企業城下町における中核企業合理化後のまちづくりの方策に関する研究
                     〜岩手県釜石市を一事例として〜
A Study on the way of Community Development in the Company Towns Involved in the Fall of Big Company
-The Case of kamaishi City-
                                      86157 田中 利幸  

The purpose of this study is to throw light upon various problems that メcompany townsモ have had and plans and projects the local government has made, choosing Kamaishi City from many company towns. Kamaishi City had developed with steel industry as a key industry. Afterward, it went into a decline and ended up having various problems, such as population decrease, a decline in shopping area. When I joined in メKamaishi Machidukuri Workshopモ and debated with people there, I felt the necessity of pointing the way to community development. Therefore, it is necessary to examine how they advance community development for revitalization of region.

1.1研究の目的と背景
一つの大企業を中心に発展してきたいわゆる企業城下町と呼ばれる都市では、都市自体が経済を始めとする様々な面でその企業に依存してきたため、一つの企業が都市に及ぼす影響は極めて大きいものとなる。つまり、中核企業の経営方針および業績の動向が、地域全体の動向に直接的に影響するという特徴をもっている。従って、このような企業が構造不況等に見舞われた時の企業がその都市地域に及ぼす負の影響は大きく、実際、経営合理化に伴って企業が事業縮小などを行うなどしてこのような状況におかれた都市では、様々な都市的課題を抱え衰退してきた。

本研究では、まず、中核企業が事業規模の縮小、合理化を行い人口の激減や地域コミュニティの崩壊等により衰退してきた企業城下町について、企業城下町が抱えていった様々な都市的諸問題をレビューする。そして、すでに地域再生に向けて取り組まれているまちづくりの事例を調査し、どのような方向性・方策を持ってまちづくりが行われているかについて分析する。
その後、新日本製鐵釜石製鉄所を中核企業とし、我が国を代表として明治期から鉄鋼業の企業城下町である岩手県釜石市を一つの事例として、現在どのような課題を抱え、今後まちづくりを進めていく上でどのような方向性をもって進めていくのが良いのかについて考察する。釜石市は現代都市の典型とは言えないが、釜石市の歴史的経過をかえりみるならば、日本資本主義の展開の中で盛衰してきたし、むしろその直接的影響を最も受けてきた地方産業都市の典型を示すものと言ってよいだろう。

 実際に釜石市のまちづくりワークショップに参加し、今後のまちづくりを進めていく上で釜石市の抱える様々な問題が浮かび上がった。本研究では、釜鉄合理化をたどりながらそれらの問題点を明らかにし、今後地域再生にむけてどのような方向性をもってまちづくりを進めていけばよいのかについての提言を行いたい。
 この釜石市を一つの事例にとった本研究の成果は、他の全国の衰退した企業城下町に関して地域再生を考える際の一つの指針になることに最終的目標を設定する。

2.企業城下町の繁栄と衰退について
2.1企業城下町繁栄背景とその優位性について
■企業城下町の繁栄背景
 企業城下町という都市形態がどのような時代背景のもとで発展してきたのかについて述べる。その始まりを明治時代の官営事業所設立に近代における企業城下町の姿をみることができ、それ以降第2時大戦、高度成長期に至る企業城下町発展の要因となる時代背景を中心に言及する。

・明治政府のすすめる殖産興業政策
明治政府による殖産興業政策のもと、鉱山、鉄道、造船などが官営事業となった。これにより、良鉱とされる鉱山を持つ地域に官営製鉄所がつくられる(釜石も該当する)など、民間企業という形ではないが、地域に鉱業や造船業が根ざすきっかけが築かれた。
・相次ぐ戦争における戦時増産による景気
その後、明治政府は官営払い下げ政策を行い、民間業振興に力を注ぐことになり、各地の官営事業所が民間会社(特に旧財閥系)にかわっていった。また、日清日露戦争、第二次大戦などの需要に伴い、また莫大な資本力と政府の保護政策により企業は発展。そのもとに地域は人口の増加を伴い、発展していった。
・戦後復興期(資本主義の成長)
第二次大戦後、炭坑業は「傾斜生産方式」に伴い、坑員の増加とともに地域人口も増加する。また、朝鮮動乱を契機とする特需により、鉄鋼、造船などもその需要を増大させ、発展していくことになる。
 これらを契機に関連業種の企業は、規模の拡大、生産力の増大等を図りながら、関連企業をその傘下に従えていわゆる「城下町」を形成していった。「城下町」は企業発展に伴い、その恩恵を少なからず受けていくことになる。
■企業城下町であることのメリット
・税収面での恩恵
他の都市に比べて、中核企業、関連企業からの税収が大きい。
・「職住近接」の実現
企業城下町では、中核企業を中心にその周りに市街地ができていったということや、近くに社宅を整備することが多いので、従業員は比較的職場の近くに住居をもてた。
・企業による都市施設整備
本来事業活動を目的として企業が整備した都市施設を一般市民が利用するケースや、企業の福利厚生施設の一般市民への解放など公共性の高い都市施設整備は、企業が事業活動以外に一般市民の生活向上のために行う公益活動は、企業の地域貢献の一つに位置づけられる。

