京都圏における鉄道網敷設と中心地の立地移動に関する研究
A Study on Railways Construction and Locations−Movements of Centers in Kyoto Circle
                                      56120 小池 司朗

Although from ancient times it is well known that rise and fall of centers(or cities)is closely connected with the change of transportation lines,the analyses observing centers from transportation system are not so popular lately.This study aims to analyze positively their influece that transportation lines from the Meiji era(especially railways)have centers in Kyoto circle on.In order to clarify the historical locations−movements of centers,time−space model expression is made from mesh population data.
This study reaches the following conslusions.As the influence of Kyoto is getting more and more atrong,suburban area rises rapidly,but on the other hand,neighboring area falls relatively.In neighboring area,transportation linesheve been constructed without considering the relations among centers.As the problems concerning centers lie in a heap,from urban - planning viewpoint it is necessary to think over the reorganization of centers also from transportation system.               

1 研究の背景
 都市計画を行うにあたって、対象とする都市の置かれている状況、特にその盛衰を知ることは不可欠である。古来から交通路の変遷と都市の盛衰とが密接な関係にあることは周知の事実であるが、都市あるいは中心地の盛衰を交通路変遷の観点から分析したものは意外に少ない。
 また、市町村合併促進法による急激な市町村合併の結果、都市(行政区域)と中心地が一致しなくなってきている。その結果、都市内における中心地分布の把撞が困難になっており、この点も都市と中心地を区別するという意味で、テーマ設定の大きな要因となっている。

2 研究の目的・手法
 上述のような状況を踏まえて、本論文においては、主に近代以降の鉄道を中心とする交通路が京都圏の市街地に及ほしている影響を実証的に分析することに重点を置き、行政区域にとらわれずに中心地立地移動の様子を明確に把握することを主たる目的とする。
 京都周辺の地域を選定した理由は、戦災による市街地の面積喪失が極めて小範囲であり、交通路敷設に伴う近現代における時系列的市街地盛衰過程の分析が可能な地域の一つであることによる。本論文では、これら交通路の敷設と市街地の盛衰ひいては中心地体系の変貌との関係を明らかにするため、駅乗客数データやメッシュ人口データを用い、計量歴史地理的な観点からの分析を試みる。

3 論文フローチャート図
4 論文各章の概要

 本論文の対象とする地域は、行政区域でいうと、京都府京都市・宇治市・向日市・長岡京市・大山崎町・亀岡市、滋賀県大津市・草津市・栗東町を含むエリアである(図1)。
      図1 対象地域の行政区域図
 京都市の歴史は、794年の平安京造営によってはじまる。以後度重なる争乱があったが、明治維新まで政治・経済の中心都市としての役割を果たした。
 一方、周辺都市は、古くから何らかの形で京都と関わりを持ってきた。明治近代化以前は、地域内の川や湖などで水運が発達し、中近世における都市発展に大きく貢献した。明治以降これらの都市は、京都との関係をさらに深めることになり、とりわけ高度成長期には例外なく人口の急増を経験している。
 京都を通った最初の鉄道は、官設鉄道東海道本線であり、明治10年(1877)に現在の京都駅が開業した。以後、続々と鉄道が開通することとなるが、国鉄(JR)線は京都駅をターミナルとし、私鉄線は近世以来の都心である三条・四条付近をターミナルとする構造が明確になってくる。
 京都を特徴づける交通としては市電が挙げられる。市電は、明治末期から大正期にかけて都市計画の一環として完琶湖疏水の発電を利用して敷設され、一時は市:街地一円に路線網が広がった。
 鉄道開通当初から現在まで同一基準で採取可能なデータである駅乗客数の変化をもとに、中心地分布変化の一端について考察する。なお、近年におけるモータリゼーション進展の影響は無視できないが、国勢調査の結果から、鉄道路線上では通勤・通学に関してマイカー利用率に大きな差がないことが分かった。このため、路線別に駅乗客数を追うことにより、相対的な中心地の盛衰がうかがい知れる。
 その結果、全ての路線においてほほ同様に図2のような変化がみられた。地域内最大中心地である京都(都心地域)を中心に据えると、鉄道敷設時(@)は、京都の後背地である農村(周辺地域)を挟んで大津や伏見といった京都に次ぐ大中心地(近郊地域)が控えており、さらにそれらの後背地である農村(近郊外地域)を介して草津や宇治といった中クラスの中心地(郊外地域)が立地するという山三つの構造になっていた。ところが、時間の経過とともに駅乗客数の分布にも大きな変化が起こり、次第にAのような山二つの構造へと移行していく現象がみられる。
 図2 駅乗客数変化のイメージ図
      図3 本論文における地域区分

