超高層マンションの立地に関する研究

?神楽坂におけるマンション紛争を通して?

Study on location of high-rise apartments

- Through the analysis of neighborhood movement in Kgurazaka -

06117 池田 晃一

 

Many high-rise apartments are built in central Tokyo, while there have been many neighborhood movements against the construction because the context would be destroyed. Therefore this paper first seeks to define the actual problems caused by high-rise apartments in 23 wards in Tokyo, and then points out the desirable direction in Kagurazaka area. The results are follows; 1) The deregulation one and the unwelcome. 2) There are two types of construction should not be constructed so easily because it does not suit the context of the town and does not respect the local efforts.

 


0-1 研究の背景・目的                

都心回帰がいわれて久しい。都心部には超高層マンションが次々と建設され、いずれも人気が高い。超高層マンションに住むことは新しい憧れのライフスタイルとさえなっている。その一方で、「高層マンション反対」、「まちの破壊」という住民活動が盛んになっている。そこからは、超高層マンションが生み出すものとは異なる都市イメージが浸透していることを伺い知ることができる。

都心居住の推進と都市イメージの形成はともに現代の都市計画のなかで大きな流れとなっているが、両者を推し進めていく上で、互いに矛盾する避けては通れない問題が、紛争となって表出していると解釈できるのではないだろうか。

多くの研究は、超高層マンション単体や高層居住についてのみを扱っており、まちという視点から超高層マンションを捉えているものは少ない。都心部の将来像を考えていく場合、それまで築き上げられてきたまちの文脈から超高層マンションを考察していくことが重要である。

本研究では、東京都23区(マクロ)、さらにはマンション紛争が起こっている神楽坂を事例として(ミクロ)超高層マンションの立地を既存市街地との関わりのなかで整理、考察し、それにともなう問題を明確にするとともに、今後の施策の指針となることを目的とする。

0-2 研究の構成

 

0-3 言葉の定義              

超高層住宅という言葉についての明確な定義は存在しない。既往研究を参照すると、地上階数20階以上、あるいは高さ60m以上の建物について使用されている。*1本論文では、対象が住宅であり、一般的なわかりやすさも考慮し、地上20階以上の共同住宅と定義する。

 

1.超高層マンションに関連するトピック

1-1 日本における集合住宅の変遷       

日本の集合住宅史初期において重要な役割を持つのは、大正期の15団地2058戸におよぶ同潤会アパートである。1950年代半ばには公的住宅供給システムが確立される。高度経済成長期を迎え都心部へ住宅の大量需要が発生し、民間も算入するようになり、住宅産業が確立される。

1963-1964(オリンピック景気)、1968-1969(いざなぎ景気)、1972-1973(列島改造論)、1976-1979(ベビーブーム)、1979-1990(バブル景気)と5度のブームを迎えた。現在、過去最高の水準で建設され、新たなブームとなっている。

1-2 超高層マンションの変遷

1978年に与野市(現さいたま市)に首都圏で初めて超高層マンション「与野ハウス」が建設される。その後建設数は低く推移するが、1990年前後に第一次ブームを迎え、ステイタス性のあるマンションとして地位を確立する。

バブル経済の崩壊により一時期建設が停滞するものの、都心居住への指向、都心部の土地利用再編、などを背景として1999年頃から第二次ブームとなる。建築計画は多様化し、購入者層も広がっている。

1-3 首都圏の超高層マンションを取り巻く状況

2001年に首都圏で販売されたマンションは89,256戸、過去最高であった2000年の95,635戸に次ぎ過去2番目の水準である。好調な市場を牽引しているのが超高層や大規模面開発の大型マンションである。

超高層マンションについては、2000年が7,451戸(29棟)、2001年が7,772戸(30棟)。さらに2002年以降に完成予定のものは63,389戸(116棟)(1999年以前に建設されたものは27,221戸(117棟))と過去最高である。

その背景には、1)大規模跡地の発生、2)技術の発達による建築計画の多様化、3)人気の高まりによる積極的な建設、4)都心居住施策の推進、をあげることができる。

 

2.関連施策の整理              

2-1 背景                   

バブル経済期の開発は、人口を郊外へ追い出した。さらに、バブル経済崩壊後、不良化した土地は利用されずに放置されていた。都心部において、人口回復を図るとともに、土地の有効活用を促進するために様々な施策がとられている。