2.2企業城下町の衰退背景とそれに伴う都市的問題
■企業城下町衰退背景
・エネルギー革命による産炭地の衰退
企業城下町の中で最初に衰退の道をたどるのは、1960年代以降エネルギー革命と呼ばれる国のエネルギー政策の転換に伴い、大きな打撃を受けた産炭地であった。
・オイルショック・円高等による構造不況
1973年以降のオイルショックや円高によって圧倒的に強かった国際競争力を減退させ、それによる大幅な受注の減少によって重厚長大型産業と呼ばれる鉄鋼業や造船業が構造的に不況に陥り、衰退した。これによって企業は積極的な合理化をすすめ、結果として地域を犠牲にしていった。
 企業城下町と呼ばれる都市形態は、中核企業の経営方針や経営状況の影響を受けやすい。そのため、中核企業の業種がこのような構造的な不況に陥ると、地域には負の影響がもたらされ、それを原因として地域経済が落ち込み、ひいては地域社会全体の衰退につながることになった。

■中核企業衰退後の企業城下町が抱える都市的問題
・人口の大幅減少、雇用問題、高齢化問題
地域からの大量の人口の流出による人口の大幅な減少である。これは、大企業による大規模な人員配転や企業の事業規模縮小や撤退を原因とする。これは主に若年労働者の地域外流出を意味し、新しい雇用の開拓の必要性などを含んだ雇用問題とともに地域に急速な高齢化問題をもたらした。
・企業施設の自治体への移管問題
中核企業はその発展期において事業活動や従業員の福利厚生のために建設した様々な都市施設は、企業の衰退により、企業が自ら単独で維持管理することが困難になり、その施設の公共性から地方自治体に移管されることになるが、これらの都市施設の維持管理費は、税収面も同時に減少し、財政的にも苦しい自治体財政に大きな負担となる。
・大規模な遊休地の発生
企業の事業縮小や撤退により、その跡地が未利用のまま遊休地になっている。これは、産業構造の変化から企業の立地が、それまでの重厚長大型産業のように臨海部である必要がなくなり、自動車交通に有利な内陸部工業団地を選択するケースが増えていることも原因となっている。また、このような大規模な遊休地は、一等地にあることが多く、その資産価値からしても遊休地化しておくことの経済的なマイナスは大きい。

3.企業城下町で取り組まれている活性化策について
3.1「外発的振興」と「内発的振興」
地域の活性化という命題に対するアプローチとしての「内発的振興」と「外発的振興」という2つの視点。
・「内発的振興」:地域資源を活かして、地域住民の生活の向上を目指し、住民自らの手で地域振興を行う活動の展開。
・「外発的振興」:外部からの企業誘致や国家的プロジェクトあるいは広域的プロジェクト等による地域振興。

3.2「室蘭ルネッサンス」運動を事例に
「まちの沈滞化を防ぎ、どうすればまちが活性化するか」をテーマに市民の間からわきあがり進められている活性化運動。活動資金はルネッサンスの役員はもちろん企業からの出資、また募金まで展開している。
 昭和63年4月、「室蘭市民財団」「室蘭再開発市民協議会」の2つのルネッサンス組織の設立総会が開かれ、100人以上の幅広い層の市民を中心に発足した。
・室蘭市民財団:市民からの寄付、ルネッサンス基金の管理運用にあたる(1989年財団法人認可)
・室蘭再開発市民協議会:市民の意見の場で、事業計画を策定して実行していく。以下の4つの目標を掲げ、それぞれに委員会が設置されている。
1.働き易いまちづくり 2.住み易いまちづくり
3.文化的魅力のあるまちづくり 4.若者に魅力のあるまちづくり