 京都都心部を中心とする鉄道網が出来上がることにより、都心地域の影響力が増大する。その影響力のもとに、周辺地域は急速に市街化され、近世に繁栄した近郊地域は相対的に衰退・停滞し、近郊外地域は近郊地域からの市衛化が進行し、郊外地域は宅地化と同時に新たな都市機能の集積が発生する。上述の駅乗客数変化はこうした一連の動向を反映したものといえる。
 3章で述べた駅乗客数変化は、中心性の変化の一端を示す指標であるが、駅乗客数は流動的であるうえ、路線別に輸送力の違いがあるため、乗客数の数値をそのまま中心地の指数として代表させるには間葛がある。
 そこで本草では、中心性を代表する指標といえる人口を取り上げ、鉄道敷設直前から現在に至るまでの人口変動を再現するモデルを作成し、鉄道駅の中心カの測定を試みている。
 人口変動の分析単位としては、時系列分析に適しているメッシュ(国土統計調査の基準地域メッシュで1平方キロメートル弱の大きさ)を扱う。データ時期は、鉄道敷設前後における比較を行うため、1880年・1970年・1990年の3時点を取り上げる。1970年と1990年については、総務庁統計局が提供している統計結果資料が存在するのでそれを利用したが、1880年については、古文書と旧版の地形図からメッシュ人口を推計した。そのうえで、1880年と鉄道駅の影響が卓越していると考えられる1970年との間について、鉄道駅の影響のみを考慮した時空間モデルを作成する。その後はモータリゼーションの進展により鉄道駅だけでは人口変動を説明しきれなくなり誤差が拡大するが、その誤差の分布を分析することにより、1990年における従前からの中心地体系変化の様子が知られる。
 モデル式の詳細については紙面の都合上割愛するが、その要点を鋭明すると以下の通りである。
 人口は基本的に鉄道駅のある場所から拡散する現象であると考えられるので、ここでは波動の原理を応用している(鉄道駅以外の要因については考えないこととする)。すなわち、水の中にいくつかの大きさの異なる石を落とす状況を想定し、都市空間を水面全体、石を落とす点を主要駅の座標とそれぞれ考える。そうすると、中心カは振幅に、拡散始動時期の違いは位相の差にそれぞれ置き換えられ、任意のメッシュの人口は波の高さの和として求められる。これに加えて、距離減衰、駅の影響力割合、メッシュごとの可任地面積割合、実際の拡散の梯子からみる曲線当てはめ、既存住民の移転などを考慮している。その結果、非線形関数の最適化問題に帰着し解析的には解けない式となるが、諸パラメーターは逐次計算の数値計算によって算出し、それでも残る誤差は鉄道駅によっては説明できないものとして、後で要因を分析している。
 表1が1880年と1970年との間でモデルを作成し、実際値とモデル推計値との誤差が最小になったときのパラメーター表である。ここに、Ajは駅jの存在する点における人口拡散の振幅、ぽjは駅jの人口拡散に関する距離減衰のパラメーター、vjは駅jからの人口拡散速度、(t−tOj)は基準時点の1880年を0としたとき駅jが人口拡散を始動してから時間t(1970年)までの年数であり、駅によって及ばされる市街化の成熟度を示すパラメーターである。
 表1 最小誤差時のパラメーター表
 なお、中心カは波動エネルギーと同様に振幅の三乗に比例する形で表され、(Aj/e dj)2で計算されており、一方拡散カは(中心カ×vj)で算出され、こちらは市街地の伸展カを表している。以上のパラメーターによって算出されるモデル推計値は、検定や相関分析により、極めて実際値に近いという結果が得られ、鉄道駅を主体とした市街地形成が行われていたことが指摘できる。
 表1からは様々な分析が導かれるが、重要な点は、1970年の時点では近郊駅の中心力が都心駅に次ぐ高い値を示していること、一般に都心から郊外へ向かうにしたがって拡散年数(t−t Oj)が浅くなっていること、また拡散速度vjが都心駅と郊外駅で速くなっており周辺駅と近郊駅では遅くなっていることである。以上から、周辺地域における市街化の大部分は都心地域からの影響であることや、京都都心部から郊外の駅に向かって拡散
現象が広がっていく動きのなか、近郊地域は高い中心性を保っているが、市街地伸展カを示す拡散カは近郊駅に劣らない郊外駅も多く、郊外地域では近郊地域などをはるかに上回るスピードで市街地形成が進んでいることが分かる。
1−990年においては、表1の諸パラメーターを当
てはめたモデル式にt=110(すなわち1990−1880)を代入して推計値を算出し、実際値との誤差から中心地体系の変化について考察する。
 図41990年の誤差分布(実際値−モデル推計値)

