既成市帯地における建築デザイン誘導に関する研究
一横浜市元町地区を事例研究として−
26100  鈴木伸治

はじめに
 現在日本の各地で、景観形成を目的とした条例、要綱、協定といった行政施策が行なわれているが、これにより実際の都市空間がどのように変化するのか、またその主要な構成要素である建築物に対してどのような規制誘導施策が施され、どのように変化を遂げているのか、というのが本研究に取りくむ動機である。尚、本研究で用いる、建築デザイン誘導とは、費観形成を目的とした建築物及び工作物に対する規制誘導施策のことをさす。

論文の概要
 第1章では日本の都市景観に関する認識を明治以降の都市計画の流れに沿ってレヴユーし、都市景観行政施策をその目的から分類した。
 第2章においては建築デザイン誘導を都市計画という大枠の巾で位置付け、既存の法制度や地方公共団体の景観施策との関係、デザイン誘導に用いられるボキャブラリーについて考案した。
 第1牽と第2華は理論面からの制度論であるが第3章では実践論として、実際に横浜市の元町地区を事例研究の対象として取り上げ、そこで行なわれた建築デザイン誘導を中心として考察を行なった。結章である4章ではそれまでの成果を踏まえて建築デザイン誘導の今後の課題について考察した。各章の関係は国1に表す。
因1 章の構成と関係
1:都市景観に関する都市計画的考察
 明治以降の日本の都市計画において、景観がどのように認識されてきたかという点、加えて昭和40年代以降、全国の地方自治体で取り組まれることとなった都市景観行政の発展とその流れについて注目し考察を行なった。ここで得られる考察としては次の様なものが挙げられる。
・昭和30年代以前の日本の都市行政においては都市景観という問題は生活環境の一部という認知 はあまりされておらず、特に戦前期においては 都市景観は国家権力や経済的繁栄の象徽として扱われることが多かった。
・我が国の都市行政の中心は、その始まりからインフラストラクチャ中心であり、都市景観は副次的なものとして扱われ、戦後もその影響は続いた。
都市景観行政の発展は自然環境、歴史的環境、アメニティの概念といったものの社会的あるいは法的認知に負うところが大きい。そういった意味で、自然環境の保全、歴史的環境保全が景観行政の発展の牽引者的役割を果たしたと考えられる。

打市景観行政における建築デザイン誘導の考嚢
 都市景観行政の中での建築デザイン誘導の位置付けを行ない、誘導の手法、誘導に関するボキャブラリーなどについて々察した。そこでの堵察としては、
・既存の法制度にも建築デザイン誘導に用いることのできるものはたくさんあるが、景観形成を 目的としてつくられた制度は少なく景観コントロールを行なう為には、幾つかの法制度を複合的に利用することが必要と思われる。
・法令、条例、要綱、協定のそれぞれによって法的拘束力が異なり、規制誘導能力も違う、地区特性によって制度を使い分けることが重要であると考えられる。
・建築デザイン誘導に用いられるボキャブラリーには財産権などの個人の権利にかかわる度合いによって法令、条例などの制度が、役割分担されており互いに補完的役割を果たしていると考えられる。
・建築デザイン誘導は、都市景観行政の中で規制誘導型整備手法の中に位置付けられ、その中でも、景観形成を目的としたものとして位置付けることができる。

   図2 建築デザイン誘導の位置付け
 また、規制誘導型整備手法は
・公的な建築物のコントロールに基づくもの
・合意による建築物のコントロールに基づくもの
の二つに大別され、後者に対し前者は法的拘束力に頼るところか大きい。この場合、示された基準を守るか否かといったところに議論が集中するが、後者の場合、合意が形成できる妥協点を協議によって生み出す方法をとるため、一定の枠ぐみのなかで前者よりも多彩なデザイン誘導を行うことが可能である。
 元町の街づくり脇定に基づく建築デザイン誘導は後者の合意によるコントロールによるものであり、取り組みの歴史も長く、建築デザイン誘導のケーススタディとして、適当ではないかとと思われる。