「室蘭ルネッサンス」事業事例
・「鯨・いるかウォッチング」
・「測量山の希望の灯、ライトアップ」
・「ルネッサンス大学」
 それまでの室蘭市の市民運動は行政に対する陳情型であったが、そのような行政や企業に依存していた市民が意識をかえて、自分たちが主体となって動き始めたことは室蘭市にとって画期的なことであったし、「内発的振興」の一つの典型的な事例であると言える。

 衰退型企業城下町の地域再生に取り組むべきまちづくりの方向性として次のように示す。

「相互に補完するような関係」
→「外発的振興」は雇用の確保という点からみれば必要とされるものである。しかし、企業誘致が即地域振興にはつながらない。それを支える住民を中心として地域資源を有効に活用した「内発的振興」が必要になってくる。

4.釜石市の概要と現在抱える都市的問題について
4.1釜石市の概要
 釜石は江戸期から東廻り海運の寄港地として繁栄した港街であったが、1857年に大島高任によりわが国で最初の鉄鉱石をもって洋式高炉の出銑に成功した、近代製鉄発祥の地である。
 それをきっかけに明治期には官営製鉄所が建設され、それ以降数度にわたる変遷を経て、現在、新日鐵釜石製鉄所がまちの中心部に立地している。

■釜石市の人口について
 図ー2を見ると、人口は昭和38年の93123人をピークに減少を続け、平成10年時点で48462人となっている。(約46.6%の減少)
 人口の減少の原因として考えられることは
・釜石製鉄所の合理化、関連企業の縮小
・釜石鉱山の合理化、閉山
・魅力ある就業の場の少なさによる若者の流出
・出生数の低下  
 などである。
図ー2釜石市の人口の推移
 また、人口構成を見てみる。
表ー1人口構成
年少人口(0〜14歳) 生産年齢人口(15〜64歳) 高齢者人口(65歳〜)
釜石市 14.8% 63.8% 21.4%
全国 15.9% 69.4% 14.5%
急速に少子高齢化が進みつつある。また、高齢者人口の割合は全国と比較しても高いと言える。

■釜石市の産業について
表ー2就業人口、就業構造の変化(単位:人)
S50年 55年 60年
総数 30,621 29,354 26,690
第一次産業 3,652 3,114 2,690
第二次産業 11,007 10,132 8,520
第三次産業 15,606 16,062 15,442

H2年 7年 H2〜7伸び率
23,850 23,605 -1.0%
2,447 2,297 -6.1%
7,478 7,816 4.5%
13,917 13,483 -3.1%

 就業人口は新日鐵釜石製鉄所の合理化等の影響で平成2年まで大幅に減少した。近年(平成2〜7年)については、第一次産業、第三次産業で減少傾向が続いているが、第二次産業は新規の工場誘致政策等の効果と思われるが、就業人口は増加に転じている。
 第一次産業、第二次産業から第三次産業への産業構造の転換が見られる。しかし就業者で見ると第三次産業においても減少傾向にあるため、実体としては第一次、第二次産業の急速な衰退による構造変化であると言える。

4.2釜鉄合理化による都市衰退で生じた諸問題
 企業城下町釜石市の衰退の大きな要因である新日鐵釜石製鉄所(以下釜鉄)の合理化の流れをたどり、その合理化によって釜石市が抱えることとなった都市的問題について整理する。
 1950年にはじまる合理化の歴史は、本社の中での釜石の相対的地位の低下を物語る。広畑、室蘭の設備の近代化についても、また名古屋製鉄所の建設の際には、釜石から大規模な人員転換が行われた。
 また、1978年に行われた合理化では、最も顕著に地域に打撃を与えた。
図ー3釜鉄従業員数の変化

