岩手県北地域再発見事業


二戸市



二戸市の概要

 



基本データ
位置/地勢
 


人口


産業



今日の二戸市と都市計画基本方針

岩手県の最北端に位置し、青森県境に接する。市の面積240,61kuのうち、山林が6割を占めている。 二戸市の中央を南北方向に貫通しているのが、馬淵(まぶち/まべち)川である。市の市街地はこの川の両岸に沿って形成されている。

 1995年7月現在 28,633人 (男性13,750人 女性14,833人)  市制施行(1975年)以来、緩やかな下降傾向を示している。 

 市の基幹産業は農業(主要農産物はリンゴ)である。第一次産業就業人口が減少傾向にあるのに対し、第二次、第三次産業の就業人口・所得は増加している。 現在観光はそれほど盛んではない。しかし、九戸城址をはじめとする史跡や自然景勝地やなど、いくつかの観光スポットが存在している。

 2001年(予定)、二戸駅は東北新幹線の停車駅となる。新幹線二戸駅の利用圏人口は約30万人と推定されている。 二戸市は、これを起爆剤に、県北の拠点都市として観光や産業の発展を図るべく、「第三次二戸市総合開発計画」(1996年)を策定した。この計画の中で最も重視されているのが、他の市と比較して大きく遅れている都市基盤の整備である。 県道二戸一戸線は、歩道部分をひろげ、また右左折レーン等を設けるために、全体を拡幅する都市計画決定がなされている。
二戸市内調査対象地区について
(九戸城址と福岡地区)

1 九戸城址(昭和10年国史跡指定)





2 福岡地区 なりたち







3 福岡の特徴




 15世紀末に九戸氏が築城した中世の城跡。馬淵川、白鳥川、猫淵川の侵食崖が三方をめぐる河岸段丘の上部に築かれ、要害堅固な城として知られた。九戸氏滅亡後、九戸城は南部氏の居城となったが、17世紀半ばに盛岡城が築かれそこに藩主が移ると廃城となった。現在城そのものは残っていないが、城跡公園として跡地の整備が進められている。二戸市は昭和54年度から土地公有化に着手し、本丸の全ておよび二の丸・松の丸の一部、約50000uが公有地化を完了している。史跡指定区域内の民有地は、宅地や畑・墓地などに利用されている。


福岡は、奥州街道(現県道二戸一戸線)沿いに位置し、古くから二戸の中心地区として発展してきた。元禄年間(1688〜1703)以降は宿駅として公認され、宿場街として、また物資の交換市場として発達した。明治以降も、地域の商業の中心地として市が定期的に開かれた。またこの地区には裁判所などの官公庁もあり、広い地域から人、物資、情報が集まるところであった。今でも通り沿いの建物の多くは店舗と住居の併用である。しかし最近では、自動車の普及等に伴い、周辺の地方都市や郊外の大規模店舗に買い物客が流れてしまう傾向にある。その結果空き店舗がかなり見られる。


 起伏に富む地形 ---  この地区は非常に起伏に富む地形を有し、優れた自然景観を多く生み出している。 神社・仏閣は集中して東野の高台に建ち並んでおり、それぞれ急な階段が参道になっている。
 
旧街道のまちなみ---   旧奥州街道(現県道二戸一戸線)沿いを中心に、古くからの商家などが、福岡固有の景観を形成している。 会輔社や稲荷文庫、田中舘博士の家など、地域が誇る歴史的な資産が集中している地区となっている。また町内には蔵造りの建物も点在している。

井戸 --- 共同井戸が多く、かつてのコミュニケーションの場としての趣を残すこの地区の貴重な財産である。また、同様の水利施設として、市民が私財を投じて建設した防火のための貯水タンクや、消火栓がある。


 

 

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