市街地と中小河川をつなぐ一体的な空間計画のあり方
東京山の手における河川域の空間構造とその形成過程の分析を通じて

Design thoughts and planning theory of river-side urban space
A Case Study in Tokyo-Yamanote area, focusing on spatial structures and historical transition processes of river-side urban spaces
96145 三牧 浩也

In the process of modernization, many of small rivers were lost (covered or buried) in urban area in Japan. Even the rest of them were not also well treated. Especially their function as urban amenity was neglected. Many of the programs since the beginning of 70's which focused environment of small rivers and their restoration dealt with only the river itself, and as a result, the effects were limited. From such experience, comprehensive methods to deal with the urban small rivers from both aspects of "river management" and "urban palnning" are needed in recent years.
This paper aims to describe the importance to deal with "spatial structures" surrounding small rivers in such new programs by looking at a case study in Tokyo-Yamanote area. Historical transition processes of river-side spaces are classificated into 8 types by their various background urban and social conditions. They show the significance in river restoration programs to deal with surrounding urban spatial structure beside the river itself.

研究の背景と目的                   
 都市における水辺の再生、河川空間の見直しがうたわれて30年。近年では、制度の成熟やいくつかの自治体の総合的な施策展開の中、都市整備、河川整備が連携した複合的な空間整備の事例も見られるようになってきた。しかし、河川環境回復を目指す計画も、多くの場合は未だに既存の空間構造の中での限られた河川空間整備にとどまるのが現実である。「河川を活かした都市空間の再構築」が大きなテーマとなりつつある中、今後の展開に向けて都市河川を空間構造という点から捉え直すことの必要性を感じた。
 味わい深い都市空間を育んでいくために、都市内河川、その中でも特に、字面通り都市の中に組み込まれたような中小河川がもつポテンシャルを見過ごすことはできない。そこに描かれうる空間像を確認し、まちと川とをつなぎ、一体性をもった空間をつくり出すための空間計画の必要性とその課題を述べるのがこの研究の目的である。

・着目する領域:「河川域」とは
 河川域は河川の印象をつくりだす最小限の都市的な広がり、として設定した領域である。あまり使われない言葉であるが、ここでは特に図に示すレベルの空間領域を表す。河川区域に加え、河川に隣接し直接的に河川を取り囲む空間の形成要素となっている都市空間を含める。また、「河川域」と表すが、旧河川である遊歩道や緑道なども対象に含める。
 大きな都市構造や、地域性を重視したまちづくりの中での河川の位置づけは多くの自治体で行われているが、実際に行われるのは公共空間での遊歩道整備や親水整備に限られることが多い。市街地と川とが一体性をもって感じられるような空間の実現には、川を含む市街地の空間構成を読み解く視点と、都市と河川という規定の枠組みを越えた計画の連携や柔軟な制度運用が必要であるが、その論考は未だ浅く、計画手法としても確立されていない。この研究では、これらの論考を行うことを目的とし、基礎的な空間構造の最小単位として、「河川域」という領域を対象とするのである。

1 1970年代以降の河川環境回復に関する取り組みの変遷  
1-1.内包する問題の多様化と概念の深化
・1970年頃 都市と川の関係を捉え直す萌芽的動き
・1980年頃 萌芽的動きの発展と一般化 総合治水概念の登場 
・1990年頃〜施策の総合化とエコロジー的観点からの概念の深化 
 近年では、河川改修の促進、総合治水、生態系の回復、循環型まちづくり、市民参加など様々な側面からも都市計画における河川への対応が多様な施策の中で求められている。

1-2.都市河川域の空間像
 ここ30年あまりの展開は、本質に立ち返った都市河川像の追求の歴史と見ることができ、それは二つの大きな概念のせめぎあいの中でのその調和形態の模索であった。
・都市空間としての河川の本質:人やまちとの関わり
…アメニティ/親水/地域性/市民参加
・自然空間としての河川の本質:自然の川がもっていた性格
…エコロジー/多自然型/水循環/洪水/地形

 都市河川においてはどちらも無視できない概念であり、調和をとりながら、なによりもその場所性に応じた空間像を描くことが必要である。一体的計画が進められるようになったとき、いままで河川整備の中で熟成されてきたかに見えるこれらの概念と空間像はさらに深められうるであろう。