2-2 行政の取り組み                 

■国土交通省

都心共同住宅供給事業による税制優遇、都市基盤整備公団による住宅供給の推進、住宅金融公庫による建設資金の融資などにより、賃貸住宅の建設支援を中心とした政策を行っている。

■東京都

平成9年に都心居住本部を設置するなど、都心居住を重要な課題として位置づけいる。さらに、「東京都の新しい都市のあり方」(平成1310月)のなかでは、敷地単位から街区単位へと建築規制をシフトさせていくことによる新たな緩和施策を提言している。

2-3 それぞれの施策について                 

■法定容積率

昭和38年に高さ制限が廃止されて容積率が導入される。近年の改正により、地区部分(平成6)、共用の階段、開放方廊下、バルコニーの一定の奥行き(いずれも平成10)が容積率に不参入となるなど、緩和されつつある。

■地域地区

○高度利用地区

市街地再開発事業の支援を目的として昭和50年に創設される。容積率制限等の緩和が可能。平成7年の都市再開発法改正により、他の地域地区でも再開発事業が可能となり、制度的には再開発地区計画に包摂される。*2

○高層住居誘導地区

昭和63年に創設される。住宅の用途に帰する床面積の割合により、容積率の緩和が可能。現在2地区で適用されおり、いずれも複数の超高層マンションを含む臨海部の大規模跡地再開発である。

■総合設計制度

昭和45年に創設される。その後、市街地住宅総合設計制度(昭和58)、市街地複合住宅総合設計制度(平成3)、都心居住型総合設計制度(平成8)が新たに創設され、住宅を対象とした特別メニューができる。平成13年には屋上緑化に対するさらなる容積インセンティブが可能になる。

■特定街区

昭和37年に創設される。総合設計制度の普及により活用は減少し適用事例は少ない。建築計画を街区単位でまとめる機会が既存市街地では少ないことも指摘されている。*3

■地区計画

○再開発地区計画

大規模未利用地の活用を目的として昭和63年に創設される。現行の用途・形態の両制限を緩和することが可能。平成7年には市街地再開発事業の区域内における施行が可能となる。

○用途別容積型地区計画

都心部、およびその周辺部への住宅供給を目的として1990年に創設される。公共施設整備用件を必要とせず、住宅建設に対して容積率の緩和が可能。千代田区、中央区などでは街なみ誘導型地区計画と併用されて用いられている。

■市街地再開発事業

市街地内の共同建て替えなどに用いられる。平成7年には事業区域要件としての高度利用地区計画が取り外され、再開発地区計画など幅広く他の事業との併用により容積率などの緩和が可能になる。

 

3.東京都23区における超高層マンション立地の実態

3-1 調査の概要と方法           

首都圏高層住宅全調査(?平成11年度)/建築統計年報(平成13年度)/超高層マンション資料集(平成12年)/市街地再開発事業の概要(平成13年)

上記資料から階数が20階以上のマンションを抽出し、2001年版住宅地図で確認できたものを対象物件とした。

【リストT】件数:87、棟数:114(既存)

【リストU】件数:89、棟数:106(計画)

3-2 分析                 

■立地特性

○超都心型:都心部の業務集積地や商業集積地に立地。住宅としての機能を持っていなかった市街地内に既存の都市基盤を活かし建設され、新たなライフスタイルを生み出す。

○都心型:山手線の内側に立地。場所の利便性を活かした高度利用を図り建設される。既存市街地は低中層の住宅系、住商混合系の市街地であることが多い。

○臨海型:臨海部に立地。都心に近い臨海部は、工場や倉庫の移転にともない跡地の開発が進んでいる。大規模面開発のなかで建設されるなど、建設の密度も高い。

○ターミナル型:山手線の主要ターミナル駅周辺に立地。既に業務地や商業地としての開発が進んでいる駅周辺周囲に建設されることが多く、2km程度の広がりを持つ。

○周縁型:都心から10km以上離れた場所(山手線の外側)に立地。駅前開発に代表される地区の拠点整備や大規模団地の中心施設として建設されることが多い。

■建設時期

-19871979年にサンシティが板橋区に建設される。その後しばらく建設されず、1983年以降は1-2件程度で推移する。主に大規模団地のなかで特徴付けをするための計画手法として建設される。

1988-1992:建設件数が増え、第一次超高層マンションブームを迎える。億ションという言葉が浸透し始めたのもこの頃で、ファミリー向けの一般物件とは一線を画したステイタス性の高い物件としてその地位を築く。

