緊急トーク・イン「どうするどうなる 丸の内のスカイライン」
コーディネータの基調報告
西村幸夫氏による現況説明
ご承知のように丸の内は明治の半ばから、日本を代表するビジネス街として、また、日本の顔としてつくられてきたわけなんですけれども、この丸の内のスカイラインについて市民がどういうふうに考えるかということについて、このところなかなか我々が声を出す機会がなかったし、考える機会も非常に少なくなってきたんじゃないかと思うんですね。そして、後で御説明しますけれども、昨年の暮れに、このガイドラインのスカイラインの高さに関して、高さのガイドラインが発表になりまして、「統一性に配慮しつつ150m程度を許容し、拠点については200m程度も可能にする」という指針が、大手町・丸の内・有楽町地区まちづくり懇談会によって発表されているわけです。それを受けまして、では一体、街の景観、景色をどういうふうに我々は考えていけばよいのかということを、もう一回市民のレベルで考えてみたい、そして、いろんな意見を皆さんから伺って少々議論をする場をどうしても持つ必要があるんじゃないかということで、本日は手弁当ではありますけれどもこういう会を催すことになりました。
さて、それではまず私のほうからこのところの経緯をかい摘んでご紹介して、その後、各パネリストの方にそれぞれの立場から、丸の内のスカイラインをどう考えるかということを、どう思いどう考えるかということを御発言いただき、若干のディスカッションの後、会場の皆様方から御意見を聞く機会を設けたいと思います。
丸の内の景観の歴史
皆さんの目の前にあるこれは、東京駅の現況、といっても丸ビルは残っておりますが、丸ビルが残っている段階での五百分の一の模型です。また後でごらんになっていただきたいと思います。
皇居の周辺の美観、景観、特にスカイラインの問題というのは、今までに何度か議論されたことがあります。
まず一番最初にこの問題が大きな問題になったのは、皇居の周辺に美観地区をつくるというところでありました。1933年に皇居周辺に美観地区が指定されて、これは、その地区指定は現在も生きているわけであります。また、その翌年には警視庁によって高さ規制が美観地区内に導入されまして、高さが15m,20m,25m、26m,28m,31mと、高さ規制が導入されております。これが最初の皇居周辺の景観の問題として言えると思います。
それから、少し飛びまして、少し大きく皇居周辺の特にスカイラインが問題になったのは1965年に東京海上ビルの建築計画が発表されて、これは昭和30年頃の東京駅の周辺でありますが、全体としてご承知の通り高さが31mできれいに揃っていたわけですね、そのうち行幸通り沿いに東京海上の新しいビルが計画をされました。で、この計画はもともと30階建て120mという高さの建物がここに計画をされたわけであります。これが大変な論争を巻き起こしました。ちょうど建築の高さ規制がなくなったのが1963年で、その直後であったということもあって、もう少しこうした高さを守るべきではないかというグループと、もっと高さを自由に建てていいというグループで大変な大きな論争を巻き起こしたわけであります。結果的には階数が25m、高さ99.7mという高さに縮めて現在のビルが建っておるわけです。ということで、これが第二の景観論争、丸の内の美観論争といわれているものです。そして、その後その高さがほぼ不文律となって、丸の内に関しては高さを100mぐらいに抑えるというルールがほぼできあがってきたわけです。ご覧になってわかりますように、東京海上ビルの高さが今こうですので、だいたい三菱銀行本店の高さですとか、この丸の内の高さがほぼそれにあっているということがわかります。
その後、また大きく景観の問題が話題になったのは、三菱地所による「丸の内再開発計画」が発表された時です。これは正式名称は「丸の内再開発計画」でありますが、一般には「丸の内のマンハッタン計画」と呼ばれているように、容積率を2000%にして丸の内を立ち上げるという計画を立てたわけです。計画はA案とB案とからなっておりまして、A案というのは50階建ての建物、ほぼ250m弱で立ち上げると。B案というのは40階ですからもう少し低くてずんぐりした形で立ち上げる、という二案を提起したわけですね。これがまた、大変な論争を呼び起こしまして、全体としては、こういう墓石が建ち並ぶような丸の内に関しては、否定的な声が大きかったと思います。
マンハッタン計画以降
この計画が発表されたのが、今からちょうど10年前になるわけですけれども、その後、皆さんご存じのように丸の内ビルが解体されたのが昨年であります。
