桑田 仁
街区を単位とした日照確保型形態規則手法に関する研究


内容要旨

--------------------------------------------------------------------------------

 東京都心部の周辺に広がる低層高密市街地は、高度成長期に木造賃貸住宅が多数建設されて以来、今日でも多くの問題を抱えており、特に阪神・淡路大震災を契機として、地域の危険性が再認識されているといえる。道路基盤を整備しつつ共同化・不燃化を図り、市街地内に空地を確保していくことが必要であることは共通の認識であるが、既に成熟した高密市街地内においては、面的な再開発である、改造型の市街地整備の進捗は困難を極めており、個別建替えの進行の速度は住環境整備を行っていく速度をはるかに上回っているのが現実である。

 また近年、都心およびその周辺部での居住機能の担保・促進を図る名目で、高度利用を阻害する大きな要因である日影規制・斜線制限・高度地区の緩和もしくは撤廃、およびその採光規定への切り替えが議論されている。しかしながら、街区スケールといったミクロなスケールで、どのような物的もしくは社会的条件をもつ街区では日照をあきらめて採光に切り替えるべきなのか、といった詳細な検討が不十分であることなどから、日照確保型規制から採光確保型規制への切り替えには、更なる議論が必要であると思われる。

 以上を踏まえ、本研究では、まず低層高密市街地の抱える問題点の整理を行い、街区を単位として、関係主体による合意を前提とした、新しい形態規制の必要性を示す。次に、住環境における日照の意義を再確認した上で、現行日照コントロール手法に関する問題点を指摘し、日照確保型形態規制手法に必要とされる要件を明確化するとともに、市街地の日照環境および住環境を表わす総合的な指標を選定し、低層高密市街地における日照環境の現状を、複合日影を考慮して評価する。そして最終的には、日照水準の担保と居住面積の確保を可能とする、街区内部での合意形成を前提とした協調型建替えによる、日照確保型形態規制手法の提案を行なうことを目的としている。

 本論文は5章から構成される。

 1章では、まず東京都心部周辺に広がる低層高密市街地の問題点をまとめた。すなわち敷地面積および住宅規模が狭小であること、基盤が未整備であることといった問題を持つ低層高密市街地では、同じ街区内の敷地においても、接道条件等により更新が不可能な敷地が取り残されてしまい、更新が進む敷地との住環境の差が大きくなること、また現行の形態規制によってさらに建蔽率が増大し、相隣環境の悪化が進むといった問題を抱えており、地域の課題として、(1)防災の観点からみた不燃化の促進、(2)空地の確保、(3)基盤整備、(4)居住面積の確保、を挙げた。結論として、現行の建築基準法に則った、敷地を単位とした市街地更新の積み重ねでは上記の課題に対応することは難しいが、共同化も既成市街地ではほとんど進んでいないという現実を考慮して今後の市街地整備を考えると、住環境の維持と居住面積の確保を両立させるために、街区を計画単位とした、協調建替えを原則とする新しい形態規制が必要であることを述べた。

 そしてこのような低層高密市街地の中で、特に中野区は、東京都住宅マスタープラン(第1次)、木造密集地域整備プログラムといった広域的なプログラムの中で住環境整備が必要な地域と位置づけられていることや、東京都区部でいまだ最高の人口密度を示し、住宅規模も23区平均より概ね低い水準を示していることから、低層高密市街地の典型地域とみなすことは妥当であると判断された。さらに区内では、住居系の用途地域かつ150%の容積率が指定されている地域が広い部分を占めることから、基盤が整うまでの暫定的な用途地域の指定によって、今後も物的な変容が進行する地域であるとともに、居住者高齢化も急速に進んでいることから、社会的にも変容が進行していることが明らかとなった。以上から中野区は、市街地変容に対応しつつ適切に住環境をコントロールする必要のある地域であることを示した。