1-3.一体的計画の視点
・空間像としての一体性
…スケール感/空間構造/境界部の融和/空間利用
・計画としての一体性
…多主体間の施策連携/空間ビジョンの共有/一体的面整備

空間像としての一体性を実現することが最終目的である。都市河川域の再構築においては計画としての連携が重要である。いかにして一体的な空間を実現するか、そこに必要な考えは何か、2章以下で探っていく。

2 河川域の空間形成の史的背景とその空間特性      
2-0.東京山の手の中小河川
対象河川
石神井川:田柄川/藍染川
神田川:小石川(谷端川)/弦巻川/妙正寺川/江古田川/井草川/桃園川/善福寺川
渋谷川/古川:笄川/宇田川/河骨川
目黒川:蛇崩川/烏山川/北沢川
立会川
内川
呑川:久品仏川
 都市河川としての多くの問題を抱える典型的な事例群であり、その中でも地域特性と市街化過程によって様々な空間特性を見ることができる対象として、東京山の手の中小河川を選んだ。暗渠化され現在では下水道幹線となっているものも多く含む。

2-1.空間形成の系譜とその空間構造
 空間形成を8つの系譜に分けて整理し、各系譜の中でいかに河川域の空間像が描かれていたか、あるいは描かれていなかったか、そしてそれが空間構造の形成にいかに作用したのかを明らかにする。

|河岸から首都高まで 中心部河川の系譜
─中心部において都市の表から裏へと劇的な変化を遂げた河川域の系譜
→神田川下流 日本橋川 古川下流 
 中心部の中小河川は江戸時代から運河と同様に河岸や物揚場が作られ、まちと密接な関わりを持っていたが、近代以降、連鎖的過程によって視界から消え去っていく。
公有地であった河岸の民地化→河岸への防火建築建設→舟運に特化した河川空間像→舟運の衰退→堤防の構築→首都高の建設
沿川谷道の幹線化(aj→ビルの林立
 護岸天端法線を土地と河川との境界とすることが確認された震災復興河川改修に代表されるように、消極的な意志と短期的な視野が現在の状況の根底にある。
 高速道路の建設は、道路収納スペースを河川空間に求めたもので、都市計画のしわ寄せを河川が受けた典型事例である。中心部は公共用地も少なく空間構造も固定化されているために首都高地中化という契機があるならば、これを利用して、大きく空間構造を見直すことが重要である。

}工場立地と密集住宅地形成の系譜
─周縁部における計画なき河川域形成の系譜
 水運 水力 製造工程での水利用など川と密接に関わった、科学・機械工業/繊維工業/製紙・印刷製本業/染色業などの工場が基盤整備も伴わないまま積極的に河川域に進出する。
→石神井川下流部、古川、目黒川下流部はいち早く  神田川、渋谷川、立会川、呑川でも大正以降
 出水常襲地帯で地価が安かったことから労働者の密集住宅地化が促進された。下町的な市街地形成であり、空間自体にも下町的要素が見られる。
→古川、渋谷川、石神井川、神田川、立会川沿いの市街地
 零細河川付近にも工場が集積し、環境が早くから悪化したことで、大正末期から、いち早く零細河川の下水道暗渠化が行われた。(aj
→藍染川、小石川、笄川
 計画不在の河川域形成の系譜であり、基盤が未整備であるため、大規模改変の可能性が高い。

~緑地計画の系譜
─緑地という形で都市計画の中で河川が体系的な位置づけを得た系譜
 大正末期から昭和戦後期まで、郊外部の市街化が進む中、武蔵野の自然緑地、その中でも川沿いの緑地の保全計画が進められる。都市計画において河川が積極的に位置づけられた唯一の系譜であり、いくつかの成果を残した。
風致地区(S5、S8武蔵野の8地区指定)、東京緑地計画(S14)、東京保健道路計画(S13)、防空空地・空地帯(S18)、戦災復興計画(緑地地域、緑地帯 S22)
 昭和15年の都市計画法改正によって緑地が都市計画施設として位置付けられ、積極的な活用が可能となった。現在でも善福寺川、石神井川沿いに指定されている。
 一連の緑地計画の中で具体的に描かれた河川の空間像を東京保健道路計画に見ることができる。石神井川のように自然の地形や緑を活かしたものから、呑川のように人工的な緑地帯を作り出すものまで、描かれた空間像は多様であるが、道路も含め河川沿いの幅広い公共空間の確保が目指された。
 善福寺川、妙正寺川、石神井川の一部では都市計画緑地や公園として確保され貴重な緑地空間となっている。
 その他の地区でも緑地指定が市街地形成に及ぼした影響は大きい。(有機的空間構造をもった市街地/=j