1993-19981992年にはいったん建設数が落ち込むが、1993年に再び増加する。公的主体による建設も増え、民間の高級マンションだけではなく、様々なタイプが建設され始める。低廉化、多様化により、購入者層は広がる。都心居住のライフスタイルが浸透し始める。

1999-(今後):過去最高の水準で建設され、第二次ブームとなる。都心部だけではなく、周縁部にも建設されるようになる。共同建て替えによる計画も増え、超高層マンションが一つの建築タイプとして浸透してくる。

■建設主体

民間の占める割合が多く、民間主導で建設が進められてきた。公的主体も民間と共同でプロジェクトを計画する他、自らも建設している。建設予定の計画では、公的主体については減少し、再開発組合によるものは増加している。

■用途地域、容積率

単一指定のなかで最も多いのが商業で40%、準工業が23%とそれに続く。商業地域は開発圧力が高い場所に指定されており、競争力の高さを示す。準工業地域については、臨海部などの工場・倉庫跡地の他、指定容積率200-300%程度の混合市街地において、住宅系用途地域に比べて形態規制がゆるいため多く建設されている。

■以前の主な用途

住宅などの混在が34%と最も多く占める。特に建設予定のものに多い。建設までの経緯により、市街地再開発による共同建て替え(19%)、地上げなどにより統合された敷地に建設(15%)に分類できる。前者は地元住民を中心とした多くの権利者が長い事業期間をかけて進めるのに対し、後者は単一事業者により短期間で計画が進められ、既存住民との軋轢が生じやすい。

工場・倉庫も25%と多くを占める。その他にも旧国鉄用地や学校、研究所のなどの跡地にも建設されており、都心部の土地利用再編のなかで建設されている。

■敷地と場所

敷地の既存市街地との関係により、まちの縁(58%)、まちの拠点(11%)、まちなか(31%)、に分類できる。

川、線路、道路などに面するまちの縁については、工場・倉庫の跡地、空き地などに建設されている他、一般に立地が悪いとされる幹線道路沿いなどに超高層マンションという付加価値が利用され、建設される。また、周辺と比べ容積率が高く、形態規制がゆるいことも特徴である。

まちの拠点については、駅前開発や区役所など公共施設開発の一部として建設される。この場合、地区のシンボルとしての役割が超高層マンションに求められることになる。

まちなかについては都心部に多い。周囲と大きな差異が生まれる場合、既存市街地との衝突が起こることが多い。

■建築計画

単棟で建設されるものと複数棟にわたるものはほぼ同程度。前者を住宅の占める割合により、住居専用(14%)、一階部など足下に店鋪が併設されるもの(14%)、事務所などが住宅と同規模で併設されるもの(24%)、と分類できる。後者は、業務ビルなどと同時に開発されるもの(25%)、住宅を主用途として開発されるもの(団地)(17%)と分類できる。他の用途と複合的に開発されるものが多い。

■敷地規模、建築規模

敷地面積については1000-6000m2の範囲で多く、10000m2を超えるとほとんどが複数棟の計画となる。

建築規模については、面積は1000-1500m2、住戸数は200-400戸、階数は、20-24階が最も多い。近年では50階を超えるものもあり、高さや規模を売りにした物件が増えるとともに、建築規模も巨大化していく。

3-3 小結                 

超高層マンションが新たな建築タイプとして浸透していくとともに、建設数は増加し、計画は多様化している。既存市街地との関係のなかで整理していくことでまとめとする。

既存市街地に注目すると、以下の二つに大別できる。一つ目は、都心部の土地利用再編のなかで建設されるもの。超高層マンションの持つ“新しさ”というイメージを利用し、既存市街地に新たなイメージを付与することが図られる。二つ目は、場所の持つ利便性のため高度利用を図り建設されるもの。時には、それまで築き上げられてきた既存市街地のイメージが利用される。前者が既存市街地に受け入れられ易いのに対し、後者は周辺との差異が大きい場合、新旧の衝突が起こることがある。

都心型には後者が多い。都心部は古くから商業と住宅が一体となって築き上げてきてきた低中層の市街地であり商業地域と指定されている、あるいは住宅系の低中層市街地であっても幹線道路に沿って商業系の用途地域として高い容積率が設定されていることが多い。さらには地上げによりまちなかに建設される場合が多い。

→→そのような市街地では、地元住民などが超高層マンションをまちにふさわしくないと感じている場合が多く、建設する側との間で衝突が起こり得る。次章では、実際に反対運動の起こっている神楽坂を対象として、超高層マンション立地に関する問題を考察していく。

 

