ハノイ・36通り地区の空間構造から見た地域特性に関する基礎的研究
-A Study on the Urban Character of the "36 Old Streets" Quarter in Hanoi through the System of Urban Spaces-

56130 辻 鈴子

This study aims to clarify the system of urban spaces of the "36 Old Streets" quarter in Hanoi in the view of the role of the urban spaces. This area has its historical townscape and high density of residential area with its long and narrow sites system. And its character becomes clear through its system of urbanspaces.
In this study, the urban spaces in this area are parted in three according to each function as the living space, the commercial space and the street space. The first two are the main function of this area and exist mainly in the blocks. The last one connects blocks each other and absorbs surplus activities floating out of blocks, such as moving, working, shopping, eating meals, social activities and rest. And its layered roles regulated by the long and narrow sites system reflect most popularly the composition of urban spaces, so its urban character is considered as the common recognition that the urban spaces are available only in the long and narrow sites including a footpath in front of its site.

序章・研究の概要

#研究の目的
 ハノイ・36通り地区は、千年の歴史を有し、瓦葺きの町屋が続く地区特有の町並みを持つ歴史的地区である。1986年12月のドイモイ政策導入を皮切りに、社会主義経済から市場経済へと転換し、居住者の生活様式が現代的なものへと転換しようとしている。8万人以上が100haに居住するという超高密居住による弊害や、町並みを観光資源的に利用した地区内のミニホテルの乱開発による景観破壊が問題となっている。
 これらの問題を解決するために、内外の諸機関から現状改善計画が提案されている。ただ既存の計画案では、36通り地区の特性として建物の外観、人々の生活等が等価として並列に扱われ、空間構造や地域特性はなお明らかにされていない。
 そこで本論文では36通り地区を構成する表層的な空間構成要素を並列的に挙げるだけではなく、各々の要素を人々の利用状況から考察し、地区全体の空間構造を明確にすることを目的として36通り地区の現状把握を行う。人々の行為を多様化させる空間構造を解明し、そこから生み出された36通り地区に固有の地域特性を明らかにする。

#論文の構成
 36通り地区全体の空間構造を把握するために、まず第1部として36通り地区の歴史的背景や、地区を取りまく社会状況について理解をする。
 そして第二部では36通り地区の現在の利用状況の把握を通して、地区全体の空間構造を明らかにする。36通り地区は物質的には80あまりの街区とそれらをつなぐ街路で構成され、生活空間と商業空間が様々な形態で分布している。そこで生活空間、商業空間、街路空間というそれぞれの役割ごとに、対象地区を構成している空間の実際の利用状況の把握を行う。
 そして上記の三つの空間をつなぎ合わせている空間構造を明確にし、それぞれの空間を規定している共通理念をそれから導き出す。さらに、地域特性を空間構造が現象化したものとして捉え、36通り地区に固有の地域特性を明らかにする。

#第一部・36通り地区を取りまく状況

1章・ハノイと36通り地区の概要
■第1段階・政治都市の時代(11、12世紀)
 ハノイ(河内)は1010年に李朝が独立した際に比較的湖沼が好くない場所を選んで城郭都市を建設し、昇龍(タンロン)と名付けたのが始まりである。
■第2段階・商業都市の時代(11〜19世紀末)
 場外には北部山岳地帯と南方デルタの交易市場としてケチョーKe Cho=大きな市と呼ばれる手工業の職能別同業者組合ごとの定期市のみの商業地区が発達した。黎朝時代(1225〜1414年の1466年からおよそ300年の間、商業地区は36坊あり、地区の名前の由来となっている。ハノイは港を通じて東南アジア貿易圏の一大拠点であり、14世紀頃には36通り地区に中国人も集住して商業活動を行っていた。
■第3段階・フランス植民地時代(19世紀末〜20世紀半ば)
 1873年ハノイが占領されてから城郭跡を中心に放射状の道路が整備され、ホアンキエム湖の南方には直行道路上のフランス地区が形成された。36通り地区では、それまでの主要水路であった蘇歴江や点在していた湖が埋設されて道路が整備され、ドンスアン市場(1892)が建設され路面電車が通り、より小さな街区に分割されながら建物が密集し短冊状の町屋地区が形成されていった。
■第4段階・終戦から(20世紀半ば〜)
 1954年のフランスからの解放後ハノイへの急激な人口集中が起こった。梗概に労働者向け住宅として、板状並行配置のソ連型の集合住宅が多く建設された。
都市化は主に鉄道の西側を中心に展開された。