 図4がモデル推計値から実際値を引いた誤差の分布図である。1970年の時点では誤差の分布に特徴が見いだせなかったが、1990年になると地域的な誤差分布が鮮明になってくる。ここで過小推計のメッシュに注目すると、図に示したように、周辺地域・郊外地域においてほぼ同心円上に広がっており、3章で述べたような京都都心部の影響力拡大に伴う周辺地域の急速な市街化、近郊地域の相対的な停滞・衰退、郊外地域の成長という現象が起こっていることが、モデルの誤差からも察せられる。以上の指摘を中心地分布変化に置き換えて示すと、図5のようになる。     
図5 中心地分布変化のイメージ図

 当初は、図3に示した地域区分は同心円上に広がっておらず、鉄道路線上に沿ったヒトデ状の細長い分布を示していたが、本稿の1990年のモデル推計値と実際値との誤差からは、図4のようにその分布の同心円化の現象がみられ、各地域の半径拡大の傾向もみられる。これは、既存鉄道の再編やモータリゼーションの進展に伴う道路整備などにより、等方向に自由な移動ができるようになった事実を裏付けている。
 本稿では、3・4章よりも対象範囲を限定し、ミクロな視点から歴史地理的な観点も含めて中心地の立地移動について論じる。選定地域は、交通路変遷の激しい京都〜大津のいわゆる京津地域である。京津地域はかつてわが国における大動脈であったが、地形が複雑なため旅人の往来には甚だ難渋したといわれている。
 また近代以降においても、東海道本線の敷設と改変、琵琶湖疏水の完成、琵琶湖の湖上交通の盛衰、京津電軌や大津電車の敷設、江若鉄道の敷設とその廃止に伴う湖西線の建設、名神高速道路と新旧国道一号線の開通、近い将来には京都帯地下鉄東西線の開通など、交通に関する話題が尽きない(図6)。このように交通路変遷が激しいため、それに伴う中心地の立地移動も盛んである。以下、急速な都市化現象がみられる山科盆地と、近世か
らの繁都である大津市街地を例に、主に交通路変遷との関連で中心地体系について考察する。
(1)山科盆地
 山科盆地における人口変動と事業所立地を調べた結果、以下の分析が得られた。
 盆地では、地形的障害から都心部との交通路が限定され、それだけに交通ネックが生じ、実際の距離に比べ時間距社が長い。このような状況から、山科駅では駅前集落が早々に形成されたものの、周辺農村の市街化はなかなか進まなかった。
 しかし1960年以降、特に南部地域において急速に市街化され、そのスピードはモータリゼーションの進展によってさらに加速された。その結果、人口の急増に施設の整備が追いつかないという現象が生じた。山科駅は盆地内の最大中心地であったが、南部地域の人口急増と、盆地の北端に偏在しているという立地条件から、さらに上笹の中心地にはなり得なかった。盆地内を貫通する鉄道が存在しないため、自家用車利用が前碇となるが、これにより大規模小売店舗や近隣商店街はあちこちに散在するようになり、中心地間に統一性のない市街地が形成されてしまった。
(2)大津市街地
 大津市街地内の 主要駅乗客数の変化、店舗・官公庁の立地を調べた結果、以下の分析が得られた。
 市街地内には歴史的にみても多くの中心地が発生している。大津市街近世の交通の要衝としての性格を近代に入って からも失うことなく、京都に近接す るという地理的条件と相倹って交通網は次々と整備されていくという、山科盆地とは全く逆の傾向がみられる。しかし、度重なる鉄道の敷設・変遷とそれに伴う頻繁な中心地の立地移動は、大津市街地全体としての中心性を弱める方向で作用してきた。
図6 京津地域の交通路く鉄道、水路)図