 2章では、住環境の要素として日照を捉えた場合、日照条件が悪ければ開放性が低下し、通風・視野・プライバシー・安全性等の、居住環境要素の全般的な低下を引き起こすという点が重要であると考え、「日照は住環境を総合的に評価する指標として有効である」との作業仮説に立つこととした。次に、現行形態規制における日照確保手段としての斜線制限と日影規制について、その問題点を整理した。斜線制限については、北側斜線はもともと日照確保の能力を期待されていないこと、さらには北側斜線より厳しい東京都の第1種高度地区ですら、狭小敷地では冬至4時間日照を確保する機能はなく、東西方向の日照確保にはほとんど役立たないことから、規制の実効性に関して問題があることを指摘した。斜線制限が市街地形態に与える悪影響としては、敷地規模が狭小な低層高密市街地では建物を南側に寄せ、高さに対する制限から建蔽率を高める作用を持つために隣棟間隔を狭め、日照を確保できないだけでなく、採光環境も悪化させている点を挙げた。日影規制については、個別の敷地に対する規制であるため、複合日影のコントロールが不十分である点が解決されていないこと、また1敷地に複数の建物が建つ場合、複合日影の影響を考慮して日影規制をクリアしなければならないが、それぞれの建物が別個の敷地に建つものとした場合、複合日影を考慮する必要がなくなることから、敷地の細分化を促進させる恐れがあることを指摘した。以上の問題点に対応した日照確保型形態規制に求められる要件として、(1)関係主体の合意を前提とすること、(2)日照水準については、地域によって多様性に富むものであってよいこと、(3)複合日影を考慮して実効性のある日照コントロールを行なうためには、敷地単位ではなく、街区を単位としたコントロール手法を考える必要があることを示した。

 3章では、実測調査の行ないやすさから、都内に立地する公開空地を調査対象に選定し、日照・採光環境の実測を行なった。魚眼レンズによって撮影された天空写真から、可照時間・日照時間・直達日射量・天空日射量・天空率・天空比といった複数の指標を算出することを可能にするシステムを開発し、それを用いて、日照環境を表わす諸指標のなかで、冬至日照時間を日照環境の指標値として用いることが、最も適していることを示した。さらに住環境指標の代表として冬至日照時間を考えた場合、どの程度複数指標に関する「総合性」を有しているかを検証した。開放性・採光環境を表わす指標として天空率が妥当であることをまず示し、次に冬至日照時間と天空率を比較した結果、冬至日照時間がある程度の水準に達していれば、天空率も一定の水準に達していることが分かった。以上より、冬至日照時間をもって住環境の総合的な指標とみなすことは妥当であるとした。

 4章では低層高密市街地の典型である中野区を対象とし、中野区住宅マスタープランによる地区区分を参考に、地区にかかる計画規制、現況の密度、基盤状況および今後の市街地整備の方向がそれぞれ異なる12街区を抽出し、日照環境の現況調査を行なった。調査にあたっては建物の各壁面のうち、最も日照を享受する壁面を最良日照享受面と定義し、日照時間および壁面方位の分析対象とした。その結果実際の市街地では、建物南面が得る日照時間よりも平均的には劣るものの、建物東西側が最良日照享受面となっている事例がかなり存在することが明らかとなった。次に容積率・建蔽率・敷地規模といった街区の物的特性を表わす指標と日照環境の関係を調べたところ、もっとも関係が深いのは敷地規模であった。中野区住宅マスタープランによって分類された各地区区分における標準的な街区、および大規模街区では日照環境は概ね良好であったが、敷地規模が小さい街区の場合には日照環境は非常に悪く、よって敷地細分化を防止することは日照環境上からも非常に重要であることが確認された。

 5章では、無限に長い二つの建物が、互いに平行に建っていると仮定したモデルを用いて、隣棟間空地の方位、隣棟間隔および日照時間の3者の関係を明らかにした。次に、4章の現況調査によって日照環境が劣っていると判明した小規模敷地街区を対象に、個別更新を前提とした協調建替えによる、街路方位と確保すべき日照水準に対応した壁面位置指定を中心とする「街区日照モデル」の提案を行ない、現行形態規制の枠内で容積を充足させた「現行形態規制モデル」と、日照環境および確保される容積率・建蔽率等の比較を行なった。その結果、街路・空地方位に対応した隣棟間隔による壁面位置コントロール手法は、目標とする日照水準を各戸に対して保証しつつ、現行形態規制下での更新モデルと、ほぼ同程度の居住面積確保を可能にするものであることを示した。

 現行形態規制は、特に狭小敷地に対して建築物を低く抑え、隣棟間隔を狭める方向に強く作用する。その結果として居住面積の確保が困難となり、相隣環境も悪化するにもかかわらず、日照環境は保護されない点が問題である。これに対し、本研究で提案した、街路・空地方位に応じて隣棟間隔を設定する壁面位置コントロール手法は、あらかじめ設定した日照水準を各住戸が達成することを可能にしており、日照保護の実効性が高い規制である。同時に、街区内側では敷地状況に即した壁面位置指定を行なうことによって、狭小敷地に対しても居住面積の確保を可能としている。現行制度下では、住環境整備を指向した街並み誘導型地区計画に対する適用などが十分に考えられ、本提案は低層高密市街地において、住環境を担保しつつ居住面積を確保した市街地更新を実現する上で、有用であることが確認された。