2章・ベトナム社会の近年の動向
■社会の流れ
 1976年に南北を統一してからドイモイ政策導入までの約二十年間、国内では食糧難やインフレなどが次々と起こり国民の生活は圧迫されていた。1986年末に始まったドイモイdoimoi=「刷新」政策は、中央が統制する経済から法律と市場が決める経済への転換を目指している。1987年末の外国投資法公布以来、1988年の国営企業の解体、民間セクターの営業認可開始、集団農場停止などがすすめられ、土地使用権の自由売買も認められた。このような民主化傾向は投資の促進と商業の活性化をもたらし、アメリカの経済制裁解除やASEAN加盟なども追い風となり市街は活気を取り戻した。
■36通り地区に関する都市計画の流れ
 1992年に都市農村計画研究所(NIURP)が作成した「ハノイマスタープラン2010」が認可された。ここで保存地区に指定された36通り地区に対する開発規制(*1)では、街路に面した建物は3階建て12m以下、街区の内部は4階建て16m以下とされ、現状の1000人/haを800人/haに削減するとあるが、実際は遵守されていない。
 諸機関から提出されている改善計画案は3つに分類できる。一つ目は36通り地区全体の改善計画、二つ目は街区単位の案で、その形態や用途などは違うが街区内部へのオープンスペースの導入と建物高さは現状維持としたものが多く、強制移住を前提にしたものなど法規的には正しいが実現性に乏しいと思われる。三つ目は敷地単位の計画で、実測調査を含む詳細な現況調査を実行し効率的な空間利用を提案している。

#第二部・36通り地区の空間構造と地域特性

3章・36通り地区の生活空間
 36通り地区の街区は間口2.5〜5.5m×奥行き20〜60mの短冊状の敷地と間口が広く奥行きが狭い敷地で構成されている。短冊状の敷地が圧倒的に多く、奥行きの浅いものはフランス植民地時代に造成されて比較的新しい街路に面している。
 この地区の特徴は、隣家との間にレンガ一枚積みの界壁があり、隣り合う界壁は透き間を空けずに建てられ、敷地の際奥まで続いていることである。

■36通り地区の町家
1)1900年以前:伝統的町家
 封建制の規則で階高の低い木造2階建てもしくは平屋建て、ベトナム瓦葺きの切妻屋根である。
2)1930年代以前:ベトナム古典主義町家
 高さ規制が無くなりフランス建築の影響を受け、階高が4.0メートル前後と高くなり2階建てになる。
3)1930〜50年代中頃:ベトナム・アールデコ町家
 床が木造からコンクリートスラブに変わり、陸屋根化が進み3階建ても増える。
4)1954年〜1975年
 フランス瓦の勾配屋根の木造レンガ壁、平屋建てである。
5)1975年〜1980年代中頃
 1954、55年と1979、80年に細分化した敷地のまま古い建物の増改築が進む。中二階の増築が盛んに行われる。
6)1990年代前後
 ミニホテルと裕福な商人の自宅として、鉄筋コンクリート増の中層住宅が街区表層部と街区内部に出現する。

■町家の集合住宅化
 36通り地区の町家は数頭の建物とその間にある中庭から構成され、建設当初は一館を1家族が所有していたことを考えると非常に豊かな空間を持つ住居であったと考えられる。
 しかし、1954年の抗仏戦争終了時に戦争の引揚者夜プに政府主導でフランス人や中国人、裕福なベトナム人から接収した邸宅の分配や宗教施設の境内への居住許可が行われるなど、既存の建物の「セル(=小室)」化が行われた。その細分割された「セル」一つにつき一家族が居住するようになった。さらに、土地使用権が細分化されたままで増築が行われる例が、建材の入手が容易になった1990年代に入って急増し、一つの敷地の中でも多様な建築がモザイク状にせめぎあっている。
 このような町家の集合住宅化が計画人口以上の超高密居住を可能にしたといえよう。ただ、それにより居住環境が悪化しているのは事実である。各戸の専有面積の狭小さや設備の共同しようによる個人間の軋轢、近接しすぎる隣家との関係の維持など、居住環境問題は多岐に渡る。