 市街地形態をみると、山地・丘陵と琵琶湖の間の狭小な平野に形成されており、平野部は湖に沿って細長く伸びている。このため、湖岸線に平行する都市形成軸(平行軸)は発達しやすいが、山地・丘陵部と湖を結ぶ都市形成軸(直交軸)の形成は行われにくい状況にある。
 しかも、交通手段と交通流の変遷は、その傾向に一層拍車をかけた。すなわち、かつては大津港から東海道筋に沿う直交軸方向にも中心街が発達していたが、水運の衰退と初期の東海道本線京都〜大津間の開通、さらに東海道本線の全通により平行軸に沿った市街地形成が決定的となった。現在、市街地内における平行軸の交通路に比べ、直交軸の交通賂軸線は極めて弱くなっている。
 このように大津市帯地では、京都の影響が強まるにつれて平行軸に沿った方向での交通体系が新著となってきた。京都に近在しているだけにその影響をまともに受け、市街地内の軸形成が無視されたかたちで多くの中心地が発生したが、それらの間の連携が弱いため、さらなる帯解地の衰退を招いているという状沈に賄っている。
            ◆
 以上、山科盆地・大津市街地を取り上げ、主lご交通路との関連から中心地の立地移動に関する考察を行ったが、その分析結果をまとめると表2のようになる。

      衷2 京津地こ墟における分析札要
 両地域とも、鉄道を中心とする交通路変遷とそれに伴う交通流の変化は、市街地に大きな影響を及ぼしているが、それが必ずしも望ましい市街地形成に役立っていないことが分かる。
 明治近代化以前は主として近世以来の宿駅制度をもとに中心地が分布していたが、鉄道の開通はその中心地体系を一変させた。当初は、鉄道が敷設されるか否かによって市街地の盛衰が決定づけられたといえる。しかし、主要鉄道網は地域最大都市である京都を中心に放射状に整備され、また、鉄道がハード・ソフト両面で改良されるにつれて、京都の近郊に位置する中心地は京都圏に飲み込まれてしまうという現象がみられるようになった。
 戦後になると、鉄道のソフト面における一層の改良のもとに、郊外地域や周辺地域にも市街化の進展がみられるようになる。郊外地域では、京都の影響を大きく受けながらも、急増する人口の受け皿として施設の整備が必要となるため、商業機能などが次第に充実し、京都に次ぐ中心地としての体裁を整えていく。周辺地域では、大規模住宅をはじめとする市街化は急速に進展するが、その大半は周辺駅からの拡散ではなく京都都心部からの拡散であり、大中心地を付近に控えているために商業集積は遅れる。一方近郊地域では、これらの地域の陰に隠れて市街地発展力が弱く、かつての都市横能も失われる。こうして、3・4章で指摘しているような中心地体系の変化が徐々に進む結果になる。
 近年では、鉄道の占める地位の相対的な低下・モータリゼーション進展によって、周辺地域・郊外地域の市街化は一層顕著となり、マイカー利用者を主な対象とした商業集積がみられるなど、中心地体系もさらに変化して新たな段階を迎えようとしている。しかし、現時点では5章で分析したように地域内の中心地分布に整合性がとれていないなど問題も山積しており、都市計画的な観点に立つと、そのような交通手段の変化に対処し得る中心地体系の再編を、交通体系からも見直すべきである。

主要参考文献
1)京都府(1968)京都府市町村合併史
2)京都市(1975)京都の歴史8・古都の近代
3)滋賀県(1965)滋賀県市町村沿革史・第二巻
4)戸所隆(1980)「山科盆地の都市的発達とその問題点」日本都市学会年報14
5)大津市(1982)新修大津市史5・近代
6)同 (1983)新修大津市史6・現代
7)戸所隆(1987)「大津市中心商店街再活性化への一考察」日本都市学会年報21
8)西村睦男(1977):中心地と勢力圏


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