河川改修に伴う住宅地形成の系譜
─市街化・区画整理・河川改修の3つの要因に規定される河川域形成の系譜
 大正〜戦前期にかけて広範な河川域で一体的な基盤整備が進められた。東京都都市計画の河川改修に併せた宅地開発が大きな目的であった。河川域は元来低湿地で住宅地としての条件が悪かったため、盛土と均質なグリッドパターンによる土地条件の均質化が図られたと見ることができる。そのため、これらの大規模な基盤整備によって有機的な市街地構造や地形に沿った河川の自然的性格は大きく失われた。
 石神井川沿いの一連の大規模耕地整理における河川改修でも、農業生産効率向上という耕地整理の性格上、抜本的な河道の直線化が図られた。
 井荻町区画整理では地区を流れる善福寺川妙正寺川について「一種の風致をなしているため、なるべく現状において改修」するとされ、沿川に道路を設けず、河川を街区に取り込む形で区画が整えられた。しかし、その河川域環境を保全するすべはなく、逆に河川の本改修や市街化の過程で河川ぎりぎりまで建築が立ち並ぶ状況が生じた。
 これら市街化を可能にした大正から戦前期の河川改修では桜並木に代表される豊かな空間形成が図られた所も多い。空間的余裕が大きく確保されていた所では後の再改修においても桜並木などが保持された一方、ぎりぎりまで整地された地区では、再改修の拡幅においてその環境が削り取られた。当時計画された区画構造の差異が結果としてその後の河川域空間形成を大きく左右した。蓋かけ後の上部空間整備形態に及ぼした影響も大きい(aj。
 戦後多発した水害によって山の手中小河川の緊急河川改修がなされ、全域に渡るコンクリート護岸化が進む。さらに昭和43年に設定されたシビルミニマムによって50mm/hrの再整備が始められ現在に至る。既に市街化が進んだ状況での戦後の河川改修は基盤整備を伴わず、市街地を一皮はぐような形で拡幅された所も多い。また、旧河道や買収残地といった事業残地が発生し、その多くは区によって公園として確保、整備されている。
→神田川上流部 石神井川下流部

¢蜍K模団地や大規模公共施設立地の系譜
─郊外部河川域における戦後の公共空間確保の系譜
 基本的に宅地化は台地から進行する上に、郊外部では河川未改修区間も存在したため、昭和30年代になっても、郊外部河川域では市街化が進んでいなかった。 
→妙正寺川中流部/善福寺川中流部/神田川上流部/石神井川上流部 
 これらは緑地地域ととして保全が図られていた地区でもあった。
 しかし、昭和30年代郊外部の市街化の進行に伴い需要が大きくなっていた小中学校や公共施設、戦後の住宅不足を補うための大規模団地が河川域に建設されていく。妙正寺川や石神井川では未市街化地帯の狭さからか、河川を挟んだ立地もみられる。
 河川改修を団地造成に併せて行う意図もあり、北沢川・烏山川上流部のような周囲に大きな空地が残っていた地域でも河川域に団地が建設された。
 この系譜によって河川域において大規模な公共空間の確保された意義は大きい。