3:元町街づくり協定における建築デザイン誘導
 横浜市l中区元町地区では、昭和60年に街づくり協定を締結し、新築改築、改修などの建築行為に対し、独自の基準で建築デザイン誘導を行ない、平成5年10月現在で89件がこの対象となっている。
元町の街づくり協定における建築デザイン誘導に関する事例研究においては、1:事前協議会の議事録の検討、2:ヒアリング調査、3:現地調査、4:アンケートによる意識調査の4種の調査を行なった。
事前協議会議事録の検討
 事前協議会議事録の検討については、昭和58年以降に開催された事前協議会の議事内容について議事録より抜き出し、提出図面との比較検討をおこない、デザイン誘導のボキャブラリーごとに以下のような手法により検討した。まず、協定細目で定められているそれぞれのボキャブラリィごとに、協議内容について
1:景観上好ましく評価できる.問題ない.協議していない
2:協議したうえで、合意に至った
3:協議したが、合意には至らなかった
4:結果不明
といった評価を下しそれぞれの項目ごとに次の指標について考察してゆく。
協議率=(2+3の件数)/(該当件敦)×100
合意率=(2の件数)/(2+3の件数)×100
評価率=(1の件数)/(鼓当件数)×100
すなわち、協議率は事前協議会で協議の対象となる頻度、合意率は協議によって合意に達する割合、評価率は協定細目の示す基準に対して事業者がどれほど理解を示し評価しているかという事を表す。
(看板類に関しては大きさ等の基準はほぼ全ての事例がクリアしており、デザインの一体化、飾り看板化といった工夫の見られるかどうかで基準の達成度を評価した。これに、ヒアリング調査等の結果を加味して考察すると次のようなことが言える。
・建築物の高さ、壁面後退については基準自体も妥当でありほば達成されている。
・元町地区については広告看板類に対して比較的コンセンサスが得られているように思われる。
 また年を経るごとに飾り看板や、建物のデザインによってより良い看板を作ろうとい
 う傾向もあり、設計者や施工者の認識が高まっているようである。
・シャッター、ショーウィンドウによるナイトショッピングへの対応の促進は貴金属など高価な商品を扱う店が多いため、防犯上の問題等があり、厳密に基準が守られていない。そのため横浜市経済局の中小企業店舗改造融資制度、商店街まちなみシャッター推進事業によるシャッター助成の活用などにより、その認識度を高めようとしている。
・外壁のデザインについては道路整備事業によって、地区の将来のイメージ像が提示されているため、あまり奇抜なデザインなどは見受けられず、また誘導に関して、統一感へのこだわりはあまり無いということもあり、比較的表現の自由度は高い。
・緑化に関しては協定細目には、積極的に進めるとあるが、指導の実態からすると協議率、合意率共に低く、敷地が狭いこともあり努力目標となっている。
アンケートによる意織調査
 アンケートの対象としては、街づくりの主体である元町SS会会員全員、及び事前協議会に関係した設計者、施工者を対象として実施した。
 アンケートの分析に関しては、回答者を大きく次の三つに分類して行なった。
回答者A:SS会会員で昭和58年以降に建築行為を行なった者(事前協議に参加)
回答者B:SS会会見で昭和58年以降に建築行為を行なわなかった者(事前協議に不参加)
回答者C:昭和58年以降に元町地区で設計活動を行なった者(事前協議に参加)

アンケートによって得られる知見
一般論としての都市景観の重要性については、非常に高い認識を示しているが、建築物に対する規制や誘導に関する認識は私的な権利を制限することもあってか、やや否定的な見方に傾いている。
・街づくり協定の有効性、すなわち、街づくり協定によって元町が良くなったかという点に関しては、「良くなった」「やや良くなった」という肯定的な回答が全体の約8件を占めている。
・運用に関しても、協定そのものの評価と比較すると低いが、ここでも全体の約6割の人和が肯定的評価をしている。
・デザイン誘導の基準に関しては、高い評価を受けたのは、建築物の高さに関するものと、壁面後退に関するものであった。しかし、そのほかの項目に対しても、概ね高い評価がされており、議事録の検討では、努力目標的要素が強いと思われた緑化についても関心は高い。
・今後の元町の街づくりの方向性については比較的高い値を示した4項目のうち、3項目までもが周辺地区との連携、周辺環境の変化にどう対応するかといった点に関心が集まっている。
・店舗建て替え等の動機としては、店舗の老朽化が一番であったが、道路整備をきっかけにという回答も比較的多く、道路整備事業が街づくり協定に及ばした影響が大きい。
・事前脇議によって指導を受けたことに対しては、消極的な肯定も多いものの、過半数が肯定的な 評価を下しているが、助成や融資に関しては現状で充分であるという意見はそれほど多くはない。
・制度全般について、元町の景観を良くすることに役立っている、あるいは景観の悪化を防ぐのに役立っていると答えたのは、共に過半数を越えており概ね肯定的にとらえている。
・建築デザインに関して、どのような要素が影響を与えるかという点については、「協定の建築 物に対する税制」「道路空間整備事業のイメージ」という回答は、設計者に対しては約3割程度であった。道路空間整備のイメージが多少は店舗の設計に影響を及ぽしている。
 アンケート調査全体を通していえることは、街づくり協定が概ね肯定的評価を受けていること、デザイン誘導の基準か関係者によって同様の評価を得ていることである。