4章・36通り地区の商業空間

■従来型の商業施設
 36通り地区の従来型の商業施設には、市場や街区表層部、中心部の店舗、街路上の行商や露天商がある。
 市場には点帳や木造の小屋が連なる仮設市場と鉄筋コンクリート造の市場があるが、扱う商品や個々の店舗のしつらえ、大きさにはあまり差がない。
 街区表層部は、通常の店舗や商品の製造も行う店舗兼工房などが一つの街路に同業者が集まり専門店街となっている。街区の中心部にはサービス業や貸しオフィス、計画経済時代からある小規模な工場などもある。
 街路上では行商や露天商などと共に町家店舗などのあふれだしが恒常化し、建物の一階部分の外壁面を利用した商品陳列や露店食堂の歩道の占拠など、36通り地区の街路景観を形づくる大きな要素となっている。街区内部の商業空間では自らの存在を誇示する必要はないため、看板さえ出していない場合が多い。

 町家の店舗や露天商など街区表層部付近の商業施設と、仮設市場は同じように線状に集積して同じように過剰に商品が陳列され、営業形態に関してあまり違いがない。いずれもハノイの商業拠点としての広域集客機能と、近隣地区内での消費にサービスする機能をあわせもち、商業拠点であり消費場所でもあるという36通り地区のを示し、また、36通り地区の両義性を示し、また、36通り地区の街路景観を画一的にしている要因の一つでもある。

■新しい商業施設・ミニホテル
 ミニホテルと呼ばれる短冊状の外国人向け宿泊施設は、外国人観光客の増加に従い1990年以降建設数が急増した。周りの建物から1、2層分飛び出た白い壁に市場経済下での「成功」のイメージが投影され、36通り地区のあちこちで増殖している。しかし現在は既に飽和状態にあり1996年の竣工数はピークであった前年の半分以下である。ベトナムブームも一段落したと言われる今、ミニホテルの新築はほとんどないと思われる。
 このミニホテルは、1930〜50年代に建設されたベトナム・アールデコ風町家が進化した姿といってよい。限られた短冊状の細長い敷地を商業的に有効利用するために、垂直方向へ積層化したものである。
 現在問題となっているミニホテルの景観破壊についての議論は、ネオンサインやガラスを多用した外装など外観の「過剰」さについての議論が多い。36通り地区の町並みに対して何か方策を採るのなら、白い壁を完全に排除するか、その白い壁を「異物」として感じさせないような形態を例示して修正を求めていく必要があると思われる。

5章・36通り地区の街路空間

■街路の種類
 街路の物質的な条件の違いが人々の行動にどのような影響を及ぼしているのかを把握するための第1段階として、36通り地区とフレンチクォーターにある街路の物質的な違いを知り、街路を分類しそれぞれの分布状況を把握した。36通り地区に存在する組み合わせは以下の6種類となる。

1.広い車道(W1>6m)+広い歩道(W2>2.6m)
2.広い車道(W1>6m)+狭い歩道(W2≦2.6m)
3.狭い車道(W1≦6m)+広い歩道(W2>2.6m)
4.狭い車道(W1≦6m)+狭い歩道(W2≦2.6m)
5.狭い車道(W1≦6m)+歩道なし
6.車道なし+狭い歩道(W2≦2.6m)
 
 ここで、利用方法の差が見受けられなかった5と6の区分については、実質的には違いがないものと見なし、36通り地区に存在する街路空間は5種類であることとする。

■街路の利用実態調査
1)街路別の行為と行為主体、場所の比較
 上記の5種類の街路空間の中で、各々の街路において行為の種類と行為の主体及び各行為が行われる位置の関係を街路の概念的な断面図として採集した。

◆結果考察
 車道の中央部はバイクや自動車など高速移動のための空間であり、歩道に近い部分は徒歩など低速移動のための空間である。歩道は基本的には滞留行為がなされる場として機能している。さらに、歩道上でも建物の外壁に近い部分は、街や店舗の営業行為のあふれ出しや、店舗の関係者や居住者とおぼしき人による生活行為の場として機能している。行商による商業行為は空間を占拠する優位性が低く、街路の空間構造に応じて歩道上から車道上まで様々な場所で行われている。

2)街路別の交通量の比較
 移動行為を行う個体総数や個体速度を採集するために各々の街路で撮影可能な地点を選び、各調査対象地付近で撮影を許可してくれる住宅等から、ウィークデイの午前10時半から11時半までVTRの撮影を行い、移動個体数を計測した。

◆結果考察
 街路幅員が大きくなるほど高速の移動手段の利用が増加するが、歩行者の総数は余り変化しない。ただし、ハンダオ通りPho Hang Daoなど商業性の高い空間では歩行者の交通量、割合ともに増加する。