iコ水道整備と暗渠・緑道化の系譜
─支流や上流部零細河川の廃止と河川域構造変化の系譜
 山の手の中小河川の暗渠化は、大正末期〜昭和初期の第一期と昭和40〜50年代の第二期に分けられる。
第一期 大正末期から戦前期にかけての中心部零細河川の暗渠化(})
→藍染川、小石川、笄川
幹線道路に取り込まれたりアスファルト舗装の一般街路となっている。
第二期 昭和36年「河川と下水道のあり方についての基本的方向」において、源頭水源を有しない14河川※について
・一部または全部を下水幹線化
・下水幹線以外の部分も舟運上の理由から必要な部分を除いて覆蓋化
・上部空間の積極的な公共利用
する旨が答申され、昭和40年代、一気に暗渠化が進む。
 下水道整備と上部空間整備は必ずしも連動して行われたものではなく、蓋かけ後の空地に、区が順次、児童公園を点的に整備した形が多くみられる。目黒川支流などでは、かつての桜並木の保全、植栽帯整備が行われ「緑道」と呼ばれた。
 緑道化によってそれまで裏であった空間が表の様相を帯び、空間構造を変化させた。遊歩道と隣地との融和が進む地区がある一方で、柵を設け隣接敷地と切り離された形で整備されている区間も多い。

リイ線道路網敷設の系譜
─河川域への幹線道路敷設とそれに規定される空間形成の系譜
 中心部は幹線道路密度が高く、川沿いの谷道が拡幅、幹線化された部分も多い。一方で郊外部の放射幹線は古くからの尾根道の街道を利用しており河川域で幹線道路の影響を受けた区間は少ない。
 幹線道路敷設における河川との微妙な位置関係が河川域の空間像を大きく左右する。幹線道路沿道は高度利用され高層化するため、川と道路との間に敷地が挟まれる区間では川はビルの列の裏に追いやられる。一方、川と道路が隣接する区間では川は自動車交通の中にさらされる。どちらも問題であるが、前者の中にはビルの裏の川沿い遊歩道整備によって落ち着いた空間が生まれている事例もみられる。
 
鉄道と駅による空間形成の系譜
─駅を中心とした市街化に飲み込まれた河川域の系譜
 鉄道と河川との交差部や川と鉄道が隣接する場所に駅が設置され、駅を中心とした市街化の中に取り込まれていく河川域があった。
→渋谷駅(上部にデパート、駅前広場、遊歩道、再整備計画)、大井町駅(駅前広場、遊歩道)、王子駅(飛鳥山バイパス、旧河道の公園)、中目黒駅(暗渠上部駐輪場、再開発計画)、自由ヶ丘駅(暗渠上部商店街)、池尻大橋駅(暗渠上部駐輪場)、立会川駅(商店街の裏)、久我山駅(再整備計画、川のイルミネーション)、板橋駅(暗渠上部駐輪場)、駒込駅(暗渠上部商店街)、など
 渋谷駅と大井町駅では戦災復興計画において駅前広場に取り込まれ姿を消す。他の場所でも多くの川は暗渠となり、上部が駐輪場として使われている所も多い。これもまたしわ寄せの一つである。
 駅周辺には商店街が発達している。暗渠上部に商店街が形成されたり、川や遊歩道を意識した空間づくりをしている商店がある一方で、完全に裏を向けているものもあるなど、商店との多様な関係に河川域の空間構造特性をみることができる。
 駅周辺の再開発や整備において、その空間を積極的に活用する動きもある

2-2.河川域の空間類型とその特性:各系譜を横断的に見る
 河川域の空間構造が様々な系譜のもとに形成されてきたのは見てきたとおりであるが。その空間構造の実態を、今後の一体的整備の可能性という視点から横断的に整理する。
●断面構成の変遷
●川沿いのオープンスペースの存在形態
・一連の緑地計画の中で計画的に確保されてきた公園・緑地
・区画整理の際に整備された公園
・市街化の進展の中で空地であった河川域に整備された公園
・河川改修の事業残地が整備されたもの
・公開空地やマンション付設の公園
●有機的な市街地構造
・周辺部工場集積
・基盤整備を伴わない郊外部宅地化 残地が残る構造
※計画的には河川域の地形を活かした有機的な市街地形成が為された系譜はない。しいていえば、後者に緑地計画との関連を見出すことができる。何れも重点整備地区や区画整理地区に指定されている。
●大規模改変の可能性
・再開発 区画整理 中下流部の工場地帯・周縁部を中心とした密集住宅地帯、駅前地区
・河川改修(50mm/hr降雨対応)石神井川上流部 妙正寺川全域 善福寺川下流部 神田川中流部 古川
・首都高速道路の再整備 地下化も検討されている
          