元町街づくり協定に関する考案
 これまでの種々の調査を通して得られた結果を総合すると、以下のように要約することができるであろう。
・元町の街づくり協定は、並行して行なわれる他の事業と、計画段階からリンクし、それによる 相乗効果を計画初期から意図している。
・計画全体を進める母体組織である元町SS会の組織力が非常に強いものである。
・街づくり協定は概ね肯定的評価を得ている。
・建築デザイン誘導の基準かその関係者から妥当なものであるという評価を得ている
・建築デザイン誘導こ対して、道路空間整備事業が影響力を持っている。
・融資制度、助成措置がデザイン誘導にあって「規制のムチ」に対する「アメ」の役割をしている
・次に示すような幾つかの問題点を抱えている
「駆け込み協議」の問題
 建築申請や工期の関係から十分な、特に看板類などの詳細な設計がなされない状態で事前協議が行われた場合には、実質的な協議がなされているとは言い難い。街づくり協定で扱われている建築デザイン誘導のボキャブラリーは、エクステリアに関するものが多く、このような「駆け込み協議」の問題は大きな影響があると思われる。

設計施工者のコストコントロール能力の問題
 設計施工が小規模な建築事務所のような設計組織の場合、もしくは設計施工か別組繊で行なわれる場合、そのコストの積算が十分に行なわれないケースが多い.
 実際に施工する段階になって、コストの関係で一番に設計変更が行われるのは看板類であり、外壁の材質などに変更が行われることが容易に想像される。
高齢化とテナント貸の問題
 商店主が高齢になり、所有のビルの建て替えを行ない、テナントビル化しようとするケースか多い。
 テナントビルの場合、テナントが決まるのは事前協議が終わってからのことが多く、テナント部分の設計に関するイニシアティプはテナント側が握ることになり、事前協議で了承を受けた建物のイメージとは異なることも多い。
大手資本の流入
 テナントとして東京、あるいは、その他の大手資本が経営する店舗が入った場合、特にフランチャイズ化された資本が流入する場合は、店舗のデザインなどにマニュアル化されたものがあり、デザインを変更を行なわない場合が多い。特に、元町においてはマーケティング戦略上、元町のオリジナリティを重視しており、景観形成という観点のみならず、元町の存在価値そのものにも影響する問題である。
貸貸住宅に関する問題
 協定においてはワンルームマンション形式のものは避けるものとしているが単なる賃貸住宅にしても維持管理の問題で、区域外から引っ越してきた人間に協力を求めることは難しいといった問題である。
 そのほかに、アンケート調査で特に問題となっていたのは、ゴミ処理の問題、ワゴンセールによる私有地歩道部分の無断使用の問題といった、ハードの面だけでなく、ソフト両での維持管理の問題が多く見られた。