4.事例研究 神楽坂における超高層マンション計画

4-1 神楽坂の概要           

古くは江戸時代、山手七福神の一つとして知られる毘沙門天の門前町であった。明治になると、商店や待合、料亭などが並ぶ盛り場として栄えるようになる。現在でも、神楽坂通りに散在する老舗の店、古くからの料亭街の粋な雰囲気を漂わせる石畳の路地、歴史情緒漂う雰囲気を漂わせる。

華やかな表通りである神楽坂通り。その裏には路地が迷路のように張り巡る。神楽坂通りには新旧様々な店が軒を連ねる。路地の幅員は歩いていて心地よい。足下には植木など小さな緑が散在し、黒壁、格子戸の料亭が並ぶ。様々な性格のみちと起伏に富んだダイナミックな地形、互いに重なり合い、重層的で変化に富んだ空間を形成している。

地区の北側は飯田橋業務街に面する。大規模な業務系建物が集積し、今後もさらなる建設が予定されている。2000年には都営大江戸線が開通し、飯田橋駅の主要ターミナル駅としての機能はますます強まっている。

そんなまちの一角で超高層マンションが計画された。現在、周辺住民を中心としてマンション紛争が起こっている。

4-2 論点の整理             

事業者の開く住民説明会(東京都紛争予防条例に基づく)の議事録などをもとに、問題点を整理すると以下の通り。

○神楽坂らしさ:両者ともに主張するが、どのようなものなのか、それに合致する計画とはどのようなものなのか、はっきりせずに高さのみに焦点が集まってしまう。

○建築規制:建設する側にとって、現行の法規制にのっとった“当然の”計画であるのに対し、周辺の住民は“悪い”計画であるとの認識を持っている。

○手続き:事業者、住民、ともに主張をぶつけ合うだけで、意見のすりあわせができていない。

ここでは“神楽坂らしさ”に注目する。神楽坂は新旧が混在するまちであり、“変化のあり方”が大きな争点となっている。以下“変化”に注目し、まちづくり、まち、敷地、それぞれの変遷を考察していく。

4-3 まちづくりの取り組み            

新宿区景観基本計画(平成3年策定)では、区を特色づけている特徴的な地域として神楽坂かいわい地区を取り上げ、地域個性化モデル事業の対象地とする。「近年、マンション化、ビル化が進み、まちの変化が激しい」、「今後、どのように変化していくか」を課題とし、「神楽坂の和風の雰囲気が大切であると皆が合意するなら、ビジョンを明確にして、まちづくりを行う必要がある」としている。

これ受けて、同年、まちづくり推進計画の策定に向け神楽坂まちづくりの会が発足する。翌年さっそく、津久戸小学校に隣接する建物の計画をめぐり事業者と交渉し、小学校への日照を一定程度確保するという成果をおさめる。さらに、平成6年には、法的拘束力を持たない地域の任意協定である「神楽坂まちづくり憲章」を宣言する。

平成8年、神楽坂通りに面して計画された(仮)神楽坂三丁目ビル(建築面積約780m210階の共同住宅)の建設をめぐり反対運動が起こる。結局大きな変更のないまま建設されるが、これを契機にまちづくりの気運が高まる。平成年に神楽坂通り沿道にまちづくり協定が制定され、同年、街並み環境整備方針が策定される。

築かれてきた伝統を大切にし、新宿区と地元住民が一体となってまちづくり行ってきた。その結果、平成9年には新宿区の第一回景観まちづくり賞として神楽坂四丁目の路地群が選ばれた。

また、平成6年にはタウン誌「ここは牛込、神楽坂」が創刊されるなど、地元住民のまちへの意識は強い。

4-4 まちの中高層化の変遷            

■対象地区

東西に約1.3km続く神楽坂通りを中心として22町丁目、東西に約1.4km、南北に約1.0km、面積約0.83km2

■方法

1980年以降の住宅地図を用いて、対象地区内における3階以上の建物を各年プロットする。(3-4階、5-6階、7-9階、10-階、それぞれ住居系、非住居系に分類)中高層化となる建て替えの種類として、1)用途がそのままで建て替え、2)単一用途から共同住宅への用途変更による建て替え、3)単一用途から非住居系ビルへの用途変更による建て替え、4)それ以外の用途変更による建て替え、5)建物(敷地)の統合による建て替え、をそれぞれプロットする。建築面積についても、500-1000m21000-2000m22000-m2の建物についてプロットする。