 図ー3のように釜鉄合理化は大規模な人員削減、配転をおこなった。また、このような人員削減は釜鉄よりもその下請け、孫請け会社に大きな影響を与えた。

■「現象的問題」としての都市的問題
 ここでは、合理化による都市衰退において目に見えて生じている問題を「現象的問題」と呼ぶことにする。
・人口の減少
図ー2に見るように釜石市の人口は減少傾向になっている。それは、大規模な配転(家族などを伴う)や就業機会の減少などによって、人口の流出が生じたためである。
・商店街の衰退(中心市街地の衰退)
まちの中心部である中心市街地、特に商店街が活気をなくしている状況も釜鉄合理化によるまちの衰退の一つの現象としてあらわれたことである。       図ー4商店街の様子
・大規模遊休地の発生
釜鉄の所有地には、現在未利用のまま遊休地化している土地が多い。市の都市計画用途指定区域の約24%を釜鉄が占めているが、図ー5で見るようにうち20%は遊休地になっている。特に海と山に囲まれ平坦地の少ない釜石市においてこのような大規模な遊休地の利用が大きな課題となっている。
図ー5釜鉄土地利用状況

■行政、企業依存体質の「精神的問題」
 釜鉄の合理化によって生じた問題は、先に述べたような目に見えてあらわれる「現象的問題」だけではなく、市民の中には、「釜鉄なくして釜石なし」などと言われるように、「企業や行政だのみ」という雰囲気、精神が長い企業城下町の下で浸透しているために、まちづくりに対して消極的であるという「精神的問題」がある。
 これは、釜鉄合理化に対する市民運動や釜石の政治を振り返ることによって浮き彫りになった。
・合理化反対の市民運動が大きな広がりをみせなかったことについて
→1978年の大合理化の際、当時の浜川市長の先導のもと大規模な合理化反対運動が展開された。しかし、この運動による新日鐵への陳情によっっても合理化は基本的に回避することはできなかった。この後、合理化の度に「釜鉄の合理化は釜石市民にとって死活問題だ」という言葉が市民サイドから叫ばれたが、反対運動はおこらなかった。これには、釜鉄には逆らえないという「釜鉄聖域論」とも言うべき思想や以前の反対運動にもかかわらず基本的には撤回させえなかった挫折感からくる「あきらめ」が底辺にあったと思われる。

・釜石の性格づけに大きく影響を及ぼした2人の人物
→三鬼隆:釜鉄の人間で、戦前から戦後にかけて製鉄所とまちの共存共栄を図る。また、市議会議員となり市政に関与するようになり、釜鉄内にあっては「わが釜鉄」意識を、外にあっては「釜鉄あっての釜石」という市民意識を醸成した。
→鈴木東民:昭和30年から12年間にわたり革新系市長として市政の中核を掌握した。釜鉄労組の支持をうけて、釜石市の性格を方向づけた人物である。

 以上のように釜石市の抱える都市的問題を大きく2つにわけると「現象的問題」と「精神的問題」にわけられる。これらの解決が地域再生につながるのであるが、次に、これまで行政や企業(釜鉄)が行ってきた地域振興策、また進行中、計画済みの振興策について考察する。

5.行政、企業による地域振興策について
5.1行政による地域振興策とその評価
■第二次、第三次釜石市市勢発展計画について
 第二次市勢発展計画は昭和53年、第三次市勢発展計画は昭和61年といずれも釜鉄合理化の真っ最中に策定されたものである。これらの市勢発展計画について共通して言えることは、その基本姿勢に「住民参加」がうたわれていることである。そして、いずれの計画を経ても実際に住民参加の仕組みや体制はできていなかった。

■釜石市総合振興計画について
 釜石市の21世紀に向けたまちづくりの総合的な指針として平成元年度を初年度として平成12年度を目標年度とする。(つまり、最新のものとして位置づけられる。)
 釜石市が目指す21世紀の都市像として「未来を拓く研究開発都市」「未来を創る複合産業都市」「未来を支え合う健康福祉都市」と明記され、それに向けて下の8つの先導的プロジェクトの展開を目指している。
 これらの主要プロジェクトに基づいて釜石地域では、釜石港湾口防波堤建設に代表されるような様々なプロジェクトが進行中である。
表ー3 21世紀に向けた主要プロジェクト一覧
@海洋開発関連プロジェクト 平田地区に研究機関等を集積し、我が国有数の海洋研究ゾーンの形成を図るもの
A釜石港開発関連プロジェクト 釜石港湾口防波堤の建設とそれによる広大な静穏水域を活用し港内の高度利用を促進するもの
B物流拠点プロジェクト 釜石港の設備、横断道、縦貫道等の交通体系の整備を図ることにより、三陸沿岸における物流拠点を目指すもの
Cリゾート関連プロジェクト 地域の特性を活かしながら官民一体となって「さんりく・リアスリゾート構想」の推進を図るもの
D都市開発プロジェクト 三陸沿岸の拠点都市として高次の都市機能を持つ拠点を釜石駅周辺に整備するもの
E宇宙開発プロジェクト 和山・貞任高原に宇宙航空産業基地の立地を促進するもの
F空洞利用プロジェクト 140キロに及ぶ釜石鉱山の坑道を、生産、研究、リゾートなどに利活用するもの
G総合福祉エリア構想 当市全域を福祉総合エリアとして、健康で安心して暮らせるまちづくりを推進するもの