元町地区の今後の展望と課題
 MM21の出現や、MM新線の平成10年の開通などによって、元町を取り巻く状況が大きな変化を遂げることは、必至である。その変化の兆しは、山手側の裏通りの発達など、徐々にではあるがその姿を現しつつあると言える。
 このような変化に対応することか元町の今後の大きな課題となっていくことは間違いなく、アンケート調査においても周囲の環境の変化にどのように対応すべきかという点への関心が高いことが指摘できた。
 そのためには、街づくり協定もまた、変化を容認し、その変化をうまく誘導するようなシステムを作っていくことが重要である。
 また、アンケートによる意識調査では、建築デザイン誘導の基準について法的拘束力を持たせるべきではないかという意見があったが、これについては、先ほどの周囲の状況と元町自身の変化を容認するということは相反する方向性を持っている。つまり、法的拘束力を持たせるということは、状況の変化に対する、適応力を損なう危険性があるということである。
 しかし、また一方で、元町は商店主の高齢化に伴う高齢化によるテナント貸ビルの増加、大手資本の流入などの問題点を抱え、現在形成されている合意が、将来的にも保証されているものではない。そのため、法的拘束力を持たないこと、あくまで紳士協定であるという点が今後は問題となってくるということである。
 このような状況に対応する為には、現在の持つ制度の弾力性を維持しなから、ある特定の項目に関しては法的拘束力を持たせる必要があるのではないかと思われる。そのためには、関係者内のコンセンサスのとれた規制誘導項目については、順次、建築協定などによって法的拘束力を持たせるようなシステムを作りだすことが必要ではないかと思われる。
 これによって、建築物の高さに関する規定、屋上広告物の規定などにはある一定の拘束力を持たせ、そのほかの誘導項目については、現行の街づくり協定で処現することが可能になるのではないだろうか。
 またこれに、事前協議の開催を建築確認申請の何日前までに行なうといった点を明記すれば、駆け込み審査などの問題も解消されるはずであり、事前協議後の設計変更に関しては、竣工前に事前協議どおりに工事が行なわれているかというチェックをかけるようなシステムを設けることによって対応できるであろう。
 変化に対応するという点については、融資制度、シャッター助成などの、街づくりを支援する制度についても変化に対応する必要がある。というのも、現行の制度によると、改装ばかりを誘導するおそれかあり、周囲の状況の変化によっては、壁面の再後退が考えられる元町においては、今後、建て替えを誘導する必要が生じる可能性は少なくないからである。

4:既成市街地における建築デザイン誘導の今後の課題に関する考察
 今後の既成市蹄地における建築デザイン誘導の今後の課題等について考察すると、以下の点が重要であると思われる。
・建築デザイン誘導を支援する、事業、融資制度などのインセンティプ、啓発活動などを一体的に行なうことでデザイン誘導を有効に行なうことが出来る。
  計画構成の問題・官民パートナーシップの問題
・合意に基づく建築物のコントロールの場合それを支えるコミュニティの組織力が問題となる。
  実行力とコミュニティの組織力の問題
・建築デザイン誘導は制度そのものも重要であるが、その運用の仕方によって、実際の都市空間に対する影響度は大きく左右される。
  建築デザイン誘導の運用上の問題
・建築デザイン誘導を街づくりのなどの大枠から見た場合、維持管理と言ったソフト面での対応が重要である。
  ハードとソフトのバランスの問題
・既成市街地における建築デザイン誘導は、変化をより容認し、変化に対応するあるいは誘導する能力が必要ではないか。
  地区の環境変化と制度の適応能力の問題

主要参考文献
安田丑作(1990):都市農枚形成のための計画構成と建築デザイン誘導に関する研究
建設省(1990):建築舟観の懲備推進に係る条例・要綱事例集
酒井憲一・(1986):アメニティーの発見(思考杜)
横浜都市デザインフォーラム(1992):都市デザイン横浜−その発想と展開
田村明(1977):都市を計画する(岩波書店)
林秦義(1985):市町村都市景観行政の発展と課題(ジュリスト#839)
亀井伸雄(1992):歴史的市街地の構造と保存の評価に関する研究
大坂谷吉行(1984):日本の都市景観整備の概要(都市計画#134・P88〜101)
渡辺定夫(1984):景観行政の展開と課題(都市計画#134・P17〜23)
アーバンデザイン研究体(1985):アーバンデザイン・軌跡と実践手法(建築文化別冊)
荒秀他(1991):景観(ぎょうせい)
石田頼房(1988):日本近代都市計画の百年(自治体研究杜)
日経産業消費研究所(1993):日経地域情報♯187 (日本経済新聞社)
原田尚彦(1991):地方自治の法としくみ(学陽出版)
天野巡一他(1992):月刊観光8月号「観光地づくりと条例&要絹」(社団法人日本観光協会)
石田頼房(1988):日本近代都市計画の百年(自治体研究社)