修復型まちづくり論の再構築
−被災地神戸・真野地区のまちづくりの実証的研究−
A Reframe of the Theory of Community-based MATI-DUKURI

46128 中村正明

The HANSIN-AWAJI Earthquake(1995) broke lots of houses, cities, and communities. And in the process of the revival, the incapability of the Japanese City Planning system became clear and a new wave of MATI-DUKURI (i.e. Activities aiming at the physical and social development of their neighborhoods in Japan) occurred. In this study, Community-based MATI-DUKURI(CMD) is focused on as one of the most important elements in the Urban Planning, specially in the District Planning. This study aims to reframe the theory of Community-based MATI-DUKURI and to propose a new district planning system based on CMD, through the demonstrative study of CMD in MANO District, Which is located in the declining area in Kobe and famous for its CMD over 30 years.

■ はじめに
本研究は阪神大震災以降2年間にわたり神戸市長田区の真野地区とか変わってきた経験をベースとしている。特に震災後の一年間は、完全な自由な立場で震災からの復興の立場で震災からの復興の現場に身を置くことができた。研究の目的があってから活動したわけではなく、活動が先にあり、そこから研究を始めている。本論文はその活動の中で考えたことを発展させてまとめたものである。

■ 論文目次概略
序章.はじめに
序−1.はじめに 〜阪神大震災が明らかにしたこと〜
序−2.研究目的及びテーマと視点
序−3.論文の構成
序−4.既往研究との関係
序−5.用語の説明
序−6.真野地区の概要
第1部 修復型まちづくりと震災後の住民活動の意味的関係
1章 震災前のまちづくり活動
1-1. 真野地区のまちづくり活動の展開
1-2. 震災前のまちづくりの到達点
 
2章 阪神大震災による被害と復興過程でのまちづくり活動
2-1. 震災による被害の状況と住宅再建の状況
2-2. 復興過程でのまちづくり活動
2-3. 復興過程でのまちづくり活動と修復型まちづくりの意味的なつながり
第2部 修復型まちづくりと地区の計画およびその実現
3章 真野地区のまちづくりと地区計画
3-1. まちづくり構想策定への取り組み
3-2. まちづくり構想から地区計画へ
3-3. 地区計画による住環境整備の実態と評価
4章 街区計画への取り組み
4-1. 真野地区における街区計画の提案
4-2. 街区計画の特徴と意味
4-3. 街区計画の展開と今後の展望
第3部 修復型まちづくりにおける街区整備事業の提案
5章 住環境整備のための既存制度
5-1. インナー長屋改善制度
5-2. 街並み誘導型地区計画制度
5-3. 土地区画整理手法を用いた制度
5-4. 密集市街地整備に関する制度の展望
6章 浜3街区における修復型街区整備事業の提案
6-1. 浜3街区の街区計画と街区内道路計画
6-2. ケーススタディの概要
6-3. 密集事業による街区内道路計画の事業化
6-4. 土地区画整理手法を用いた修復型街区整備事業の提案
 
終章 おわりに
 終-1. 修復型まちづくり論の再構築
 終-2. おわりに 〜修復型まちづくりへの期待〜

■ 研究の目的と仮設
本研究では神戸市真野地区のまちづくり活動を実証的に考察することにより修復型まちづくりの特質を明らかにし、そこから「修復型まちづくり論」を再構築することを目的とする。
「修復型まちづくり」という呼称は、これまでは既成市街地の住環境整備の一手法として用いられてきた。また「まちづくりは人づくりである」という言葉に代表されるように、まちづくり活動によるコミュニケーションに重きを置かれることが多い。しかし、修復型まちづくりが体系的にまとめられることは少ない。
「まちづくり」は非常に広範な範囲にわたるものであるが、そのフレームは次のように記述される。
「まちづくり」はまちづくり活動・まちづくり計画・まちづくり事業の3つの要素(3つのテーマ)から構成される総合的な地域活動である
本研究では「修復型まちづくり」もこのフレームにしたがってとらえるべきものであり、さらに「地域での基礎的生活環境を充実させるもの」と仮定し、この仮設の有効性を実証するとともに、「修復型まちづくり」における「都市計画」の役割について考察する。

■ 研究の見取り図と論文の構成
本論文は3部構成になっており、各部はそれぞれ2つの章から構成されている。各部は先に示した3つのテーマに対応し、それぞれで真野地区の事例を検討する。
■ 阪神大震災が明らかにしたこと
阪神大震災は戦後の大都市における初めての震災体験であった。それにより「都市」のひずみが大きく露呈した。都市計画的な観点からは
@ インナーシティにおける住環境整備が不十分であった。
A 高齢社会に対する計画的配慮が欠如していた。
B 住民主体のまちづくり活動の立ち上がり
の3点が特筆すべき点であり、研究の3つの視点となる。