■利用実態調査から見た街路の役割 
 滞留行為である商業行為や生活行為の領域と移動行為の領域との境界は、一般には歩道の縁石の外縁である。しかし街路2のように、移動行為を行う車道でも商業行為がなされている例を考慮すると、建物外壁面から2mが滞留行為が行われる最低限の領域と思われる。この外壁面から2mの領域を歩道上に確保しきれないとき、滞留行為は移動行為の領域である車道へと侵出することになる。
 36通り地区の街路はその交通網としての役割に加えて、街路ないで対処しきれない余剰部分を受け止める、街区内部の代替物としての役割を持つ。本来の交通網としての役割は車道のみで完遂され、歩道は街区内部の第二次領域として機能しているといえよう。

6章・36通り地区の空間構造

■36通り地区の空間構造
3,4,5章で行った考察は以下のようにまとめることができる。

◆短冊状の敷地で構成されるが行くと不規則な街路パターン
◆街区表層部に線状に集積された商業空間
◆商業用に改選された町家=ミニホテル
◆生活及び商業工のための歩道
◆街区内部の短冊状の界壁が歩道まで迫りだし、人々の行動を制限している

 以上のことを考慮すると36通り地区での空間構造は、街路から街区中心部に向かった求心的な直線に沿った、短冊状の敷地に特徴があると言えよう。そして町家が集合住宅化しているので、街路から放たれる一つの通路に多数の住戸が垂直にぶら下がり、水平面での移動が大きい。しかしその数十mの共通通路のみが、ハノイ市全体の商業的拠点でもある36通り地区の街路空間からの移動経路であることを考えると、個々の住戸と都市の中心が非常に近接していることになる。この中心地区への近接性を8万人以上の居住者皆が所有していることが、街路空間への生活行為のあふれだしを容易にしている要因の一つであろう。
 また、生活行為のあふれだしを活発化させたもう一つの要因として、36通り地区の街路空間の商業空間としての復活が挙げられる。街路上の商業行為は、店舗の持ち主が一番優位でその次が仮設の露天商、最下層が行商というように、街区中心部から同心円上に序列が定まっている。しかし短冊状の空間所有を表彰するか胃壁が認識上では歩道上まで存在しているため、歩道空間の利用は線状に連続しているように見えるが、実際は断続的になっている。36通り地区の空間構造は、都市の中心との近接性がもてる高密居住と、商業活動の活発化の表現である線状商業空間であると言えよう。

■36通り地区の地域特性
 いくつかの空間構造の中でも特に36通り地区固有のものは、歩道まではみ出している短冊状の空間所有の共通認識と思われる。この共通認識と実際の空間の形態は、相互が関連しあって不即不離の関係を保ちながらシステムとして成立した表裏一体のものである。現象としては街区表層部の重層化した利用形態に現れているこのシステムは、実際の区間所有システムが短冊状から競る上に変更しても存続し、利用者の行動をも規定している36通り地区の地域特性といえるであろう。

【参考文献】
1)土田愛 『ハノイ旧市街「36通り地区」の保存・改善計画に関する一考察 --オープンスペースの役割を通して--』、東京大学修士論文、1995
2)岩見元子『ベトナム経済入門COMECONからASEANへ』、日本評論社、1996
3)経済企画庁調査局編『アジア経済1996』、大蔵省印刷局、1996
4)AusAID (Australian Agency for International Development), The Ancient Quarter Local Structure Plan, 1995
5)Swedish International Development Authority (SIDA)+ SW ECO, HA NOI 36 streets of Hanoi - Pilot Priject on renovation and development, 1995
6)HUST(Hanoi Urban Study Team) III '94, Hanoi Design Project, Part A: The Vietnam Construction Scene, Part B: Reconstruction Plan for Hang Bo Street 52-54, Delft Institute of Technology, 1995
7)Hoang Huu Phe and Yukio Nishimura, The Historical Environment and Housing Conditions in the "Old Streets" Quarter of Hanoi, 1990
8)大島信道「ハノイ36通り地区の町家の建築類型」『スペースデザイン9603アジア同時代シリーズ2ベトナム建築博覧』、鹿島出版会、1996、p.53〜56
9)泉田英雄「東南アジアの歴史的町家建築に関する研究(1)(2)」『住宅総合研究財団研究年報No.20,22』 1993,1995


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