2-3.形成過程に見る一体的計画と河川域のビジョン
●描かれた空間ビジョン 
 河川域は基本的に河川改修が行われない限り市街化できない領域であり、その空間形成においてはどの系譜においてもなんらかの計画的背景が存在する。空間形成に作用するのは計画の有無というよりはビジョンの有無、あるいはビジョンの中身である。
 河川を積極的に位置づけた空間ビジョン 
 河川域形成の8つの系譜のうちで、河川としての空間に何らかの意味を見出し、その空間ビジョンが描かれたのは、~緑地計画、大正〜戦前期の河川改修と見ることができる。緑地計画は河川環境を積極的に保全するビジョンを持っており、善福寺川周辺などで現在でも良好な緑地環境が保たれていることはもちろん、市街化を遅らせ、戦後団地などの大規模公共施設が河川域へ立地したことで公共空間が確保されたこと(=j、のちの改修事業において残地が積極的に公園として保全されたこと()の意義も大きい。
 市街地と一体的に河川域構造を捉えたビジョン 
 「河川域」という空間の捉え方がされたのは、|震災復興の河川・運河改修、河川改修とともに行われた戦前期の区画整理、及びk゚年の暗渠上部整備と見ることができる。震災復興で描かれたビジョンは、既に河川沿いに建築物が林立しつつあった状況を受け入れたもので、河川を積極的に位置づけるものではなかった。近年の遊歩道整備では、隣接敷地との一体性、空間の軸性などを意識したものも見られるが、いかんせん河川自体が失われた上での空間整備である。
 戦前期の区画整理の中には上記二つの視点を持ち合わせたものがあり、多くの河川域で市街地と一体となった構造が形作られた。現在でも川沿いに良好な環境が保たれている地区も多い。しかし、河川の再改修によってそこに形成されつつあった環境が失われたり、中には後に河川自体が暗渠化されたものもある。第一の目的が宅地化であったことから、ほとんどの区画整理では地形に規定された河川域の有機的な構造がクリアランスされてしまったことも触れておく必要があろう。この系譜は二つの視点を持ち合わせていたかもしれないが、どちらの視点も十分に深いものではなかった。

●河川域空間形成における計画的意図の存在意義
 以上のように見てくると、計画的意図を伴った意義深い空間形成として、特に、緑地計画の系譜及び戦前の河川域基盤整備の二つをあげることができよう。
 一方で、川沿いに道路を挟まず建築が立ち並んでいたという構造が蓋かけ緑道整備においては逆にプラスに作用しているたり、あるいは幹線道路と河川との少しの位置関係の違いによって、そこに形成される河川域環境は大きく左右されたり、というように河川域の空間構造の多くは計画的意図を越えて「結果的に」形成されたものともいえる。河川域を捉えた空間ビジョンが欠如したまま市街化が進展した地区がほとんどであるから、多くの河川域環境が計画的意図を越えて「結果的に」形成されたものであるのは当然である。
 しかし、劣悪な環境にさらされている河川域の再構築は計画なしにはあり得ない。過去にあった計画的意図がどのように作用してきたのかを認識した上で、「結果的に」形成された環境も含めて既存の環境を活かすこと、あるいはそこから計画や空間ビジョンのあり方についてのヒントを引き出すことが重要である。

