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Last Updated : 2009/09/25
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人間の醸し出す
儚さ、拙さ、
懐かしさ
強さ、美しさ、みんな知っている
そういう都市デザイン



profile / 履歴 - research / 研究 - story / 人生

planning /
都市計画に夢を見る
planning / 都市工学科で考える

【近況】



夜のまちを神輿がいく



9月半ばになると、普段はあまり感じることのできない
大塚のまちの真相が浮き上がる。

普段はごく普通のガレージやまちの定食屋の前のちょっとした溜まり、
あるいは幹線道路の交差点の隅切りの残余空間に、
突如お神輿やテーブルが置かれて、はっぴを来た「地元の人々」が集う。

自動車やバスが激しく往来する幹線道路を、
決して多くない人数でかつがれた神輿が渡っていく。
通り過ぎていく人々の往来の傍で、
地縁のコミュニティがどっしりと地べたに座って宴会を催している。

そんな大塚のまちからついに離れることになった。

私とこのまちとの付き合いが始まったのは、1999年4月。もう10年以上前のこと。
大学院への進学と同時に、奨学金を得て、川崎の実家を飛び出した。

その理由は、環境を変えることで自分を変えられるかも知れないと思ったからだったと記憶している。

あの頃、とてもナイーヴな自分がいたのだ。

その後、9年近く住むことになった豊島区南大塚のアパートは、とても大きなベランダのある家で、
4階というちょうどよい高さのベランダから大塚のまちを眺めながら、
とても自由な心持ちでいることができた。

その後、結婚してからの1年半、暮らした文京区大塚のマンションは、
尾根道沿いにあって、
5階の角部屋からは、大塚のまちだけでなく、東京タワーや富士山まで眺望することができた。
おそろしく風通しがよい部屋で、
妻と二人で、やはりとても自由な心持ちで日々を過ごしてきた。

つまり、私は、アップルトンの隠れ家理論そのままに、
こちらは大塚のまちをじっくりと眺めながら、
その一方で私自身はまちから眺められることのないような場所に棲んで、
自由を謳歌していたのだ。

このまちに暮らす「地元の人々」や、
彼らが催すお祭りには、一切、関わることがなかった
(ただ、あえて地元の理容店に通い続けたのは、
隣の席での「地元の人々」と床屋さんとの町内会話を聞きたかったゆえであるが)。

しかし、個人的には、普段、
各地域のまちづくりのお手伝いをしている時とは全く違うかたちで、
自分なりにまちに関わろうと模索していたし、
自分なりにまちを我がものとしようと考えていた。

それを東京などの大都市特有の流民の態度だと言ってしまえばそれまでだが、
私が日々感じていたのは、
そうした関わりだからこそまた生まれ育まれる切ないまちへの思いがあって、
それが「都市」の思想において、重要な意味を持つのではないかということだった。
ある「都市」が豊かなのは、そこに責任を持つ人々と同じくらい、
愛情を持つ人々が沢山いるからである。

その愛情は、個々人の切ない記憶が支え続ける。

奥田民生は、彼自身が大塚で暮らしていた頃のある感情を
「素晴らしい日々」という唄の中に書きとめた。
恋人や仲間への想いを綴った唄のようであるが、この唄を聴くときにはいつも、
大塚のまちの東京らしいけれどあか抜けない、あの風景が背景に立ち現れる。

ナイーブだった私の未来や、
この大塚のまちに溢れていた夢のようなもの、
可能性のようなものの行方が気になることもある。
しかし、もうある種の哀しみを込めて、
「素晴らしい日々」と括ってしまっていいかなという気もしている。

いつのまにか私も若いつもりが歳をとった、のだ。

大塚のまちに、心からの感謝の意を込めて。




rock music/
個人空間の最近音楽
( 最近、ヘッドフォンからよく流れてくる、優しくてロックな音楽) 

電気グルーヴ : エキゾティカ

Pillows : ストレンジ・カメレオン

Bruce Springsteen : Thunder Road