@ 住環境整備が不十分であった
阪神大震災ではインナーシティが壊滅的な打撃を受け、人的物的被害が集中した。人口減少、資本流出、住環境の疲弊、高齢者比率の増加などのインナーシティ問題のうち、住環境特に住宅の疲弊を奇しくも今回の阪神大震災が実証することになった。
神戸市でも早くからインナーシティ問題への取り組みが検討され、1978年の環境カルテ作成以来インナーエリアの住環境を常に整備課題としてきた。認識はありながら都市施策として十分に対応できなかったことが震災による大惨事を招いたと言える。
A 高齢社会の問題を浮き上がらせた
不意の災害とは異なり高齢化の進行は日本社会にとっては不可避なことである。阪神大震災は高齢化社会に突入した大都市を直撃し、様々な問題を浮かび上がらせた。
第一に、インナーエリアでは、高齢化に対応した住宅更新がされておらず、そのため高齢者に多くの犠牲者が出た。第二に、結果的に高齢者を郊外の仮設住宅に優先的に入居させたことが居住者バランスを欠いた地域の形成につながり、逆に高齢者と地域のつながりの重要性が見なおされた。第三に、震災後の高齢者に対する様々なケアが、公的主体ではなくボランティアや地域を中心として行われた。
B 住民主体のまちづくり活動の立ち上がり
震災直後の被災地では、避難所を中心とした被災住民の連帯が各地区で自然発生的に生まれ、危機的な状況を自らの力で切り抜けていった。そして今回の震災を機に100を超えるまちづくり協議会が設立された。しかし、神戸で立ち上がったまちづくり協議会もその実態は厳しい。
都市計画事業が計画決定がされた地区では、まちづくり協議会は住民の代表として行政と対決し、計画撤回あるいは住民負担の軽減を求めてきた。行政と協調姿勢で進もうとする協議会は、計画に反対する住民と対立している。事業地区に入っていない被災地の大部分の地域では、まちづくり協議会が結成されてもそれに対する行政の支援はほとんどなく、一方地元住民も無関心層が大部分を占める。
震災後2年を経過し、多くの地区では住宅の再建が進行し、基盤が未整備な上に再び密集市街地が形成されつつある。また違法建築が横行する事態に建築行政が対処できない現実が、物的にも、精神的にも住民主体のまちづくりを一層後退させている。
真野地区は典型的なインナーシティであり人口流出及び高齢化が進んでいる。また先進的な住民主体のまちづくり活動を続けてきた地区であり、真野地区を事例とすることは上記の3つの視点からも十分に価値がある。

■ 第1部. 修復型まちづくりとまちづくり活動
1章 震災前のまちづくり活動
昭和40年代初めに公害反対運動から始まったManotikunoまちづくり活動は、3つの次元で広がりを持っているものであった(図6)。第一に生活防衛、地域環境、地域福祉、地域行事などの多岐にわたる活動の幅の広がりである。第2は、活動が住民の個人のレベルでの対応から、地区全体の計画づくりまで、垂直的に広がっている点である。そして第3に、それぞれの活動が継続して行われ、さらに次の活動が展開されていくという、活動の奥行き方向の広がりである。これらの活動を通して培われた地域力が震災直後の地方自治を可能にした。

2章 復興過程でのまちづくり活動
真野地区の復興まちづくりでは、プランよりもプログラムが重視された。刻々と変化していく状況の中で、様々な問題に対していかに地域として対応していくかが最も重要であるという、現場の認識であった。震災後の活動は、震災以前と同様に3つの視点で特筆できる。それは、活動の量とその質と全体のつながりの3点である。活動の量は、数量的に他と比べられるものではないが、一学区という地区内での活動としては非常に豊富である。活動の質は、非常時の対応からまちづくり推進会の活動、高齢者ケア、地域行事などのあらゆる面に展開されていることが特筆される。全体のつながりという点では、特に震災後の対応は全体の状況にしたがって活動を展開し、目的に対して一連の活動を積み重ねて対応している点が注目される。また、活動の中で必要な部分は常に支援グループとの連携を図っており、外部とのつながりが見られる。また、震災直後の活動のまとめ役となった災害対策本部は、24時間体制で運営され力を発揮した。いつでも同じ場所に「地域」という主体がいるという点で、震災前のまちづくりの中でも望まれてきたができなかったことが実現された。さらに、地区内の避難所が解消された後にも、その重要な機能を残すために、まちづくり事務所を開設し地域の住民が常駐のスタッフとして運営している(図7・8)