 行政によって行われてきたこれまでの地域振興計画や今後計画されている地域振興策を考察してみると次のようなことが言える。
・これまでの地域振興策は、主に「現象的問題」の解決、さらに言えば即効的解決を意図してつくられた単発的な大規模プロジェクトが多いということ。
・それらのプロジェクトは、進行中のものがあるとはいえ、期待されているほど大きな効果は得られていないということ。
・その原因となるのは、それを支えるソフト面の仕組みづくりの充実に対する視点が薄いということ。

 総じて言えば、「現象的問題」の解決を急ぐあまり、市民の根底にある「精神的問題」に対する解決策が不十分であったと言える。つまり、まちづくりにあって重要な主体となるべき市民の、まちづくりに対する意識の低さにうったえて、それを改善するような施策、仕組みがこれからは必要となってくる。

5.2企業による地域振興策
 釜鉄は事業活動のみならず、その福利厚生施設(医療施設や体育施設などが釜鉄の場合あてはまる)の一般市民への開放などを通じて釜石地域社会に貢献してきた。
 また、合理化以降は地域社会に対する影響の大きさを考慮し、地域の雇用安定に寄与するために積極的に企業誘致に協力してきた。(図ー6参照)
 
 ただし、遊休地になっている土地も所有地の2割を占める(図ー5参照)。市や釜鉄にこの遊休地問題に対するヒアリングを試みたところ、「遊休地に関しては、市側からその利用の明確なビジョンを示してくれれば協力する」という釜鉄側の言い分に対し、「現在、それを模索中」というのが市側の現状であることがわかった。
図ー6釜石地域企業数の推移

6.市民主体のまちづくりに向けて
 釜石市民には、長い間の企業城下町の歴史の中、特に釜鉄合理化などを経ながら、まちづくりに関しては「大企業(釜鉄)、行政だのみ」という雰囲気、精神 いう「精神的問題」があると指摘した。
 また、これまで行われてきた振興策については「現象的問題」の解決を急ぐあまり「精神的問題」の解決策が不十分で、結果的に振興策全体として期待されるほど大きな効果は得られなかった。

 そこで、今後はまちづくりに関する市民の無力感をぬぐい去り、行政や企業への過大な依頼心をなくして、自分たちの手で自分たちが生活するためのまちづくりをしていく必要があると思われる。

6.1「釜石まちづくりワークショップ」を通して
 これは自分自身が、平成10年7月、12月、平成11年8月の3回にわたって「釜石まちづくりワークショップ」に参加し、実際に釜石市民の方々と議論した中から感じられたことである。

・提案はあってもそれを実現する「主体」が何かまではあまり意識されていない。
・求めるまちのイメージは、一人一人がかなり具体的なものを持っているが、実現のために市民自身が何かするという意識があまり見られない。「市に〜してほしいと要請する」という意識が強い。

→依頼心の強さ、積極性の無さ→「精神的問題」につながる。(釜鉄合理化から10年以上経った今でも、このように市民の中で依存心が強いということが、釜石市が抱える問題の根元と思われる)

 しかし、実際回を重ねるごとに活発な意見のやりとりがみられるようになったのは事実で、ワークショップ形式のような自由にまちづくりについて議論しあえる機会(まちづくりへの参加の場)の提供は、市民意識を高めていくための足がかりになるといってよい。
 また、参加層に幅があまり見られず、女性や高齢者、学生などの参加が少なかったことを考えると、これらの市民層を巻き込んで市民意識を高めていくことが必要であると思われる。

