリストの意見
大江新氏のご発言
法政大学の大江と申します。先ほどから、何人かの方から「建築家は」なんて話が出てて、私も全くその通りだと思っているんですけれども、私自身建築に携わっておるものですから、歴史を大切にしようとかそういう点ではみなさんと全く同じなんですけれども、多少物に即した話も必要じゃないかと思っています。
たとえば、先ほどのスライドの紹介にあったように、懇談会が出している案というのはかなり具体的で、この辺は何mとかこの辺は何mとかいう案を出してきて、それに対してある程度具体的な考えを持たないと、我々もそれに対応していけないんじゃないかということを感じているもので、ですから、少し具体的な話をさせていただきたいと思います。
その前に、もともとあった31mのラインというのは、歴史の痕跡を残すという意味でも、それが全く失われてしまうのはどうもやりきれないし、できることなら、墓石型の超高層ビルに建って欲しくない、大半の方がそう思われるだろうと思います。さて、一方では、それでは仮に、こういうものを一律に31mでいくんだと決めたときに、それぞれの企業として成り立っているこのビルが、ほんとにそんなことで実現可能かという懸念を当然みなさんお持ちだろうと思います。
角度、距離の問題
(模型を前にしながら)丸の内・有楽町地区と一様に総称して呼んでいて、まあ今日はそれを考える会ではあるのですけれども、航空写真が向こうに展示されていますが、みなさん見ていらっしゃる模型も実は、実際の高さにするとたぶんみなさんの視点の高さというのは、地上150〜200ぐらいの高さから見られているんじゃなかろうかと思います。で、実感として考えるときは、もちろん空を飛んでいて下を見て美しいか、という視点もあるかと思うのですけれど、大半の方の多くの経験というのは、地上を自動車で走ったとか歩いたりして、そういう視点から見る角度かと思います。そうしますと今の目の位置より30Bぐらいかそれぐらい眼を下げていただいて見ないといけなくて、上からばっかしとか、あるいはアイレベルの上ばっかし見ていると今みたいなことがあるかと思います。で、そういう角度の問題が、一つあるように思います。
もう一つは距離の問題というのがあって、この地区を見るときどういう距離から見るか、あるいはどういう方向から見るかというのが大きな問題じゃないかと。大半の方はたぶんこちらの日比谷通り側のこのファサードっていうのが第一に思い浮かぶんじゃないかと思います。例えば、有楽町・銀座の方から丸の内の美観と言ってみても、あるいは、大手町の方から丸の内の美観と言ってみても、それは頭の中で考えられることで、実体験としてはそんなことはあり得ない。そんな意味でこのファサード。このファサードも単に距離が一律ではありませんので、一つには一番近いこの日比谷通り沿いを行くときに、この、できればこれを感じながら走るという...。まあ、もう少し広いと、皇居前広場とか、それから、内堀通りですか、ここを走りながら眺める。まあそれがかなりここでは主要と言える景観である。もう一つ非常に印象的な景観というのがありまして、まあ、半蔵門からは見えませんけれども、半蔵門から少し三宅坂、それから国会議事堂のあたり、それから坂を下りてくる、あそこから見ると、まあ距離的な問題もあると思うんですけれども、遠景の景観という、近い、中位、遠いという三つぐらいの景観があるんではないかと思います。
一番近い方から見ますと、この辺をよく自動車で行ったり歩いたりする人っていうのは、それなりに高いビル、まあここまで高いと見えるんでしょうけれども、一般には31mのファサードそのものだけを感じながらここを行き来する、それは丸の内仲通りの場合でも、大名通りの場合でも同じでしょうけれども。で、一番その、話題になる、中距離と言いましょうか、内堀通りを行く時っていうのは、一番近いところで250m、遠いところでは350m位なんでしょうけれども、この辺から見るときに例えば東京海上100mがここに見えています。それで今、高いところから模型を見ると、例えば100mをずっと守ってくれたらいいなと。これも100m、これも100m...と考えたいんですけれども、この辺から見たときに、実は東京海上で100mと、それのほぼ倍の距離にあるこの辺に、仮に200mの建物があるとしますと、この辺にある200mとここにある100mというのは、少し離れた場所から見た時と同じなんですね。これはまあ山なんかでもそうなんですけれども、富士山は遠くから見れば高いし、その手前に低い山があるとして、しかし、富士山の手前にある低い山が富士山を隠して、富士山のそのシルエットが隠れてしまう、そういう見え方がある。で、それを忘れてしまうとどうも、こうやって高いところから見てしまうと一律に高くしたくなるけれども、もしかすると、この辺からこう見たときに、ここに向かってだんだん傾斜して高くなっていくような景観をつくったときには、実は一番手前の高さでしか感じることができない。まあ、私と同じ言い方をすると、高層、三菱の人とかこの辺の高層を企画している人の、何か、あの、サポートしているようにとれちゃうんですけれども、決してそうではなくて、景観考えるときに何が何でも、その辺の姿勢を間違えて考えちゃうと、とにかくもうだめだだめだということに行き着いて、そうすると結局は説得力がなくなるということを心配してそういう言い方をしているわけです。
そういう意味でもう一つは、遠距離になればなるほど実際の高さの差は忠実に見えますよね、大きくは例えば三宅坂、国会議事堂あたりから見れば100mの建物のほぼ倍ある200mの建物はほぼ倍に見える。でもこの辺から見ると倍の高さの建物も、倍の距離になれば同じ高さにしか見えないという、これはあの、進士先生先ほど「水平の都市、垂直の都市」って言う言い方されましたけれども、例えばこう傾斜、あるオープンスペースに対してこの辺がこうずーっとあがりました傾斜って言うんでしょうかね、建物の頭がこう傾斜していくような、仮にこの辺にこれくらいの建物が建っていても、たぶんこの辺から見たときにはこの建物とそう違わないように見える、という意識というか、それを頭に入れておかないといけないなということです。
空間的な広がり・ヴィスタ
もう一つあるのは、東京駅側から立って皇居の方を見たときに、東京駅の前にちょっとした広がりがあるんで、この周辺をどういう高さのものが囲んでいるのかっていうことは、こちらの長いファサードとは別のもう一つの要素、この地区全体の中の特徴的な要素だなあという気がしますけれども。じゃあその時に、今こっちも低いところは全部揃えるのがいいのか、いや、これは日本の玄関だから...ここまでじゃなくても、例えば、中央郵便局とか、それからこのJRの本社なんていうのは、少しこうゲート的に高くてもいいんだよと、その代わりにこっちの側にはずっと向こうに開けるヴィスタというか広がりがあるんだよと、それが許せるのか、いやそれはそうじゃないんだよと、いうような形で議論が続いていけば割合実りがある、というか有効な議論になろうかと思います。
例えば、今回スライドに出たように4つの拠点があって、大手町の拠点、八重洲の拠点、それからこの丸の内の拠点、有楽町の拠点、全部200位まで許そうと言っている。例えば、大手町の200っていうと結構高いんですけれども、こちらのオープンスペースから遠くなったところに、まあ八重洲なんかはほとんど200が建ったって大丈夫だと、例えば、この内堀通りから東京海上と同じ高さに見えるものが八重洲に建ったらどれくらいのものになるのだろうかと思って描いてみると、300ぐらい建ってもちょうど東京海上と同じ高さに見えるということがあったりするんで、4つある拠点も全て一律に、なんて考えもまたこれいけないと思います。どの方向を向いて建つとか、様々な観点から議論していかないといけないんじゃないかと思います。