● 震災後のまちづくり活動と修復型まちづくり
震災後のまちづくり活動は、それ以前のまちづくり活動を継承しつつ、修復型まちづくりの特質として以下の点を顕著に示した。
@ 地域という概念の実体化、人格を持った主体
A 活動の持続性、可変性、永続性
B 幅広い活動、つくるまもる、ものひとこと
C 地域利益と私的利益の調整、お願いと政治
D 生活弱者は地域で守る
さらに震災を機に、常設の非営利まちづくり組織の開設や、まちづくり法人の設立、新しい集合居住形態としてのコレクティブハウジングと地域の関係の模索など、新しい取り組みが始められている。これらの取り組みも、修復型まちづくりの重要な要素となるであろう。

■ 第2部 修復型まちづくりと地区の計画
修復型まちづくりの住環境整備手法としての側面を代表しているのが地区計画制度による地区計画である。地区計画制度は既成密集市街地での制度の活用も想定されていたが、実際には既成市街地での活用例は少ない。
真野地区の地区の計画は、まちづくり構想、まちづくり協定、地区計画の3段階で構成されており、その上に街区計画という4段目を積み重ねようと試みられてきた。

3章 真野のまちづくりと地区計画
昭和40年代に始まった住民活動の中でまちの将来像が検討され1980年にまちづくり構想が提案された。この構想では地区の将来像とそれに向けてのものづくりとルールづくりの方針が提案された。
この構想の提案と前後して、地区計画制度が制定され、2年後の1982年に神戸市地区計画及びまちづくり協定等に関する条例が制定された。真野地区では構想でルールの中で住民の共感による合意が得られた部分について協定及び地区計画で定めた。「共感による」合意という点がポイントであり、そのため地区計画による制限内容は薄くなっているが、それゆえ40haという地区全体での計画をまとめることができた。さらに、協定及び地区計画による届出及びその協議という制度が、地区の地区づくり推進会が地域内での住宅建設等に対して地区として関わることを可能にしている。一方、地区計画に基づく届出から地区の住環境の改善の状況を明確にすることにより、地区計画のみによる住環境整備に限界があることも明らかになった。

4章 街区計画への取り組み
 神戸の規制市街地は条里制の後が残る1丁方形の大街区で構成されている地域が多く、明確な「街区」という単位が存在する。街区内の道路はいわゆる路地であり、未整備なものが多い。真野地区では、地区計画(40ha)の次の段階として街区単位(1ha)ごとの地区施設及び住宅更新整備の計画(街区計画)の策定が地区の計画の最重要点として位置付けられてきた。
 街区計画の内容としては街区内のミクロゾーニング、基盤施設計画、住宅更新整備が想定されており、また街区計画に基づいて行政からの事業支援が提示されている。街区計画はより住民の生活に密着したものであり、地区計画よりも一段高いレベルでの合意を要するものである。しかし、それに対する誘導事業や不在地家主の参加の方法が不明確であり、住民のみで街区計画を策定することは難しい。実際に街区単位で計画が策定された例はまだない。また地域環境に責任を持つべき主体である行政も街区計画の策定に前向きではなかった。

● 修復型まちづくりと地区の計画
地区計画は地区の計画の第一段階として必要であり意味あるが、修復型まちづくりをより充実させるには事業整備に結びつく街区計画が必要であり、その計画が必然性を持つような仕組みが必要である。そのきっかけは防災から見た公共性、高齢化による地域福祉、建築基準法の弾力的運用の促進である。

■ 第3部 修復型まちづくりとまちづくり事業
真野地区の住環境整備は密集住宅市街地整備促進事業による点的な整備が中心であり、面的に広がる住環境の問題の解決には至ってない。

5章 住環境整備のための既存制度
 震災後の神戸市で用いられている密集市街地の住環境整備のための既存制度を検討した。修復型まちづくりの中での有効な考え方としては、インナー長屋改善制度による建築基準法の弾力的な運用に基づく建蔽率の緩和、街並み誘導型地区計画制度による容積率、斜線制限の緩和、1haから可能となった土地区画整理事業等がある。また防災性の確保の点から住環境整備法の制定の動きもある。
 このような状況から、住環境のための制度及びその運用の方向性として次の点が確認できる。
@ 建築基準法の弾力的運用
A 地区の計画を前提とした規制緩和と整備水準引き下げ
B 基盤と上物の両方の整備の整合性
C 従前居住者と事業推進のバランス維持
D 区画整理事業手法の密集市街地での活用
6章 浜3街区における修復型街区整備事業の提案
  これまでの議論を踏まえ修復型まちづくりの中で地区の住環境整備事業として修復型街区整備事業を提案する。街区計画策定から街区整備事業へのフローを右図に示す。
  本事業の特徴は、以下のようにまとめられる。
@ 行政が街区計画案策定の責任を持つ
A 事業の中への地区(地域主体)の参入
B 様々なレベルの整備の混在したモザイク的整備
C 生活面も含めた地域性を考慮した事業計画