6.2「市民主体」「住民参加」をキーワードとして
 今後の釜石市のまちづくりを考えていく上で、特に初動期として取り組むべきことは以下のようなことである。
・まちづくりの担い手を増やす
→様々な活動を展開している市民団体が多数存在しているが、そのような中からまちづくりに関わっていくような団体の育成が必要である。(市民が主体となるといった時、現在の釜石市のようにまだ市民意識が高くない場合は、比較的まちづくりへの意識が高い人を中心に輪を広げていくことが考えられる。)
・住民参加の仕組みの確立
→市民意識が高まり、まちづくりに対して積極的になる礎ができた時に、このような市民の意見をより反映させる仕組みを確立していく必要がある。

7.まとめ
釜石市についてのケーススタディから言えること
■「精神的問題」の解決にあたって
 企業城下町においてその中核企業が衰退すると、様々な問題が生じる。それは「現象的問題」と「精神的問題」にわけられ、特に「精神的問題」とは、長い間の企業城下町という都市形態のもとで、都市運営の決定権が住民ではなく中核企業に集中してきたことで、住民の中にまちづくりに対する無力感とともに「行政、企業だのみ」という依存心が強く、積極的にまちづくりの舞台にあがらないようになってしまったという、衰退型企業城下町特有の問題である。

 このような問題の解決の糸口として、ワークショップのような、簡単にまちづくりに関して議論しあえる機会を継続的に提供することが効果的である。

■今後のまちづくりの方向性について
 企業城下町においては、その中核企業合理化後の衰退からの脱却を図ろうと様々な地域振興策が行われてきているが「まちの発展=経済や産業の振興」という視点に偏りすぎて、「外発的振興」に頼りすぎていた。
 よって、そのまちに住む住民、生活者の視点にたったまちづくりが必要となる。そういう意味で、「住民参加」という概念は、企業城下町の今後のまちづくりを考える上で重要である。

 また、企業城下町特有のまちづくりの主体の一つに「企業」があげられる。衰退後大きな力がなくなったとはいえ、その土地に根ざしている以上、歴史的にみれば都市形成に大きな影響を与え、貢献してきたといえる。釜鉄を例にとると、

図ー7企業の地域貢献

 釜鉄の地域貢献は合理化後でも大きく、まちづくりにおける位置づけにおいても所有地の活用問題などを含めて、まちづくりに対して主体的になるべき存在である。

 以上より、主にまちづくりの主体となるべきものは、「市民」「企業」「行政」の3者であり、この3者が互いに協調し、連携していくことが必要である。しかし、釜石市にはこの3者が同一の場で議論できるような「場」が存在しない。
 このような「場」として「釜石まちづくりハウス」(仮称)を設立する必要がある。ここでは、3者が将来のまちづくりのビジョンを共有する。
 
 このような市民、企業、行政のまちづくりのあり方についての概念は以下のように表せる。

図ー8市民・企業・行政によるパートナーシップ型まちづくり

 このような3者の相互の連携のとれた(パートナーシップ)まちづくりの体制は、今後の釜石市のまちづくりの方向性の重要な指針となるものと考えられる。

■他の企業城下町へ向けて
 このように釜石市を、衰退型企業城下町再生に向けての一つのケーススタディとしてとりあげてきた。釜石市は、新日鐵の製鉄所が立地している他の都市に比べても、その歴史の中で相対的な地位は低く、大きな合理化の対象とされてきた。
 したがって、中核企業合理化の都市衰退による都市的問題を把握しやすかった。これを他の企業城下町にあてはめて考える時、その地域独特の条件は別にして、企業城下町は、住民参加が他の都市に比べ進みにくいというハンデはもつものの、それと同時に企業のまちづくりへの参加という可能性をもっている。
 したがって、行政を含めた3者によるパートナーシップが企業城下町再生のキーワードとなるとして、本研究のまとめとする。

●主要参考文献
・「鉄と共に百年」新日本製鐵株式会社釜石製鉄所
・「新日鐵釜石労組五十年史」新日本製鐵釜石労働組合
・「釜石市史」釜石市
・坂上、野口、藤原共著「釜石は挑戦する」岩手日報社