■立地特性

通りに沿って帯状に非住居系の建物がつらなり、内側に3-4階の集合住宅が散在している。その他7階以上の建物の集積地がいくつかある。また、敷地面積の大きな建物は少なく、その立地には集積が見られる。以下、主要な通りと、いくつかの集積地について考察する。

○神楽坂通り(幅員12m):非住居系の建物が多く、そのほとんどが単一用途から非住居系ビル(自社ビル)への建て替えである。1-2階の低層部に店舗を構え、3階より上に事務所があるものが多い。建築面積は小さく、大きいものは敷地が統合されたものである。

○大久保通り(幅員16m32mへ拡幅が都市計画決定済):建築面積の大きな建物が多い。線的に連なるというより、いくつかの集積する点が通り沿いに並んでいる。

○外堀通り(幅員30m):建築面積の大きな非住居系の建物が多い。北側にはもともと、規模の小さな飲食店や旅館などが集まっていたが、敷地が統合され、7-10階程度の規模の大きな事務所ビルが連なるようになった。北側は、飯田橋業務街の性格を強く持つ。

○江戸川橋通り(幅員20m):規模の小さな商店や事業所が通り沿いに並んでいた。1980年当時には個人住宅もいくつかあったが、現在ではなくなっている。建築面積は小さいが10階以上の高層の建物が連なる。

○いくつかの集積地:それぞれの特徴は以下の通り。1)もともと規模の大きな敷地があり、用途転換により建て替えが行われた。2)飯田橋業務街の性格を強く持ち、小規模な飲食店などが敷地統合され、中高層の建物が建設された。3)もともとの敷地が大きく、建て替えにより中高層化した。

■時間特性

1986-1989年、1992-1995年に二度の建設のピークがみられる。それを中心として、4つの時期に分けられる。それぞれの特徴は以下の通り。

-1980:中層以上の建物は少なく、3-4階の建物が多い。それ以上の階数の建物は通り沿いに散在する程度。10階以上の住居系建物はまだない。

-1986:ほとんどが通り沿いに建設される。10階以上の住居系建物が初めて3件建設される。

-1989:一回目のピーク。3-4階の住居系建物が通りから離れた場所に多く建設され始める。7階以上の建物は、通りに沿った非住居系の建物がほとんど。神楽坂通り沿道では、自社ビルへの建て替えが進む。現在のまちの景観が形づくられてくる。

-1991:建設が少なくなる。7階以上の規模の大きな住居系の建物は建設されなくなる。

-1995:建築面積が大きく、7階以上の規模の大きな非住居系の建物の建設が目立ってくる。現在の通り沿いの建物はこの頃にはほぼ建設される。

-2001:通りに沿った建物の建設は少なく、街区内側に建設されるようになる。規模の大きな住宅系の建物が再び建設されるようになり、住居系の建物の建設の占める割合が高い。規模の大きな面的開発が目立つ。

4-5 敷地の変遷                  

■敷地特性

敷地は大久保通りに面し、裏側には路地が広がる。神楽坂通り沿道のまちづくり協定地区に隣接する一方で、軽子坂通りの方角には階数は低い(4階)が威圧感のある本社ビルに面する。様々な場の性格が交差する場所である。

街並み環境整備事業のなかでは街並みが変わってきており、新しく神楽坂らしさをつくっていく住宅地区に含まれ、建設予定敷地に対し、神楽坂のイメージを活かした開発を誘導していくとしている。

敷地内には幅員4mに満たない路地(区道)が南北に貫いており、 面積が300?1200m27つの街区に分かれていた。区道の廃止*4により街区が統合され、約5000m2と規模の大きな敷地が生まれた。

大久保通りの拡幅が都市計画決定されており、拡幅予定地が敷地内に含まれている。

■時間特性

地上げの過程を二つの時期に分けることができる。まずは1992年以前、大久保通りと区道に挟まれた区域を対象とする。当初の地上げ予定はこの範囲であったと思われる。その後、より広い敷地を求めて区道を乗り越える。1995年には地上げが完了したが建設予定がたたず(東京理科大学の関連施設の建設予定が立ったが頓挫)、現在に至り超高層マンション計画が持ち上がった。