■ 整備事業のプログラム
@ 街区南西部の共同住宅建設予定地の一部を市が買収し区分所有とする。従前権利者と市が共同住宅を建設する。市所有の部分は受け皿住宅と分譲住宅とする。
A 地区内で売却意向のある権利者の土地と家屋を市が買収する。家屋が買収された場合、従前居住者は優先的に受け皿住宅への入居が可能である。
B 土地区画整理手法を用い仮換地指定を行う。共同住宅入居希望者は、換地として共同住宅の土地の所有権の一部と住戸を定める。換地によりコミュニティ道路の用地を創出し、整備を行う。区画道路に面さない街区内部の土地は一団地とみなして換地する。仮換地後、一時的に地区内に新設された民間共同住宅を市が借り上げ、建物移転の間の入居を可能とする。
C 換地後、市所有のまちづくり用地は、一部を地区内の居住者に売却する。それ以外の土地は交換分合により狭小宅地解消のための種地としたり、まちづくりとして高齢者専用住宅を建設し、賃貸する。
D 換地が終了した時点で第1期の事業が終わり、第2期に入る。第2期ではまちづくり推進機構が事業を管理し、まちづくり種地を利用して交換分合による狭小宅地の解消、まちづくり住宅の管理運営、建物更新計画の支援などを行う。事業の機関は10年とする。

■ まとめ 〜修復型まちづくり論の再構築〜
● 修復型まちづくりの再定義
はじめに仮定した修復型まちづくりのとらえ方は、6章までの議論で適切であることが実証されたといえる。そこで再度修復型まちづくりを以下のように定義する。
 「基盤となる地域社会を継承しつつ地域での基礎的生活環境を充実させることを目的とした、地域住民が主体となって進める地区の活動、計画、事業等の行為一般をあらわす概念」
であり、
 「『修復型まちづくり』のもとに『地域の活動』、『地区の計画』、『地区整備事業』が相互に連関して推進されることにより、地域の充実につながる」
ものとなる。「修復型まちづくり」は地域の論理〜生活の論理に基礎を置く。

● 修復型まちづくりの3つの基礎
本論文では3つのテーマ(縦糸)を主軸として、各部において論を進めてきた。ここではそれぞれの横糸をたどることで、3つの視点と修復型まちづくりの関係を整理し、それにより本論文で設定した3つの視点が、修復型まちづくりの基礎となるものであることを確認した。
 真野地区の事例からまとめたものが図15である。
1) 住民主体(地域尊重)
[活動] 特に震災後の活動を通して、地域に根ざした活動が地域社会を守る大きな力となり得ることを示した。
[計画] まちづくり構想から地区計画という地区の計画策定の経過において住民(地域)は計画の主演であった。
    [事業] 地域福祉事業、住環境整備事業などにおける行政と住民組織の共同による事業の展開が必要である。

2) 高齢社会(地域福祉)
  [活動] 震災前後を通じて地域の様々な活動の中に高齢者への地域のまなざしが見られた。また、まちづくりが高齢者が参加できる場となっている。
  [計画] シルバーハウジング等を含め、高齢者の地域生活を支える地域ケアの計画が主題となる。
  [事業] 地域福祉の運営を地域が担えるようになることが期待される。
3) 住環境整備(生活改善)
  [活動] 住民で対応できるものは住民の手で取り組むことで、住環境に対する意識づくりと地域環境への参加が進められた。
  [計画] まちづくり構想や地区計画は住民の共感による合意により成立しており、その点に意味があった。
  [事業] 次のステップとなるまちづくり事業が必要である。

● 修復型まちづくりの手法
本研究で取り上げられた真野地区の修復型まちづくり及び事業の提案から、修復型まちづくりによる地区の住環境整備手法は図のように示すことができる。

● 修復型街区整備事業による修復型まちづくりの補完
6章で提案した事業は3つのテーマと3つの始点のマトリックスにおいては右下に位置する。一方、真野地区のまちづくりはもともと住民主体のまちづくり活動から始まっており、図の左上が原点となっている。この二つの焦点から活性化されることにより修復型まちづくりが真に充実したものとなる。 


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