また、その間に幾つかの計画が発表されております。実は、このマンハッタン計画がなかなか市民の賛同を得られなかったということもありまして、もう少し地元の地権者のメンバーの中でですね、合意を形成しながらゆっくりとした基本的なまちづくりのコンセプトを固めていこうということで、1988年、マンハッタン計画から半年後に、大手町・丸の内・有楽町地区再開発計画推進協議会というものが発足しております。大手町、丸の内、有楽町地区に関して現状では地権者の9割を超えるメンバーが集まりまして、この地区のまちづくりを協定をつくって進めていこうということを始めたわけです。この協議会は、現在まで続いておりまして、毎年様々な部会が様々な議論をしているわけであります。そしてその協議会とその関連で幾つかの計画案が発表されています。例えば東京駅と皇居を結ぶ行幸道路これが現況なんですけれども、ここの所にですね、これは丸の内の再開発計画(マンハッタン計画)のときの計画ですね、そしてこれは「丸の内の新生」という協議会が日本都市計画学会に委託をして丸の内のあり方を考えてもらった時の報告書にでてきた図面であります。また、同じ協議会自身でも平成7年度、平成8年度と、には行幸通りの整備イメージを発表しております。ご覧になってわかりますように、具体的なグランドプランの計画が中心でありまして、ここにどういうスカイラインが描かれるかということ、即ち、ビルの高さに関しては今まできちんと詰めた議論というのはあまり公にはやられてこなかったという現実があるわけです。
また、これは同じ協議会が提案している絵なんですけれども、仲通りという、先ほどの行幸通りに直行している通りでで、いちばん31m軒線がよく残っているところの一つについてもこのようなイメージが描かれています。ここはもともと三菱1号館があった「一丁ロンドン」と呼ばれている、ロンドンのロンバート街を模して建設されたところだといわれているところで、高さ15mの建物が揃っていたんですね。それが現況のように31mが揃うようになった。そこに先ほどのようなマンハッタン計画のときの図面、そしてこれが協議会になってからの図面、ということで、31mの表情線を残しながら高い建物を建てるという計画案が公になっているのです。
31mの線というのが、度々でてきておりますけれども、この31mの線というのは建築基準法の前身が定めていた建物の最高の高さです。
これは日比谷濠沿いの景観ですが、日比谷通り側から見ると非常に建物がよく揃っている、そして、非常にデザインも工夫を凝らしたものが並んでいます。そしてそれは現在、東京海上ビル、郵船ビルのように、多少高い建物がありますけれども全体としてここに31mの軒線というのが意識されるという状況がいまだに続いているわけです。この日比谷通り沿いの部分に関しましても様々なイメージが発表されています。
これは「丸の内の新生」という報告書の中に描かれた図面ですが、当時の協議会の整備イメージをよく表しているのではないかと思います。ここでは通りのそれぞれの特徴を生かしていて、そして幾つかの、大きな拠点を考えていこうというようなことが書かれています。これが平成になりまして、地元の地権者だけではなくて、ここに行政である区と都とそして協議会には不参加であったJRが参加して、この地区をどうするか、どういうふうに整備していくかという合意を形成していくための組織、「大手町・丸の内・有楽町地区まちづくり懇談会」が1996年の9月に結成されました。
そしてこの懇談会はある意味で地権者とそれから行政担当者の間でですね、官民でこの地区に対して緩やかなルールづくりをしていこうとしたわけですね。で、その懇談会は今までに4回開かれているわけですけれども、その結果というのはその都度、公開されております。東京都のホームページで公開されておりますし、懇談会そのものの内容も全て見えるようになっておるわけですね。それだけではなくて協議会のホームページもあるのでそれをご覧頂ければと思います。3回目までの懇談会では緩やかなルールをどう作っていくかということが議論の中心であったんですけれども、第4回目の懇談会が11月20日に開かれまして、ここでですね、実はそれまでと非常に違った動きがおきてきたわけであります。発表されたプレスリリースの文章を見ていると非常にいいことが書いてあるわけなんですけれども、我々が心配しているのはスカイラインについての申し合わせです。全体として非常に抽象的な合意事項が描かれているわけなんですけれども、スカイラインについては「既に当地区において定着しつつある概ね100m程度の高さも尊重しながら、一定のスカイラインの統一性に配慮し、概ね150m程度の高さまでを可能とする」という文章が書いてあるわけですね。続けて「大手町・丸の内・八重洲・有楽町の各拠点においては、その拠点性や多様性の強調として、当地区全体のスカイラインの協調性に配慮しながら、概ね200m前後の高さまでを可能とする」という文章が記されているわけです。拠点というのは東京駅前を覆う拠点地区、大手町の拠点、有楽町の拠点、そして八重洲の拠点ですね。こういう4つの拠点に関しては概ね200m前後、後は150mという数字が、外部から見る目には割合唐突に数字がでてきたと思えるわけです。ということで、どうも突然、200m、150mという数字が、我々が何の議論をする余裕もなく合意をされてしまうということは、問題があるのではないかという気がするわけです。