建設予定敷地は大久保通り沿道、神楽坂通り裏、両者の性格を持っていたが、街区の統合によりもたらされた計画は大久保通り沿道としての性格のみを持つものであった。

4-6 小結                  

まちづくり、まちの中高層化、敷地、それぞれの変遷を比較することでまとめとする。

第一次建設ラッシュにより街なみが大きく変化したことを受け、まちづくりが意識されはじめる。第二次建設ラッシュを受けて、その気運が高まる。二度の建設ラッシュと二度の地上げの期間は同時期であり、その後の建設停滞期には駐車場として放置され、大規模マンションの人気を受けて超高層マンション計画がたてられる。その一方で、まちづくりと建設予定敷地との接点は、街なみ環境整備計画の地区の一部として指定されたのみで、その他は関わりがない。

飯田橋業務街を異なる性格のものであるとすれば、神楽坂は、敷地規模が大きいものは少なく、敷地の統合が行われにくいまちである。神楽坂通り界隈に限ってみれば、表通りが中高層化するのに対し、裏はそれに守られるかのように建て替えが進まず、昔のままの雰囲気を残している。(路地の幅員が4mに満たないことにも起因しているが。)超高層マンション計画はこれまでの神楽坂のなかでは異質なものである。

→→上位計画のなかで、街なみを大切にして住民主導のまちづくりを進めていくよう定められているのにも関わらず、住民から反対の声があがってしまう、まちにとって異質な計画が持ち上がるのは好ましくない。

 

.まとめと考察

5-1 まとめ                    

以上でみてきたように、1)都心居住の推進を背景に、都心部において住宅建設に対する緩和施策が進められている。特に都心部において超高層マンションは建設されやすい状況となり、実際に建設されている。2)超高層マンションは多様化しているが、既存市街地との関わりのなかでそれぞれをみてみると、受け入れられ易いものと、そうでないものがある。3)後者の事例としてマンション紛争の起こっている神楽坂をみてみると、これまでのまちの移り変わりのなかで異質なものであり、従来のまちづくりの方針とも方向を異にする。

都心居住推進のなかで超高層マンションの建設を推進していく一方で、神楽坂のようなまちにおいては建設を抑制していくことが必要である。

5-2 今後に向けて             

■予防するために

計画決定以前から大規模敷地は存在しており、まちの変化のなかで大規模開発が起こりうることは予測可能である。

計画決定後、現行制度下では対策は難しい。*5常に、まちに将来起こりうる事態を想定し、周辺住民自らが積極的なまちづくりを行っていくことが必要である。

■建築規制について

現行の形態制限は主に容積率によるものであり、敷地が大きければ高さ制限はほとんどなくなる。高さ制限については地区計画や高度地区によって、最高高さを制限する方法がある。しかし、住民にとって策定はハードルが高すぎ、実現にいたるのは困難である。*6敷地の最高限度など合意の得られやすいメニューを追加していくことが必要である。

■計画決定に際して

○環境アセスメント

東京都環境影響評価条例では、環境アセスメントの対象基準を一律に定めている。しかしその数値の持つ意味は場所によって異なる。手続きの簡略化に合わせ、市街地特性に合わせて地区毎に対象事業の幅を広げていく必要がある。

○周辺住民などが関われる仕組み

東京都建築紛争条例では、計画決定後に住民説明会を行うことを義務づけているが、その場は両者の意見を主張する場でしかない。時期(計画決定以前)、協議方法(専門家が仲介するなど)、改善を検討していく必要がある。

 

脚注                       

*11983年の新耐震設計基準施行後、構造計算方法について大臣認定が必要な建物が60m以上とされたことから、高さ60m以上、それに相当する地上20階建て以上が目安になっている。

*2:柳沢(1997

*3:柳沢(1997

*4:区道については、使用者がいないことを理由に新宿区は廃止を決定したが、周辺住民などが違法性を問い、訴訟を起こしている。

*5:神楽坂では、国立の事例にならい地区計画策定などの動きがあったが、時間的にも計画を変更させるまでいたることは困難である。

*6:神楽坂沿道でのまちづくり協定策定時も高さ制限については、かなりの苦労があったそうである

主要参考文献等                 

高田光雄『日本における集合住宅計画の変遷』(1998)日本放送協会

柳沢厚(1997)「容積インセンティブ手法の系譜と今後」都市住宅学17p36-42

タウン誌『ここは牛込、神楽坂』

首都圏高層住宅全調査(昭和51-平成11年):日本高層住宅協会

超高層マンション資料集(2000):不動産経済研究所

東京都建築統計年報2000年度版:東京都

市街地再開発事業の概要(平成13年):東京都

不動産経済研究所HPhttp://www.fudousankeizai.co.jp/

住民説明会議事録(http://kagurazaka.net/gijiroku/giji7.html