3 河川域の空間づくり 一体的計画の課題と可能性    
 河川域で行われている近年の空間整備、空間づくり事例を取り上げ、一体的計画の課題と可能性を具体的に述べる。
3-1.公共施設と一体となった河川域空間整備
●大規模団地との一体的整備(=j
→都営南田中団地(団地内を流れる石神井川を緩傾斜護岸化)/公団希望ヶ丘団地(団地内の緑道を団地内のオープンスペースと一体化して整備)/都営鷺ノ宮団地(団地再整備にあわせ歩道整備 植栽で川を隠す)etc.
●小中学校との一体整備(=j
→井荻小学校(川を挟んだ立地、閉じた敷地、川の上の藤棚)/太子堂小学校(緑道に開いた空間)/代沢小学校(学校を意識した緑道整備、塀による分断)etc.
 安全面の問題もあるが一体的な空間整備を今後検討していく余地が大いにある。
●点的公共施設の空間づくり
→妙正寺川沿い就労センター(テラスと喫茶店)/目黒川沿いケアセンター(辻広場と歩道状空地)/目黒区民センター周辺(川を挟んだ施設群整備)etc.
 ヒューマンスケールな空間においては小規模で点的な施設でも、その整備が河川域に与える影響は大きく、民地の空間づくり誘導のモデルとしても示唆に富む。
─緑地・公園の河川域空間づくり
→和田堀緑地(大きな緑地空間を流れる川)/新江戸川公園(川に対する斜面緑地 椿山荘界隈の一体的な環境)/児童公園 etc.
 緑地空間の中で中小河川とが一体となって豊かな空間を形成しているのは緑地計画の大きな成果である。
 川沿いに点在する児童公園などは川と分断されているものも多い。
─調節池整備に見る施策連携
→妙正寺川第一調節池(調節池、公園、マンションの一体的整備 多主体連携の多目的遊水池 空間的分断)/目黒川舟入場調節池(調節池上部に博物館、公園、親水テラス整備 ふるさとの川整備事業の一環)etc.
 これらの調節池整備は一体的空間整備といえども、上部公園と下部調節池が分断され、その構造上、河川との空間的なつながりが阻害されている事例も多い。河川空間の立体的利用、多主体間の施策連携という点に今後の河川計画の可能性を見出すことができる。
【可能性と課題】 
・公共空間における一体的整備 1987年の河川法改正により、区市町村でも一級、二級河川について制限範囲内で整備できるようになり、公共空間整備において河川をも含めた空間連携は柔軟に行われうる。様々な形で確保された川沿いの公共空間は最も自由な一体整備ができる領域であり、河川を意識した空間づくりのモデルとなるような整備が望まれる。

3-2.大規模改変に際してのビジョン共有と空間づくりの連携
●再開発 
→大崎地区(工場地帯 駅を拠点とした再開発 川側の公開空地 区道の新設による敷地との分断 区立公園の設置)
→上目黒地区(目黒川、蛇崩川暗渠合流部 駅を拠点とした再開発 既存道路による敷地と川との分断 緑道を取り込んだ空間整備)
 川と敷地を分断する既存の道路や、管理用通路の確保が一体的な空間整備を阻害している。
●河川改修 
 石神井川や神田川の比較的近年の改修では、事業残地を河川区域として確保し、区が公園整備している。()
・旧河道残地…河道の直線化によって発生した旧河道の跡地。市街地と河川とを有機的につなぐ空間となり、緩傾斜護岸、テラス整備によって、河道と一体的に整備されるなど設計上の工夫も見られる。
→神田川上流部/石神井川中下流部 etc.
・買収残地…余分な用地買収によって余った敷地。遊歩道沿いに、不整形な小公園が点在する形となっている。
→神田川中流部/石神井川中流部 etc.
 管理用通路の確保、標準断面に基づく河川計画、市街地を一皮削る形での緊急整備が地区毎の市街地構造と連携した整備を阻害している。()
【可能性と課題】 
・ビジョンの共有 特に河川域は多くの主体が関連し、かつ多様な施策に関わる領域であり、明確な空間ビジョンを共有することで個別の事業を空間的に統合していくことが求められる。1998年には河川審議会答申で「河畔まちづくり計画」が、都市計画審議会答申で「沿川まちづくり計画」が同時に提案されるなど、川を軸とした都市空間計画策定は一つの潮流となりつつある。