特にここで言う150や200がどういう根拠なのか、またそれに対して市民の方々はどう思っているのか、また、ここで言う拠点というのがほんとに合理的なのか、など様々なことをもう少し議論しないといけないではないでしょうか。そして懇談会という組織は法的な位置づけはない組織なわけですけれども、これがどういう形で全体の契約社会を築いているのか、という様々な問題がある。ですから、ここでいろんな方のいろんな御意見を、じゃあ一体丸の内はどうあればいいのかということを少し議論したい。その議論を深めていく中で、この数字が妥当であるとすればそれはそれでいいでしょうし、また別の考えがあるとすればそういう考えをいろんな形で広めていって次につなげていきたいという風に思っているわけですね。
懇談会のプレスリリースの最後の段落にですね、「なお、スカイラインの考え方は、今後の社会環境の変化や個々の計画内容ならびに東京都の景観条例及び千代田区の美観地区のガイドプラン等を勘案して対応していく」という風に書いてあるわけです。ですからここで、いろんな意見がでてくればそれは聞いてもらえるというかたちでもあるというニュアンスで書かれているわけです。そして現実にこの流れの中で東京都は景観条例をつくって来年度4月から施行しようとしていますし、千代田区も景観まちづくり条例をこの3月に成立させようと準備中なわけです。また、美観地区のガイドプランも今作成中という状況です。ですから、この機会に皆さんの意見をお伺いして、一体この地区をどういう風に考えるべきなのか、ということをディスカッションしていきたい、ということでこういう場を設けたという次第であります。
その他具体的に、こういうことになる背景として容積緩和の問題があるわけですね。これについては、1994年から97年にかけて、ようやく都がこういう都心部に関する整備のイメージを明らかにしてきたということです。その中で容積率の割り増しについて97年に明らかになっております。特定街区などの都市開発諸制度を利用した場合の容積ボーナスの限度を200%から300%に引き上げて、そのボーナス分については育成用途と呼ばれているものに、これは事務所とはちがう用途に使っていくということです、特定の用途、文化施設や交流施設のものとして用途を使わせてもいいではないかという意見がここにおいても示されているという状況です。そしてまた、ご承知のように経済の活性化ということで、規制緩和ということで1300%、全くこうした条件なしに緩和してもいいじゃないかという議論も起こってきたところですね。それから、もう一つの大きな流れとして今現実に建物の建て替えが進んできているとがあるわけです。これは皆さんご承知のように丸ビルは今なくなっておりますし、ここにもう少し高い建物が建っていくだろうと思いますし、ここに立っているのをご覧になってもわかりますように、幾つか100mを超える建物があるわけですね。これは大手町の野村ビルです。向こうに少し高いのが、あれは三菱銀行の本店のビル。あれも100mですか、第一生命館の向こうに立っているのがDNタワーといいます。120m級のものであります。そして現在進んでいるものとしては、新東京サンケイビル、ここのところにサンケイホールがあるんですけれども、ここの部分が現在建設中でありまして、ここに新しく建つ建物が145mになる、こういうものが立つというのが、これはもう計画が発表されております。そしてまた、現在、東京駅の横の旧国鉄本社ビルが入札の最中でありまして、ここの所ですね、ここの所にもし1300%で建てると、どういうものが建つかというと、はい、これくらいのものが建ってしまいそうだということが、これはまあ今入札中ですからどうなるかわかりませんですけれども、こういうものが建ちそうだということになっております。こういう形で今徐々に高い建物が建っていく、そして、この地図には入りませんけれども、宝塚劇場の建て替えが進んでおりまして、これも150mですね、ということであります。また丸ビルに関してはまだ明らかになっておりませんけれども、おそらく200m近い建物が建つんじゃないかということがあるんですね。ですから、こういう時期に一体どうしようかということを深く議論したいと、議論の場もなくいろんな大きな流れが、また、市民を取り残してこうして解決してしまうのかと、今非常に性急な議論をしなければならないという風に思うわけです。
そういう状況を踏まえてですね、今日は様々な方にお集まりいただいて、特に去年まで千代田区は都市景観マスタープランを、今策定中なんですけれども、その策定のメンバーの方がこの3年間ぐらい景観の議論をずっと続けてこられたということがありまして、今回は特にその千代田区の景観マスタープラン策定委員であった方々を中心にですね、パネリストに集まっていただいて、またそれに今まで丸の内地区で活躍されていた方々に集まっていただいて、それぞれの立場から御意見いただきたいというふうに思っております。