3-3.民地に対する計画・規制・誘導
●表-裏と河川域構造 
 河川域の空間像を形作る大きな要因である隣接民地の空間づくりは河川域構造に大きく規定される。川沿い道路は、隣接建築が川に対して表を向ける大きな条件である一方で、空間的に分断する要素ともなる。川に対して表を向け、なおかつ一体的な空間が形成される河川域の構築がポイントとなる。
 暗渠化によって裏から表への空間構造の変化が生じた遊歩道(ajの近年の再整備では住戸へのアクセスを配慮したり、境界部に住民管理の花壇を設けるなどが隣接敷地との一体的な空間形成がなされている。
→北沢川緑道、烏山川緑道、蛇崩川緑道、桃園川緑道、立会川緑道 etc.
 川に対して表を向けた商店は川と遊歩道のある環境を活かして個別に柔軟な空間利用をしているものもいくつか見られる。
→中目黒駅付近(目黒川)、中井駅付近(妙正寺川) etc.
●民地内空地、公開空地
→グランフィーネ加賀(石神井川・都市計画緑地の建築規制 大規模開発に対し空地を確保させる区の要項 敷設公園、区立公園、管理通路の一体的整備)/千代田火災ビル(渋谷川・河川と連携のない公開空地整備 川を隠して水景施設整備)
 マンション付設公園が遊歩道と空間的に分断されているような事例が数多く見られる。
【可能性と課題】 
・空間利用の誘導 河川域には特に厳格な管理区分や利用規制があり、空間が分断されている例が多く見られる。柔軟な河川管理制度は整えられてきており、市民参加など多主体が協調したまちづくりとの連携によって、空間的連続性の確保と利用の誘導を進めていくことが重要課題である。
・公共空間の確保 個々の開発や建て替えに際して、計画的にアクセシビリティの高い公共空間を確保することが、特に河川域に公共空間の少ない都心部などで大きな課題である。従来の用地買収だけでなく、公開空地や民地内空地の誘導など、柔軟な連携による空間づくりが望まれる。公開空地については制度的な見直しの必要も考えられる。
・川沿いの道路の形態 制度上、河川改修においては4メートル以上の管理道路を河川沿いに確保することが定められているが、川沿いの自動車交通は市街地と川とを分断する決定的な要素でもある。ヒューマンスケールの中小河川は歩行者空間によって市街地と一体化されることでその魅力を増す。川沿いの道路こそ河川域構造を大きく規定する要因であり、河川域の再構築においてその形態(幅員、歩車道の区分、デザインなど)は丁寧に扱われなければならない問題である。

結論 一体的な空間計画における「河川域」への視点   
 2章では形成過程を整理することで、河川を都市に構造として位置付ける視点がいかに浅かったか、どのような計画的意図が存在し、それはそのように作用してきたのかを明らかにした。3章では個々の空間づくりから一体的空間計画の可能性と課題を述べ、「河川域」の視点の重要性を具体的に示した。以下、結論を述べる。

・近代以降、都市にとって河川は急激な都市化で生じた様々な施設を収めるための都合のいい空間であった。一方では、その性格の特殊性ゆえに別の施策体系で整備され、都市整備において河川域を積極的に捉えたビジョンが描かれることは稀であった。ゆえに多くの場合、河川域は都市に構造化されず、市街地と切り離された空間として存在してきた。
・環境整備個々の取り組みをより体系的に展開し、都市空間構造の中に組み込んで行くためには、「河川域」という視点が重要である。既存の空間構造を再確認し、必要によってはその再構築をも視野に入れた空間計画を行うことで初めて、この領域が河川軸として都市空間構造に統合されうる。
・市街地と河川とを分断してきた応急的な治水事業が一通り完了した後、さらに踏み込んだ河川環境整備が各河川で行われる可能性は大きい。それは河川域の再構築の大きな機会となる。
・「河川域」の再構築に向けた積極的かつ実行力のある計画体系を都市計画が提示できるか否かが、新たな系譜の展開に向けて鍵を握っている。

─研究の位置づけと今後の課題
 本研究によって、今まで断片的な知見しかなかった東京山の手の中小河川の河川域空間構成とその形成過程の概要を、計画的要因を絡めながら整理できた。しかし、各系譜の空間形成論理についてはさらに研究を深める余地がある。また、本稿ではあえてとり扱わなかったより広がりを持った地区レベル、都市レベルで河川軸構造化に向けた計画論については今後の研究を期待する。

                           
主要参考文献
1)池田孝之(1980):「都市周辺市街化地域における市街地形態の計画的規制手法に関する研究」
2)稲葉仁(1982):「市街地形成と中小河川」
3)越沢明:「東京の都市計画」岩波新書1991
4)小林太加志、塚本由晴(2000):「建物が形成する都市河川域空間の構成に関する研究」日本建築学会大会学術講演梗概集F-1 pp.839-840
5)鈴木理生:「江戸の川東京の川」井上書院1989
6)中岡義介:「水辺のデザイン」森北出版株式会社1986